カテゴリー「15 庄内地方全般の情報」の66件の記事

2013年5月 5日 (日曜日)

日本人の雄々しさ (天皇陛下の御言葉)

 下手なコメントは要らない。
 安倍首相も、
 「この雄々しさいうのはやはり明治天皇も、昭和天皇もですね、今上陛下もここぞという時に使われるんですね。」と語る。
 まずは、「日本人の雄々しさ 天皇陛下の御言葉を胸に刻みたい。
P_20135
 なお、山形県鶴岡市羽黒町の松ヶ岡開墾場には、昭和天皇が昭和22年8月15日に行幸されたことを祈念し、昭和21年新年歌会始「松上雪」
 ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ 
 松そ ををしき 人もかくあれ

 の石碑が建立されている。
 この歌の価値、奥深さにいち早く気付いた庄内地方の先人にも感心した。

安倍元総理
―― あの・・先ほど勝谷さんが言われたことは大変重要なことで陛下は相当おことばについて考え抜かれたんだと思いますね。陛下が感謝を表明される中において普通、陛下は特定の団体とかですね人達について固有名詞をあげられないんですが、今回は自衛隊、そして消防、警察、そして地方自治体の方々、特に自衛隊っていう名前が陛下の口から・・この発せられたと言うことはずっとなかったんだろうと思うんですね。
 宮内庁や政府はなるべく距離を開こう、開こうとしていきました。
―― それとあの、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに・・まあ深く感動しているということを陛下は仰ったんですが、雄々しさ、先ほど勝谷さんが言ったようにですね、この雄々しさというのはやはり明治天皇も、昭和天皇もですね今上陛下もここぞという時に使われるんですね。
―― 明治天皇は日露戦争の時に、「敷島の 大和心の 雄々しさ 事ある時ぞ 現れにけり」と、こう仰ったんですが。昭和天皇は先ほど勝谷さんが言ったように、終戦の翌年の歌会初めで、「降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ」と、今、まさに雪がしんしんと降っていると、この雪の冷たさと重たさに耐えて松は雄々しく美しさを失わないと。日本は占領下にあるけれども日本の素晴らしさ、美しさは失いたくないものだという思いを込められたんですね。
―― そういう中で今度は、このやはり未曾有の大災害の中で頑張らなければいけないという気持一つになろうという気持において雄々しさ言う言葉をですね、天皇陛下は発せられたんだろうなと思いますね。

主権回復の日
 安倍首相式辞全文「日本を良い美しい国にする責任」
 本日、天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、各界多数の方々のご参列を得て、主権回復・国際社会復帰を記念する式典が挙行されるにあたり、政府を代表して式辞を申し述べます。
 61年前の本日は、日本が自分たちの力によって再び歩みを始めた日であります。サンフランシスコ講和条約の発効によって主権を取り戻し、日本を日本人自身のものとした日でありました。その日から61年。本日を一つの大切な節目とし、これまで私たちがたどった足跡に思いを致しながら、未来へ向かって希望と決意を新たにする日にしたいと思います。
 国敗れ、まさしく山河だけが残ったのが昭和20年夏、わが国の姿でありました。食うや食わずの暮らしに始まる7年の歳月は、わが国の長い歴史に訪れた初めての、そして最も深い断絶であり、試練でありました。
 そのころのことを亡き昭和天皇はこのように歌にしておられます。
 「ふりつもるみ 雪にたへて いろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ
 雪は静謐(せいひつ)の中、ただしんしんと降り積もる。松の枝は雪の重みに今しもたわまんばかりになりながら、じっと我慢をしている。我慢をしながら、しかしそこだけ目にも鮮やかに緑の色を留めている。私たちもまたそのようでありたいものだという御製(ぎょせい)です。
 昭和21年の正月、日本国民の多くが飢餓線上にあえぎつつ、最も厳しい冬を、ひたすらしのごうとしていたときに詠まれたものでした。多くの国民において心は同じだったでしょう。
 やがて迎えた昭和27年、主権が戻ってきたとき、私たちの祖父、祖母、父や母たちは何を思ったでしょうか。今日はそのことを国民一人一人深く考えてみる日なのだと思います。
 61年前の本日、国会は衆参両院のそれぞれ本会議で主権回復に臨み4項目の決議を可決しております。
 一、日本は一貫して世界平和の維持と人類の福祉増進に貢献せんことを期し、国連加入の一日も速やかならんことを願う。
 二、日本はアジアの諸国と善隣友好の関係を樹立し、もって世界平和の達成に貢献せんことを期す。
 三、日本は領土の公正なる解決を促進し、機会均等、平等互恵の国際経済関係の確立を図り、もって経済の自立を期す。
 四、日本国民はあくまで民主主義を守り、国民道義を昂揚(こうよう)し、自主、自衛の気風の振興を図り、名実ともに国際社会の有為にして責任ある一員たらんことを期す。
 以上、このときの決議とは、しっかりと自立した国をつくり、国際社会から敬意を集める国にしたいと、そういう決意を述べたものだといってよいでしょう。
 自分自身の力で立ち上がり、国際社会に再び参入しようとする日に、私たちの先人が自らに言い聞かせた誓いの精神が、そこにはくみ取れます。
 主権回復の翌年、わが国の賠償の一環として当時のビルマに建てた発電所は、今もミャンマーで立派に電力を賄っています。主権回復から6年後の昭和33年には、インドに対し戦後の日本にとって第1号となる対外円借款を供与しています。主権回復以来、わが国が東京でオリンピックを開催するまで費やした時間はわずかに12年です。自由世界第2の経済規模へ到達するまで20年を要しませんでした。
 これら全ての達成とは、私どもの祖父、祖母、父や母たちの孜々(しし)たる努力の結晶にほかなりません。古来、私たち日本人には、田畑をともに耕し、水を分かち合い、乏しきは補いあって、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈ってきた豊かな伝統があります。その麗しい発露があったからこそ、わが国は灰燼(かいじん)の中から立ち上がり、わずかな期間に長足の前進を遂げたのであります。
 しかしながら、国会決議が述べていたように、わが国は主権こそ取り戻したものの、しばらく国連に入れませんでした。国連加盟まで、すなわち一人前の外交力を回復するまで、なお4年と8カ月近くを待たねばなりませんでした。
 また、日本に主権が戻ってきたその日に奄美、小笠原、沖縄の施政権は日本から切り離されてしまいました。とりわけ銘記すべきは、残酷な地上戦を経験し、おびただしい犠牲を出した沖縄の施政権が最も長く日本から離れたままだった事実であります。
 「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国の戦後は終わらない」。佐藤栄作首相の言葉です。
 沖縄の本土復帰は昭和47年5月15日です。日本全体の戦後が初めて本当に終わるまで、主権回復からなお20年という長い月日を要したのでありました。沖縄の人々が耐え、忍ばざるを得なかった戦中、戦後のご苦労に対し、通り一遍の言葉は意味をなしません。私は若い世代の人々に特に呼び掛けつつ、沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く思いを寄せる努力をなすべきだということを訴えようと思います。
 わが国は再び今、東日本大震災からの復興という重い課題を抱えました。しかし同時に、日本を襲った悲劇に心を痛め、世界中からたくさんの人が救いの手を差し伸べてくれたことも私たちは知っています。戦後、日本人が世界の人たちとともに歩んだ営みは、暖かい、善意の泉を育んでいたのです。私たちはそのことに深く気付かされたのではなかったでしょうか。
 中でも米軍は、そのトモダチ作戦によって、被災地の人々を助け、汗と、時として涙を共に流してくれました。かつて熾烈(しれつ)に戦った者同士が心の通い合う、こうした関係になった例は、古来まれであります。
 私たちには世界の行く末に対し、善をなし、徳を積む責務があります。なぜなら、61年前、先人たちは日本をまさしくそのような国にしたいと思い、心深く誓いを立てたに違いないからです。ならばこそ、私たちには日本を強く、たくましくし、世界の人々に頼ってもらえる国にしなくてはならない義務があるのだと思います。
 戦後の日本がそうであったように、わが国の行く手にも容易な課題などどこにもないかもしれません。しかし、今61年を振り返り、くむべきは、焼け野が原から立ち上がり、普遍的自由と民主主義と人権を重んじる国柄を育て、貧しい中で次の世代の教育に意を注ぐことを忘れなかった先人たちの決意であります。勇気であります。その粘り強い営みであろうと思います。
 私たちの世代は今、どれほど難題が待ち構えていようとも、そこから目を背けることなく、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、日本を、私たちの大切な国を、もっと良い美しい国にしていく責任を負っています。より良い世界をつくるため進んで貢献する、誇りある国にしていく責任が私たちにはあるのだと思います。
 本日の式典にご協力をいただいた関係者の皆さま、ご参加をくださいました皆さまに衷心より御礼を申し上げ、私からの式辞とさせていただきます。

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2013年4月19日 (金曜日)

加藤元幹事長が引退、後継に三女

 昨年の衆院選で山形3区から出馬し、酒田市長だった阿部寿一氏(無所属)に敗れた自民党の加藤紘一元幹事長(73)が政界から退く意向を固めたそうだ。
 引退の潮時を厳しく読み切っての決断であろう。
 加藤氏は、自民党幹事長の要職をつとめ一世を風靡した人で、山形県、特に庄内地方の支持者の期待を一身に集めた政治家だった。
 我が家の父親も元気だったころ、選挙参謀(選挙プランナー)の一人として、加藤選挙事務所に良く出入りしていたが、思想信条に違いはあれ、仕方ないものなのかと傍観した頃もあった。
 一度、父親には「他に応援する保守系の人材はいないのか」と注文を付けたが、「今は、ほがにいねぇもんだ」の一言でかわされた。

 その今は、衆議院議員として酒田市長だった阿部寿一氏が政界に送り込まれ、そして、次期国政選挙 (衆議院議員総選挙、参議院議員通常選挙)には加藤氏の三女・加藤鮎子さんが立候補の可能性が高い。
  33歳の鮎子さんが、どのような政治スタンスなのかなど一切の情報はないが、自民党左派などと言われ、中国、朝鮮国寄りの発言を繰り返した父親のマネだけは止めて欲しいものだ。
               

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2013年2月23日 (土曜日)

石原莞爾の「決戦戦争と持久戦争」

 正にギリギリの攻防が尖閣諸島の空と海で繰り広げられているが、戦争の神様・石原莞爾は、どう見ているのだろうか。
 石原莞爾は山形県鶴岡生まれで、遊佐町吹浦に眠る。

 石原莞爾の「最終戦争論」によると、人類の行った戦争には武器を使った男性的な「決戦戦争」と女性的で陰性な持久戦争」があって、二つの戦争様式は古代から相互に繰り返しながら進化してきたとする。

 日本が領有意思を明示し統治している尖閣の周辺海域に、1968年、地下資源の埋蔵が指摘された後、1971年から中国及び台湾が領有権を主張し始めたものだ。
 そして、昨年、民主党政権が日本の尖閣諸島国有化に端を発し、中国は主張を強め尖閣諸島周辺で、領空・領海侵犯が繰り返しエスカレートしている。

 この 中国の海洋監視船による諸島周辺の日本領海侵犯は、石原莞爾の言う女性的で陰性な持久戦争」を指すのであろうか。
 正に「持久戦争」は始まっているのであり、日本はガマンのしどころなのだ。
 そして、武器使用の「決戦戦争」に移行のおそれも、常に念頭に置く必要がある。

 また、石原莞爾は、「戦争には二つのことが大事です
 一つは敵を撃つこと――損害を与えること。もう一つは損害に対して我慢することです。即ち敵に最大の損害を与え、自分の損害に堪え忍ぶことであります」と述べる。

 
 この「最終戦争論」は太平洋戦争開戦の前年、昭和15年5月29日の講演だが、この覚悟が今の日本人にあるのだろうか。
 特に、自分の損害に堪え忍ぶ、消耗戦の覚悟のことを心配する。
 最後に「決戦戦争」「持久戦争」は、尖閣で繰り広げられる表面上の単純なことだけではないので、内容は以下に添付した「最終戦争論」を読まれたい。
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第一節 決戦戦争と持久戦争
 戦争は武力をも直接使用して国家の国策を遂行する行為であります。
 今アメリカは、ほとんど全艦隊をハワイに集中して日本を脅迫しております。
 どうも日本は米が足りない、物が足りないと言って弱っているらしい、もうひとおどし、おどせば日支問題も日本側で折れるかも知れぬ、一つ脅迫してやれというのでハワイに大艦隊を集中しているのであります。
 つまりアメリカは、かれらの対日政策を遂行するために、海軍力を盛んに使っているのでありますが、間接の使用でありますから、まだ戦争ではありません。
 戦争の特徴は、わかり切ったことでありますが、武力戦にあるのです。
 しかしその武力の価値が、それ以外の戦争の手段に対してどれだけの位置を占めるかということによって、戦争に二つの傾向が起きて来るのであります。
 武力の価値が他の手段にくらべて高いほど戦争は男性的で力強く、太く、短くなるのであります。
 言い換えれば陽性の戦争――これを私は決戦戦争と命名しております。
 ところが色々の事情によって、武力の価値がそれ以外の手段、即ち政治的手段に対して絶対的でなくなる――比較的価値が低くなるに従って戦争は細く長く、女性的に、即ち陰性の戦争になるのであります。
 これを持久戦争と言います
 戦争本来の真面目(しんめんぼく)は決戦戦争であるべきですが、持久戦争となる事情については、単一でありません。
 これがために同じ時代でも、ある場合には決戦戦争が行なわれ、ある場合には持久戦争が行なわれることがあります。
  しかし両戦争に分かれる最大原因は時代的影響でありまして、軍事上から見た世界歴史は、決戦戦争の時代と持久戦争の時代を交互に現出して参りました。
 戦争のこととなりますと、あの喧嘩好きの西洋の方が本場らしいのでございます。
 殊に西洋では似た力を持つ強国が多数、隣接しており、且つ戦場の広さも手頃でありますから、決戦・持久両戦争の時代的変遷がよく現われております。
 日本の戦いは「遠からん者は音にも聞け……」とか何とか言って始める。戦争やらスポーツやら分からぬ。それで私は戦争の歴史を、特に戦争の本場の西洋の歴史で考えて見ようと思います(六四頁の付表第一参照)。

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2013年2月 6日 (水曜日)

映画「おしん」の主役が決まった。

 どんな娘さんが、映画「おしん」の主役に決まるだろうかと、心待ちしていた山形県人も多かったはずだ。
 小林綾子さんが演じた注目のおしん役には、2471人の公募の中から宮崎市・宮崎小3年生の濱田ここねさん(8)が抜てきされた。
 また、泉ピン子さんが演じたおしんの母役は上戸彩さんが、泉さんはおしんをかわいがる奉公先の米問屋の大奥様役、小林綾子さんは若奥様役で登場するそうだ。

<映画「おしん」>主役は濱田ここねさん 公募2471人から選ばれる
  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130205-00000002-maiall-musi87fb3090
  「おしん」の実写映画版制作発表会で、笑顔を見せるおしん役の濱田ここねさん=2013年2月5日、村田由紀子撮影

 NHK朝の連続テレビ小説で放送され、一大ブームを巻き起こした「おしん」の初の実写映画版制作発表が5日、東京都内であった。
 主役のおしんは、2471人の公募から濱田ここねさん(8)が選ばれた。
 おしんの母親役は上戸彩さんが演じる。テレビ版で子供時代を演じた小林綾子さん、母親役だった泉ピン子さんも出演する。
 テレビの「おしん」は83年4月~84年3月、橋田壽賀子さんの脚本で放送された。
 山形の貧しい家に生まれた少女が激動の明治から昭和を懸命に生き抜く物語。
 これまで86の国・地域で放送された。
 主役の濱田さんについて、監督の冨樫森さんは「リンゴのほっぺの野生児はこの子だけでした。パワー、生命力が決め手」と話した。
 共演の泉ピン子さんに「新しいおしんを作ればいいんだよ」と激励された濱田さんは「はい、作ります」と力強く答えた。
 撮影は2月中旬から山形県内で行われ、10月に公開予定。【銅崎順子】

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2013年1月 3日 (木曜日)

侵略戦争に負けた国を植民地という

 3日早朝、NHKにチャンネルを合わせると、見覚えのある鳥海山をバックに庄内平野の酒田辺りに立って評論家・田原総一朗氏が何か語っている。
  テレビの予告番組だった。
 その番組は、「日本人は何を考えてきたのか 北一輝大川周明」が1月13日の日曜日 午後10時~11時30分までNHKで放送だそうだ。
 北一輝は佐渡島生まれの人、2・26事件に連座して処刑された。
 大川周明は山形県酒田市生まれの思想家、太平洋戦争終戦後、民間人としては唯一A級戦犯で起訴された人。
 いずれも昭和史を語る上で外すことが出来ない方々だ。
 是非、見ようと思う。

 さて、田原総一朗氏はブログで「日の丸」「君が代」は侵略戦争の遺物?
  http://www.worldflags.jp/244/
  僕は、「君が代」にも「日の丸」にもおおいに抵抗感がある。
 「太平洋戦争は侵略戦争であり、その侵略のシンボルとして、日の丸・君が代が使われた」と教えられたからだ。なので僕自身、40歳を過ぎるまでは太平洋戦争は侵略戦争だと思い込んでいた
 と述べていたが、最近では、太平洋戦争のことを次のように語っている。

 「戦争談話を調べていってよくわかった。アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、スペイン、こういう国がやった戦争が全部侵略戦争。すべての戦争は侵略戦争。そして侵略戦争に勝った国、これを先進国という。侵略戦争に負けた国を植民地という

 「大東亜戦争というのは日本では太平洋戦争と言っているのですが、ボクが小学校1年のときに始まった。5年生の夏休みに終わるのですが、当然当時は大東亜戦10752争と言っていました。ボクらが小学校のときには、『大東亜戦争は聖戦である』、アメリカやイギリスやあるいはフランスやオランダ、そういう世界の侵略国をね、やっつける戦争だと、しかもそういう侵略国がね、アジアを全部植民地にして、アジアで植民地になっていなかったのはタイと日本だけ。アジアだけじゃなくアフリカとか南アメリカもみんな植民地にしていた。そういう侵略国と戦争をして、アジアを独立させるための戦争だと、こう習っていた」

 「小学校1年のときは調子が良かった(日本軍の快進撃を言っている)。シンガポールを占領した。マレーシアを占領した。ベトナムを占領した。インドネシアを占領した。翌年ごろから段々調子が悪くなって、結局は原爆を落とされて、広島と長崎に、そして負けるわけですよね」

 「負けたらね、アメリカやいろんな国が戦勝国になって『日本は侵略国である。侵略戦争をしたんだ』とこういわれて、悪い戦争だと。日本で戦争をやったやつはみんな犯罪者だと。現に犯罪者としてA級戦犯は処刑されたんだけど、当時、小学校5年生の1学期までは正しい戦争だったと、2学期になったらね、間違った戦争だったと、まあ、これで180度価値観が変わるんですが、変わる中でボクはね、ずっと疑問を持ってて、言えなかった怖かった、世の中に言うとね、やられるんじゃないかと。何でこれが侵略戦争なんだと、負けが決まっている侵略戦争なんてやるかと、いう思いがあったのね」
 

「世界の先進国は全て侵略国だ。」と田原総一郎氏は語る。

 この証拠文書と計画者へのインタビュー等詳細な内容が、20年前­の米国ABCテレビの番組で報道され、それは FDR plans sneak attack before Pearl HarborというタイトルのYouTubeで今も見れます。
 そ­の中で、Flying Tigers の隊員が、「Flying Tigersは100%米国政府の行った事」と証言しています。
  真珠湾攻撃前夜ルーズベルトは日本軍攻撃の暗号解読の報を受け、­側近が真珠湾に準備命令を送る事を求めたのに対し、"NO"の一­言でそれを禁じた事が、米軍戦争計画最高責任者、Wedemey­er 将軍のWedemeyer Reports (邦訳「第二次大戦に勝者なし」)に明確に記されています。
 ルーズベルトの陰湿な狡猾さは異常で、結婚のプロポーズも暗号を­用い、私生活では少くとも2人のめかけを持ち、真珠湾では250­0人の米兵をいけにえとして殺し米国民をだまし、自身の選挙公約­に反する欧州での参戦(チャーチルと密約)を可能にした大奸物で­す。常に正義の仮面をかぶり、奸計を行うのが米国の伝統でありD­NAです。
 友達作戦という言葉にだまされてはなりません。N

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2012年11月 5日 (月曜日)

映画「鳥刺し」をユーチューブで

 
 映画「鳥刺し」は山形県遊佐町野沢の村はずれにある「十一観音」の辺りが幾度も映り出される。
 画面に映る鳥海山の角度から細かい地点まで分かる。
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 庄内地方は、映画「たそがれ清兵衛」、「隠し剣鬼の爪」、「蝉しぐれ」、「武士の一分」、「山桜」、「花のあと」、また「おくりびと」などの数々の撮影舞台となった。
 撮影地探しは、別の意味で楽しいものだ。

 
 主人公・兼見三左ェ門の家族が憩う場所や、領内を見回りする場所は、野沢川近くの「十一観音」辺りだ。
 やや、映画の内容に触れるが、細い竹竿の先端に鳥もちを付けて、鳥を捕獲することを「鳥刺し」という。
 兼見三左エ門(豊川悦司)がその技を子供達に見せる場所もこの辺りだ。
 「鳥刺し」のことを知っている藤沢周平、そして監督や脚本家だからこそ、その技を剣の奥義として三左エ門(豊川悦司)を通して見せることが出来たのだろう。
 唯一この場面で、最後の殺陣で見せる「鳥刺し」の技を想像することができる。
 なお、この「鳥刺し」の技は琉球古武術で伝承されているという。

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2012年10月 7日 (日曜日)

選挙は人柄より、政党で選ぶべきだ。

 いよいよ衆議院の「近いうち」解散が迫ってきた。
 遅くとも年内であろう。C00402_fig012
 多くの国民は、「三年前は民主党に騙された」、「次は絶対に騙されないぞ、維新か、やはり自民か」と思っている人が多い。
 果たして、このような人達は、政党本位なのか候補者本位なのか疑問だ。



 山形県の田舎町で選挙が行われていた、昭和30年代の昔話を思い出した。
 村の公民館あたりで、人の良さそうな候補者が演説しながら子供達にケッペ(風船)を配っていた。夕食時に、今回は誰に投票するのかと選挙の話になったので、子供ながら横から口を挟んだ。
 「今日、○○からケッペ(風船)もらった。いい人みたいだ。」と発言した。
 すると両親が、「あれはダメだもんだ。アカ(共産党)だ」と言い切った。
 思えば、我が家の政治スタンスが当時からハッキリしていた例でもある。

  当時の山形県飽海郡は、一條村(現・酒田市)から衆議院議員、日本社会党の阿部昭吾を国政に送り続けたことで分るが、かなり左よりの選挙民が多いところだ。
 今も、自民党内左派で中国寄りの加藤紘一氏、民主党・和嶋未希氏、社民党・吉泉秀男氏を国政に送り出す、左寄りの地域と見ている

 今月28日は酒田市長選挙は、自民党の前副市長・本間正巳氏(65)と民主党衆院議員の和嶋未希氏(40)の一騎打ちとなりそうだが、結果はどうなることやら・・・・・

 さて、選挙の投票行動を政党重視人柄やイメージ重視か問われる。
 三年前の総選挙で、なぜ政権交代が実現したかを分析すると、候補者重視で民主党候補に投票した人が15%ほど増加した結果とされる。
 この15%増は、マスコミの全面支援と世論誘導により民主党圧勝の結果につながった数字でもある。
 三年前の自民党は以前のように、強い固定した支持層の支援でも「逆風」を跳ね返すことができず、惨敗を喫することとなった。
 もちろん、候補者の人柄で、政党を超えた支持を得ることもあろうが、この日本は政党政治の形態を取っている以上、政党支持が基本にあることは間違いない。

  財団法人「明るい選挙推進協会 」が国政選挙のたびに実施している意識調査では、「政党を重く見て投票した、候補者個人を重く見て投票した、一概にはいえない」を問う質問項目がある。
 選挙関係者は分析結果を参考にすべきだ。
 http://www.akaruisenkyo.or.jp/

 また、近年の選挙の結果に大きな影響を及ぼす組織・団体などを列挙するが、候補者は、これらに、いかにきめ細かく選挙運動することが大切となる。
●同好会・趣味のグループ
●労働組合、
●商工業関係の経済団体、
●婦人会、
●PTA、
●宗教団体、
●老人クラブ、
●自治会、
●農林漁業団体、
●青年団・消防団、
●政治家の後援会、
●住民運動・消費者運動等の団体、
●NPO・地域づくり団体、
●同窓会、その他

 繰り返すが政党政治の形態を取っている以上、「選挙は政党で選ぶべき」だ。
 マスコミは、「人柄で選ぼう」というスタンスで報道し、どこか自分達の意図する方向へ国民を誘導しようとする。
 ほとんどのマスコミは、保守系を支援する側に回ることはない。
 報道の公平性など全くないのだ。
 

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2012年9月28日 (金曜日)

お代わりしたいご飯「つや姫」

 久々にお代わりしたくなる「ご飯」を食べた。Otarukitaichi_111011024un_2
 ブランド米「つや姫」が妻の実家、山形県酒田から送られてきた。美味すぎて、何年かぶりにお代わりした。

 世間には秀才・天才が多くでる家や美人家系もあるが、米の美味さも、品種にハッキリ出るもので「氏+育ち」と言われる。
 つまり、米は生まれも育ちも両方大切ということだ。

 「つや姫(山形97号)」」は、山形県が10年の歳月をかけ、10万分の1の確率で誕生させた山形県オリジナル品種だ。
 平成22年秋、新ブランド米として誕生。
 日本穀物検定協会(東京)の食味ランキングでも最上位の「特A」にランク付だ。
 Ehr_bor
 山形県庄内地方は、コシヒカリ、ササニシキの祖先種である「亀の尾」を産んだ土地。
 近年は、長年「コシヒカリ」がトップの座にあったが、米作り日本一のプライドから、満を持して誕生されたのが「つや姫」だ。

 今年の作付面積は6500ヘクタール、販売数量は3万2500トンで前年産の倍に増やしたが、「品質の安定が重要だ。」として、来年も今年同様に販売数量3万トン程度でいくという。
 都内では中々手に入り難いお米だ。
 都内では、トンカツや「ヒラボク」なら食べることが出来るはずだ。
 

 この「つや姫」を宣伝するため、「2012ミス・ワールド」日本代表の鶴岡市櫛引出身のモデル五十嵐希さん(昭和62年6月26日生)を「やまがた特命観光・つや姫大使」に委嘱したそうだ。
 五十嵐希さんも、まさに「特A」ランクの「つや姫」そのものだ。
 庄内地方の米の品種同様、きっと、美人が多い家系なのだろう。

  ミス・ワールド日本代表、特技は水墨画 山形出身tp://www.asahi.com/national/update/0714/TKY201207140123.html
   中国で今夏開催されるミス・ワールド世界大会に、山形県鶴岡市出身の五十嵐希(のぞみ)さん(25)が日本代表として出場する。
 13日に懇談した吉村美栄子・山形県知事からも激励され、「東日本大震災での日本への支援に、感謝を伝えたい」と意気込んでいる。
 身長176センチ。映画鑑賞や料理が趣味で、特技はテニスと水墨画。鶴岡市櫛引の実家は専業農家でコメやだだちゃ豆を作っている。
 羽黒高校卒業後、東京都内の大学で建築を学び、企業に就職したが、2年前にモデルに転身。昨年11月のミス・インターナショナル日本代表選出大会で入賞し、今年1月にミス・ワールドの日本代表に選ばれた。
 吉村知事との懇談で「実家が送ってくるサクランボやおコメが大好き。中国に炊飯器を持っていって、つや姫を炊きたい」と話すと、知事は「つや姫は世界一のコメだから希ちゃんにぴったり。日本代表として頑張って」とエールを送った。

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お代わりしたいご飯「つや姫」

 久々にお代わりしたくなる「ご飯」を食べた。Otarukitaichi_111011024un_2
 ブランド米「つや姫」が妻の実家、山形県酒田から送られてきた。美味すぎて、何年かぶりにお代わりした。

 世間には秀才・天才が多くでる家や美人家系もあるが、米の美味さも、品種にハッキリ出るもので「氏+育ち」と言われる。
 つまり、米は生まれも育ちも両方大切ということだ。

 「つや姫(山形97号)」」は、山形県が10年の歳月をかけ、10万分の1の確率で誕生させた山形県オリジナル品種だ。
 平成22年秋、新ブランド米として誕生。
 日本穀物検定協会(東京)の食味ランキングでも最上位の「特A」にランク付だ。
 Ehr_bor
 山形県庄内地方は、コシヒカリ、ササニシキの祖先種である「亀の尾」を産んだ土地。
 近年は、長年「コシヒカリ」がトップの座にあったが、米作り日本一のプライドから、満を持して誕生されたのが「つや姫」だ。

 今年の作付面積は6500ヘクタール、販売数量は3万2500トンで前年産の倍に増やしたが、「品質の安定が重要だ。」として、来年も今年同様に販売数量3万トン程度でいくという。
 都内では中々手に入り難いお米だ。
 都内では、トンカツや「ヒラボク」なら食べることが出来るはずだ。
 

 この「つや姫」を宣伝するため、「2012ミス・ワールド」日本代表の鶴岡市櫛引出身のモデル五十嵐希さん(昭和62年6月26日生)を「やまがた特命観光・つや姫大使」に委嘱したそうだ。
 五十嵐希さんも、まさに「特A」ランクの「つや姫」そのものだ。
 庄内地方の米の品種同様、きっと、美人が多い家系なのだろう。

  ミス・ワールド日本代表、特技は水墨画 山形出身tp://www.asahi.com/national/update/0714/TKY201207140123.html
   中国で今夏開催されるミス・ワールド世界大会に、山形県鶴岡市出身の五十嵐希(のぞみ)さん(25)が日本代表として出場する。
 13日に懇談した吉村美栄子・山形県知事からも激励され、「東日本大震災での日本への支援に、感謝を伝えたい」と意気込んでいる。
 身長176センチ。映画鑑賞や料理が趣味で、特技はテニスと水墨画。鶴岡市櫛引の実家は専業農家でコメやだだちゃ豆を作っている。
 羽黒高校卒業後、東京都内の大学で建築を学び、企業に就職したが、2年前にモデルに転身。昨年11月のミス・インターナショナル日本代表選出大会で入賞し、今年1月にミス・ワールドの日本代表に選ばれた。
 吉村知事との懇談で「実家が送ってくるサクランボやおコメが大好き。中国に炊飯器を持っていって、つや姫を炊きたい」と話すと、知事は「つや姫は世界一のコメだから希ちゃんにぴったり。日本代表として頑張って」とエールを送った。

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2012年6月 8日 (金曜日)

東京から山形県庄内地方へのアクセス?

 高校生当時の同窓会に出席するため、一年ぶりに帰省することになった。
 今回は単独移動であり、新幹線を利用することにした。
 
 それにしても、東京から見て山形県の庄内地方(酒田や鶴岡)は距離感を感じる場所だ。

 実を言うと、いつも車利用なので新幹線を使っての帰省は、はじめてのことだ。
 よって、恥ずかしながら数日前に、品川駅の新幹線切符売り場窓口に、酒田まで行くのに新庄経由か新潟経由の、どちらが便利かを訪ねに行った。
 当然だが、「新潟経由が料金も時間もお得です。」と言われる。

 いろいろ検討して、「Max とき313号いなほ3号」を利用することにした。
 早く直通されることを期待している。

 8日・金曜日は、酒田駅に昼過ぎに到着する。
 夕方5時からの同窓会出席前には、父親や祖先の墓参り、老人ホームにいる母親の見舞いに行くことができる。
 慌ただしい帰省だが、最小限の義理を果たすつもりだ。
 

 便   名  東 京発  →  新 潟着 新 潟発  →  鶴 岡着 酒 田着
Max とき301号                             
  いなほ1号
06:08  →  08:14 08:25  →  10:19 10:39
Max とき313号                               
  いなほ3号
09:12  →  10:49 10:58  →  12:47 13:07
Max とき317号                               
  いなほ5号
10:12  →  12:18 12:30  →  14:23 14:43 
Max とき325号                               
  いなほ7号
13:12  →  15:16 15:31  →  17:26 17:46
Max とき329号                               
  いなほ9号
15:12  →  17:14 17:29  →  19:24 19:44
とき335号                               
  いなほ11号
16:32  →  18:33 18:48  →  20:39 20:58
Max とき343号                               
  いなほ13号
18:52  →  21:06 21:14  →  23:08 23:28
Max とき307号                               
 ※きらきらうえつ
07:48  →  09:51 10:15  →  12:25 12:51                          
 便   名  酒 田発 鶴 岡発  →  新 潟着 新 潟発  →  東 京着
 いなほ 2号
Max                               とき310号
05:42 06:02  →  07:49 07:59  →  09:55
 いなほ 4号
Max                               とき314号
06:44 07:04  →  08:50 08:59  →  10:39
 いなほ 6号
Max                               とき322号
08:54 09:14  →  11:01 11:11  →  13:20
 いなほ 8号
Max                               とき326号
10:44 11:05  →  12:57 13:11  →  15:20
 いなほ10号
Max                               とき338号
14:26 14:46  →  16:33 16:43  →  19:00
 いなほ12号
Max                               とき344号
15:52 16:00  →  18:06 18:14  →  20:12
 いなほ14号
Max                               とき350号
18:00 18:20  →  20:09 20:19  →  22:28
※きらきらうえつ                               
   とき346号
16:11 16:33  →  18:32 18:39  →  21:00                          

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