カテゴリー「13 鶴岡市の関連情報」の44件の記事

2013年5月28日 (火曜日)

山形県鶴岡市で「蜘蛛の糸」製造

 鶴岡市の研究所で、強度があり伸縮性も耐熱性もある「蜘蛛の糸」が作られたそうだが、建築、農業、軍事、車や飛行機等々、どのような分野で利用されるのか楽しみなことだ。
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 芥川龍之介の短編小説「蜘蛛の糸」の中では、お釈迦様は蜘蛛を踏み潰さずに助けたことがある悪党を「蜘蛛の糸」で地獄から助け出そうとしていた。
   映画「スパイダーマンⅡ」では、スパイダーマンが暴走列車をクモの糸で停止させる場面があった。

   このように実際に、人を釣り上げたり、列車を停止できるほど強い蜘蛛の糸ができるかも知れないし、この特性を活かし各種の安全対策や救助活動にも応用出来そうだ。

 これを可能にしたのは山形県鶴岡市の慶大先端生命科学研究所だが、生産は愛知県豊田市の小島プレス工業だ。
 だが、生産拠点は鶴岡市に新設するとあるから安心した。

 この「合成クモ糸繊維」は、強度は鉄鋼の4倍、伸縮性はナイロンを上回り、耐熱性は300度超を誇るクモ糸の特性を生かした繊維。
 炭素繊維にはない伸縮性、合成ゴムにはない硬さを兼ね備え、次世代素材と期待される。

 クモの糸量産 慶大発VB、車部品などに微生物を活用
       2013/5/24 21:51
   慶応大学発ベンチャーのスパイバー(山形県鶴岡市)は24日、クモの糸を人工合成し繊維にする技術を確立、量産に乗り出すと発表した。40001
 自動車部品メーカーの小島プレス工業(愛知県豊田市)と工場を新設、2013年中に月間100キロを供給できる体制を整える。クモ糸は強度が高く伸縮に優れる次世代素材とされる。自動車部品や医療素材向けなどに用途開拓を急ぐ。
 スパイバーの人工クモ糸は微生物から出る特殊なたんぱく質を原料としている。成分や特性はクモの糸と同様だが、分子や遺伝子の配列を見直して他の素材などと組み合わせやすくしている。微生物も培養効率を高めており、紡糸を含め繊維にするまでの量産技術を開発した。
 小島プレス工業と連携して約7億5千万円を投じ山形県鶴岡市に生産拠点を新設する。当初は年産1.2トンだが、用途開発を進め15年には年産10トンに能力を拡大する。
 人工クモ糸による新素材は極めて高い強度があり、ナイロンより高い伸縮性を持つという。低コスト化を進め、自動車用部品、人工血管などの幅広い利用を見込む。
 スパイバーは07年9月に設立。
 慶大先端生命科学研究所(鶴岡市)で学生だった関山和秀社長らがクモ糸の特性に注目し、新たなバイオ素材と位置づけて量産技術を開発してきた。
 海外でも研究機関を中心に実用化に向けた開発が進むものの、基礎研究の段階にとどまるという。スパイバーは既に関連技術を含めて16件の特許を出願している。
 人工クモ糸を使った青色のドレスを公開した関山社長は「世界で初めての技術を立証でき、工業化が視野に入った」と説明した。

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2012年6月14日 (木曜日)

映画「おしん」の子役を公募中!

 映画「おしん」の子役を公募中だという。
 なんと監督は、山形県鶴岡市出身の冨樫森だと知った。
 これではコケるわけには行かない。
 まずは、テレビ放送されたおしん役の小林綾子さんに負けない少女役の人選にかかっている。

 オーディションの窓口は、
 〒107-0062 東京都港区南青山7-13-28-203
 株式会社セディックインターナショナル、映画「おしん」オーディション事務局
 第一次応募締め切りは、2012年7月20日(金)

 おしん:実写映画の子役を公募
            毎日新聞 2012年06月12日 東京夕刊
 山形県を主な舞台に描かれたNHKの連続テレビ小説「おしん」が放送30周年を迎える来年、実写版として初めて映画化される。
 焦点を当てる幼少期のおしん役を、11日から専用サイトで公募し始めた。
 10月ごろに合格者を決め、来年1〜2月に、鶴岡市の庄内映画村など県内全域で撮影する予定。
 テレビのおしんは83年4月〜84年3月、橋田壽賀子さんの脚本で放送された。
 山形の貧しい家に生まれた少女が激動の明治から昭和を懸命に生き抜く物語。
 小林綾子さんが務めた少女役のけなげな演技がブームを巻き起こした。
 映画では専用サイト (http://movie-enter.com/feature/oshin/)
で、5〜10歳の女の子を対象にオーディションで選ぶ。
 他のキャスト3件や脚本は夏までに決める。
 メガホンをとるのは鶴岡市出身の映画監督、冨樫森(しん)さん(52)。
 製作は映画「おくりびと」などで知られるセディックインターナショナル(東京都渋谷区)が担う。

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2012年2月 7日 (火曜日)

鶴岡市の湯野浜温泉で最小生物 アーマン発見

   山形県鶴岡市の湯野浜温泉で世界最小の生物 アーマンが発見されたと言う。
   発見に、どのような意味があるのか、それに、どんな形なのかなど、記事からは分からないが、鶴岡市内の慶応大先端生命科学研究所は、これ迄もいろんな発見をしている。

   研究所は、過去には、唾液を検査することで口腔がん、乳がん、膵臓がんを高精度で発見する技術を開発していることは知っている。
   この生物が、ガンが好きで、人のガンを食べて治すとしたら凄い。
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山形でも世界最小の生物 慶応大、温泉から
 山形でも世界最小の生物 慶応大、温泉から 
 慶応大先端生命科学研究所(山形県鶴岡市)は6日、体長0・0002ミリと世界最小の生物(ウイルスを除く)を市内の湯野浜温泉の源泉から発見したと発表した。米国などでも見つかっているが、弱アルカリ性の環境下での発見は初めてという。
 同研究所によると、見つかったのはアーマンと呼ばれる微生物。これまで米カリフォルニアの鉱山など酸性や強酸性の環境で確認されていた。同研究所は「アーマンが地球上の様々な環境で生息していることが分かった。原始生命がどのようなものだったのかという謎に迫りたい」としている。

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2011年9月21日 (水曜日)

鶴岡出身・高山樗牛著「滝口入道」

 先日、高山樗牛の『自分が立っている所を深く掘れ。そこからきっと泉が湧き出る。』 という言葉をお知らせした。129362511730016324670
 高山樗牛(ちょぎゅう)は、山形県西田川郡高畑町(鶴岡市)出身だ。

 あるところで知ったかぶりして、この言葉を話題にしたところ、逆に「滝口入道」という本があることを教わった。
 生半可な知識は恥をかくことになる。

  「滝口入道」は、高山樗牛こと高山林次郎(1871~1902)が唯一この世に残した著書だという。

 それは高山樗牛が23歳の東京帝国大学哲学科在学中に、読売新聞の歴史小説懸賞募集に応募し、2等賞(1等賞は該当なし)に選ばれた小説だ。
 この「滝口入道」の作者が、高山樗牛だと世間に知れたは、死後だったという。

 「滝口入道」の物語は『平家物語』にある。 平清盛の嫡男小松の内大臣重盛卿の侍である斎藤滝口時頼が白拍子(遊女、主に貴族の相手をした高級娼婦)の横笛に激しく思いを寄せるが、横笛からは返事もないことに世の無常を感じ出家することに始まる。

 この小説「滝口入道」はネットでも読むことができるhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000271/files/1556.html
 その一部を下段に引用した。
 美しい文体と流れるようなリズムに触れて欲しい。
 とても23歳の学生のものとは思えない
 やはり高山樗牛は天才だ。
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 滝口入道こと斎藤時頼横笛の悲恋の舞台は、京都・滝口寺にある。
 本堂内には滝口入道と横笛の木像もある。
 この実話は、1923年はマキノ映画「瀧口入道 夢の恋塚」と題して映画化されたことがあった。
 あったら観てみたいし、是非、どなたか映画化して欲しいものだ。

高山樗牛「滝口入道」
http://iaozora.net/ReadTxt?filename=takiguchi.txt&card_id=1556&person_id=271&captions=1&guid=ON

 やがて來む壽永の秋の哀れ、治承の春の樂みに知る由もなく、六歳の後に昔の夢を辿りて、直衣の袖を絞りし人々には、今宵の歡曾も中々に忘られぬ思寢の涙なるべし。
 驕る平家を盛りの櫻に比べてか、散りての後の哀れは思はず、入道相國が花見の宴とて、六十餘州の春を一夕の臺に集めて都西八條の邸宅。
 君ならでは人にして人に非ずと唱はれし一門の公達、宗徒の人々は言ふも更なり、華冑攝※(くわちゅうせつろく)の子弟の、苟も武門の蔭を覆ひに當世の榮華に誇らんずる輩は、今日を晴にと裝飾ひて綺羅星の如く連りたる有樣、燦然として眩き許り、さしも善美を盡せる虹梁鴛瓦の砌も影薄げにぞ見えし。あはれ此程までは殿上の交をだに嫌はれし人の子、家の族、今は紫緋紋綾に禁色を猥にして、をさ/\傍若無人の振舞あるを見ても、眉を顰むる人だに絶えてなく、夫れさへあるに衣袍の紋色、烏帽子のため樣まで萬六波羅樣をまねびて時知り顏なる、世は愈々平家の世と覺えたり。

 見渡せば正面に唐錦の茵を敷ける上に、沈香の脇息に身を持たせ、解脱同相の三衣の下に天魔波旬の慾情を去りやらず、一門の榮華を三世の命とせる入道清盛、さても鷹揚に坐せる其の傍には、嫡子小松の内大臣重盛卿、次男中納言宗盛、三位中將|知盛を初めとして、同族の公卿十餘人、殿上三十餘人、其他、衞府諸司數十人、平家の一族を擧げて世には又人なくぞ見られける。
 時の帝の中宮、後に建禮門院と申せしは、入道が第四の女なりしかば、此夜の盛宴に漏れ給はず、册ける女房曹司は皆々晴の衣裳に奇羅を競ひ、六宮の粉黛何れ劣らず粧を凝らして、花にはあらで得ならぬ匂ひ、そよ吹く風毎に素袍の袖を掠むれば、末座に竝み居る若侍等の亂れもせぬ衣髮をつくろふも可笑し。
 時は是れ陽春三月の暮、青海の簾高く捲き上げて、前に廣庭を眺むる大弘間、咲きも殘らず散りも初めず、欄干近く雲かと紛(まが)ふ滿朶の櫻、今を盛りに匂ふ樣に、月さへ懸りて夢の如き圓なる影、朧に照り渡りて、滿庭の風色碧紗に包まれたらん如く、一刻千金も啻ならず。
 内には遠侍のあなたより、遙か對屋に沿うて樓上樓下を照せる銀燭の光、錦繍の戸帳、龍鬢の板疊に輝きて、さしも廣大なる西八條の館に光到らぬ隈もなし。
 あはれ昔にありきてふ、金谷園裏の春の夕も、よも是には過ぎじとぞ思はれける。

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2011年9月 8日 (木曜日)

今 立っている所を深く掘れ。

 若いうちから何度も転職を繰り返す人をよく見かける。
 そんな人には、この言葉からヒントを与えることがある。

 『自分が立っている所を深く掘れ。そこからきっと泉が湧き出る。』Chogyu2
 これは、山形県西田川郡高畑町(鶴岡市)出身の高山樗牛(たかやまちょぎゅう)の言葉だ。

  高山樗牛(1871年2月28日(明治4年1月10日)~1902年(明治35年)12月24日)は、明治の文芸評論家、思想家、東京大学講師、文学博士として明治30年代の言論界で活躍するが、肺病で32歳の志半ばで夭折した。
   http://www.shonai-nippo.co.jp/square/feature/exploit/exp20.html
  『自分が立っている所を深く掘れ。』という言葉は、きっと高山樗牛が自身を叱咤し自分に言い聞かせた言葉であろうと思う。

  高山樗牛(たかやまちょぎゅう)は、自身の有り余る才能を自覚していた人であろうし、その才能を伸ばすことで成功できるものと確信し努力したはずだ。
 平たく解釈すれば、夢や目標は諦めずに努力を続けることが大切だとなる。
 それにしても、32歳の死は残念なことだ。
 もっと長生きすれば、更に影響力のある人物に成長したと言われる。

 「健康を無くすると全てを失う」、
 どんなに高い希望も夢も目標も、すべて健康が元手だ
 高山樗牛が存命なら、これを伝えたかった。
 病気がちで自分の健康管理が出来ない人が、尤もな発言をしても説得力が無いと受け止めている。
 人を管理したり指導する立場の人は、まず自分や家族の管理をシッカリすることだ。

  それにしても「自分の今いる所を掘れば」、何処でも「泉が湧く」なら、「天職探し」や「職業の適性」で悩むことはない。
 それに一般会社が、10年持続する確率は5パーセント前後と言われている。
 単純計算すると、同じ会社や職場で泉が湧く確率5パーセント以下では、努力の殆どは無駄になることになる。
 上手に転職や会社を代えることで、自分の「天職」を発見する人もいるのだろう。
 あまり偉そうなことは言えない

  高山樗牛が23歳の東京帝国大学哲学科在学中に、読売新聞の歴史小説懸賞募集に応募し、2等賞(1等賞は該当なし)に選ばれた小説「滝口入道」のことは別の機会にお知らせしたい。

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2011年7月13日 (水曜日)

ウド鈴木が映画初主演「一遍上人」

 山形県出身者の俳優やタレントで映画の主演に選ばれるのは、きっと伴淳三郎(本名:鈴木寛定)以来ではなかろうか。
 「キャイ~ン」のウド鈴木(41)が映画「一遍上人」で、僧侶一遍上人役で初主演することになったという。
 撮影も庄内地方なら、二重に目出度いことだ。Photo
   来年5月公開の予定。

  ウド鈴木は山形県鶴岡市藤島出身。
 
お笑いコンビ『キャイ~ン』の主にボケを担当する。
 相方は天野ひろゆき。
  芸名の「ウド」は、名付け親は「夢麻呂」という芸人が、
身長178.5cmの鈴木を見て、「体だけ大きくて何も役に立たないウドの大木だな」と言った事から命名したという。
 そんなことないところを見せて欲しい。

  顔立ちや体型を見ても人当たりが良いイメージだ。
  そんな大衆受けのイメージから主演に選ばれたのであろうか。
  来年5月公開が楽しみなことだ。

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ウドの大役!映画初主演でスキンヘッドに変身!
              スポニチアネックス 7月10日(日)7時2分配信  http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/07/10/kiji/K20110710001178690.html
   お笑いコンビ「キャイ~ン」のウド鈴木(41)が映画初主演することになった。
   来年5月公開予定の「一遍上人」で、鎌倉時代の僧侶一遍上人役。
   ウドは特殊メークでスキンヘッドに変身する。「斜陽」「蜘蛛の糸」などの映画化を手掛けてきた秋原正俊監督がメガホンをとる。
 布教のため全国を旅した貧困の僧侶を演じるウドは、トレードマークの金髪モヒカンから特殊メークでスキンヘッドに変身。体重も10~20キロの減量を目指すという。
 小学4年の学芸会で人生で初めて演じた役が、一遍上人と同じお坊さんだったそうで「南無阿弥陀仏(なみあむだぶつ)とひたむきに唱え続けることを説いた生きざまは美しく、強く、潔く、私とは対極の人間。あえて共通点を挙げるとするならば、旅が好きであるということです」と分析。「人生を、時代をしなやかに旅した一遍上人を、いっぺんでも演じられることに感謝し、ご慈悲の気持ちで頑張ります!」とダジャレを交えて意気込みを語っている。
 
 映画は、この偉大な僧の足跡を弟子が訪ねて絵巻物にした「一遍上人絵伝」をもとに、妻や娘、弟子たちと全国を旅する中、多くの人々と出会い交流する姿を描く。
 全国の地方都市をロケ地に選び、地域に密着した映画を製作してきた秋原監督が、「一遍上人絵伝」を見て「800年以上前に私より広範囲で地域の方々に精神的、文化的な支柱を授けていた」ことに感銘を受け映画化を企画。自身が手掛けた「ルパンの奇巌城」(今年5月公開)で大学教授を熱演したウドを抜てき。「あの作品で見せた強いキャラクター性と、ぼくとつな演技がピッタリと思った」と話している。
 ほかに、俳優八嶋智人(40)の妻で女優の宮下今日子(35)、歌手で女優の玉置成実(23)、橘美緒(20)らが出演する。

一遍上人 
 1239年、現在の松山市に生まれ10歳で出家。
 25歳の時、還俗(げんぞく)したが、相続問題でのトラブルを機に再度出家。全国行脚をしながら「南無阿弥陀仏」と独特の節回しで歌いステップを踏む「踊り念仏」を広め、時宗の開祖となる。踊り念仏は盆踊りのルーツとされる。映画では現代風のダンスも取り入れる予定でウドの踊り念仏も注目されそうだ。

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2010年9月17日 (金曜日)

庄内で撮影された「十三人の刺客」

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  三池崇史監督による映画『十三人の刺客』は、平成22年9月25日(土)から全国ロードショーが開始される。
 この完成披露試写会が、先日、東京国際フォーラムで行われたそうだ。 
 主演の役所広司ほか、山田孝之、伊勢谷友介、高岡蒼甫、伊原剛志、松方弘樹、稲垣吾郎など、なかなかの豪華俳優陣だ。
 この映画の見どころは、
 ◎SMAPの稲垣吾郎(36歳)演じる“史上最凶”の暴君ぶり。
 ◎松方弘樹(68歳)の殺陣だそうだ。近衛十四郎と女優水川八重子の長男。

  この映画は、日本のハリウッドを目指す山形県鶴岡市の「庄内映画村オープンセット」をはじめ、羽黒山参道・庄内藩校致道館、気比神社など、殆どが庄内地方でロケ撮影が行われたそうだ。
 山紫水明の地、山形県庄内地方の持ち味がどのように映画の中で表現されているか楽しみだ。
 早めに観に行く予定だ。

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庄内映画村オープンセット
 山形県鶴岡市羽黒町川代字東増川山102
 TEL:0235-62-2134 (お問合せ専用ダイヤル)
入場料は基本料金で一般1800円、中高生1300円、小学生800円、幼児無料。

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2010年8月 3日 (火曜日)

面白地名・鶴岡市の「古郡」

 山形県鶴岡市の「古郡(ふるごおり)」は歴史のロマンを感じさせる地名だ。
 正に「地名は土地の履歴書」だ。Photo_2

 7~8世紀に律令制が整備されていく過程で、北海道を除く全国を60余りの「国」に区割りし、その「国」を数カ所の「郡」で区分していた。
  山形県や秋田県辺りは、「出羽(いでは)」と呼ばれたが、これは「越の国」(新潟の上越市)からの出先としての「出端(いではし)」の意味だという。(※「越の国」の国分寺跡は未発見)
 和銅2年(709)7月1日、律令政府は諸国に命じ、蝦狄(えてき)を成敗するための兵器を、「出羽柵(いではのき)の「征狄所」へ船100嫂運送したと記録がある。

 しかし、この「出羽柵」の正確な場所が分かっていない。
 現段階では、この鶴岡市「古郡」が最有力視されている。
 「古郡(ふるごおり)」は、藤島町が鶴岡市と合併する前は、「東田川郡藤島町古郡」だったが、現在は「鶴岡市古郡」と地名変更されている。

 「出羽柵」の近くには、船100嫂を停泊できる「潟湖」があったとみられる。
 庄内平野はかつて「潟湖」だったところだが、当時の潟湖の広さが分かっていない。
 現在の「古郡」は最上川から10㎞ほど離れているが、直ぐ近くには「池神社」、「皇大神社」の古い社殿があるのが面白い。

 また、『続・日本紀』によると、和銅7年(714)から養老3年(719)までに、東海・東山・北隆三道の民が4度にわたって出羽国に移され、累計1200戸に及んだという。
 庄内は、「出羽郡」「田川郡」と「飽海郡」となり、更に「陸奥国」に属していた「最上郡」、「置賜郡」の5郡で「出羽国」となり、ほぼ現在の山形県の広さになった。

 更に180年も経った頃、、
 『日本三代実録』の887年(仁和3年)5月20日の条に、「国府は出羽郡井口地にあり」とあるが、「井口国府」とは、酒田市の「城輪柵」とする見解が有力だそうだ。

 当時、朝廷と蝦夷の抗争がこの辺りで頻繁にあったものと推測されている。
 明白なのは、朝廷側が侵略、それに蝦夷側が抵抗していたもので、アメリカの西部開拓当時の白人とインディアンの抗争と同様であろう。
 アメリカでは「西部劇」というが、日本の場合は「東北劇」か。
 そんな映画を鶴岡の映画村で作って欲しいものだ。

 追われる判官・義経を応援したい気持ちを「判官贔屓」という。
 これは、義経に寄せる東北人の心情とされるが、その心の奥には「滅び行く蝦夷に対する心情」が交差しているとの話を聞いたことがある。

海面が7m上昇した東北の地形は
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/special/267_data/index15.html

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2010年7月10日 (土曜日)

藤沢周平原作「必死剣鳥刺し」

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 藤沢周平原作の映画『必死剣鳥刺し』が、7月10日全国公開が始まった。

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 http://www.torisashi.com/
 映画撮影は、山形県鶴岡市の「庄内映画村オープンセット」の他、遊佐町野沢辺りでも撮影が行われたと聞いている。
 きっと、鳥海山をバックにした画面も期待される。 

 この『必死剣鳥刺し』は「隠し剣狐影抄」に収録された短編だ。
 かなり前に読んだが忘れたので、再度読み直す。

 藩のために主君・右京太夫の側妾を刺殺した剣豪、兼見三左ェ門だったが、そのために主君の恨みを買い、結局は城中でなぶり殺しにあうという内容だ。
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 刃先は津田の鳩尾(みぞおち)から肺まで深ぶかと入りこんだ。
 「・・・・・・・・」
 鳥刺し、と三左ェ門は呟いたのだが、誰もその声を聞かなかった。
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 津田の絶叫を聞いて、数本の刀身が、三左ェ門の身体にあつまった。
 三左ェ門の巨躯は坐った恰好から、横転して畳にころがった。
 そして今度こそ動かなくなった。
 寒い冬が過ぎようとしていた。
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 久々に、この巧みな描写に感心する。
 豊川悦司が演じるのは、独自に編み出した必勝の剣「鳥刺し」を使う剣豪・兼見三左ェ門(かねみさんざえもん)。
 「必死剣鳥刺し」それは、必死必勝の剣。キャッチコピーは
 「その剣が抜かれる時、遣い手は半ば死んでいるとされる」。
 
 映画ロケは藤沢周平の出身地・鶴岡市の「旧風間家住宅丙申堂」や「庄内映画村オープンセット」のほか、遊佐町野沢近くの祠「十一面観音」界隈も使用しているという。

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 兼見三左ェ門が使う剣は、どのような秘剣だろうか。
  「剣を遣うときは半ば死んでいる」とは、どのような動きなのか。
 殺陣師の久世浩(65)は、平山秀幸監督とともに最も頭を痛めた場面だったという。
 下段に原作の最後の部分を引用してある。
 これを、豊川悦司がどのように演じるのか想像してみよう。
       (※時間に余裕があるとき、読んで下さい。)
監督:平山秀幸
脚本:伊藤秀裕
    江良至
原作:藤沢周平

豊川悦司(兼見三左ェ門)
戸田菜穂(妻・睦江)
池脇千鶴(里尾)
吉川晃司(帯屋隼人正)
村上淳(主君・右京太夫)
関めぐみ(側妾・連子)
岸部一徳(津田民部)
小日向文世(保科十内)
山田キヌヲ(多恵)ら。

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『隠し剣孤影抄』藤沢周平著(文春文庫)
■藤沢周平著「必死剣鳥刺し」から最後の「七」より引用
 「村井、光岡」
 呼んだが返事がなかった。
 三左ェ門は立って、隣の近習詰所の襖の前まで行ったが、不意にそこで立ちどまった。
 そのときには、襖の外に異変を感じとっていた。
 三左ェ門は襖にむいたまま、静かに部屋の中を後にさがり、さがりながら刀の鯉口を切り、肩衣をはねた。
 「いかがした、兼見。誰かをよこさんか」
 執務部屋の中で、右京太夫のいら立った声がした。
 その襖ぎわまで後退すると、三左ェ門は、小声でお上と呼んだ。
 「石滑が来たかも知れません」
 「なに?」
 「斬りあいがはじまるかも知れません。物音を聞かれたら、打ちあわせたように、奥の出口から、外へ出て頂きます。そこに警護の者がおりますゆえ」
 「よし、わかった」
 右京太夫が立ちあがる気配がしたのと、近習部屋の襖がさらりと開いたのが、ほとんど同時だった。
 そこに帯屋隼人正が立っていた。
 そして考えたとおりに、近習部屋は空っぽだった。
 多分隼人正がどこかに立ちのかせたのだ。
 「そなたが、独心無名流の遣い手か。兼見と申すそうだな」
 隼人正は、しばらく三左工門を見つめたあとでそう言った。
 三左工門は黙っていた。
 「大きな男だの」
 「・・・・・・」
 「そこを通してくれぬか。右京太夫に話がある」
 「通すことはなりませぬ」
 と三左ェ門は言った。
 言うと同時に、皮膚から髪の中まで寒気が走りぬけて、三左ェ門は徴かに身ぶるいした。
 [ぜひとも談合したいことがある。通せ」
 「いや、なりませぬ」
 「わしと斬りあってもか」
 「いかにも」
 隼人正はじっと三左ェ門を見つめ、見つめながら、羽織をぬいだ。
 「では、通る」
 隼人正は刀を左手にさげたまま、部屋の中に入ってきた。
 「お手むかいしますぞ」
 三左ェ門は言うと刀を抜いた。
 同時に隼人正も抜き、鞘を捨てていた。
 すばやい動きだった。
 その瞬間、胸に垂れる髭が揺れて、宙に躍ったように見えた。
 隼人正は無造作に間合いを詰め、青眼から肩に打ちこんできた。
 すさまじい迫力を乗せた一撃だったが、三左ェ門はその剣をかわさずにはね上げた。
 その一合のあと、隼人正はすばやくしりぞいて、遠い間合いを取った。
 三左ェ門は追わなかった。
 青眼に構えをかためながら、相手の様子をうかがった。
 左腕のつけ根のあたりに痛みを感じたのは、その時になってからだった。
 うまくはねたつもりだったが、隼人正の俊敏な剣は、その前に浅く三左ェ門の肩口にとどいたらしかった。
 「お考え直しください、ご別家」
 三左ェ門は刀を構えたまま呼びかけた。
 「狂気の沙汰ですぞ、この斬り合いは」
 「いや」
 隼人正は薄く笑った。
 「邪魔する者は斬る」
 隼人正は、少しずつ間合いをつめてきていた。
 ---来る。
 三左ェ門は、隼人正が詰め寄るのにあわせるように、無意識にむかし、もっとも好んだ下段に構えを移していた。
 その構えをみて、隼人正は一たん足を引きかけたが、思い直したように猛然と断りこんできた。
 一閃の影が動いたように迅い動きだった。
 斬られた、と三左ェ門は思った。
 そう思いながら、三左ェ門は身体を沈めて、掬い上げる剣をふるっていた。
 はじかれたように、隼人正の身体が襖まで飛び、大きな音を立てた。
 三左ェ門の一撃は、隼人正の脇腹を深ぶかと斬っていた。
 隼人正は訝しむように三左ェ門を見つめたが、不意に刀をとり落とすと、膝をつき、だんだんに首を垂れて、ついに前に転んだ。
 そのまわりに、すぐにおびただしい血がひろがった。
 その姿をたしかめてから、三左ェ門は刀をおろし、右肩に手をやった。
 かわしも受けも出来なかった隼人正の一撃に、斬られたと惑じたのは間違っていなかった。
 肩をさぐった三左ェ門の指は、いきなり肉に埋まった。
 焼けるような痛みが、そこから全身にひろがって行く。
 眼が暗くなった。
 傷口を押さえたまま、三左ェ門はあたりを見回した。
 そして呻き声を途中でのみこんだ。
 三方の襖が開かれていて、いつの間にか、そこに大勢の人間が立っていた。
 人びとは黒く立ちならび、なぜか無言で三左ェ門を見つめている。
 「手傷を負い申した」
 三左ェ門は、ぎこちない微笑をうかべた。
 「どなたか、手を貨してくだされ」
 すると、聞き馴れた津田民部の声が、見たぞと言った。
 三左ェ門はそちらに顔をむけたが、黒い人影が眼に映るだけで、どれが津田かはわからなかった。
 「見ごとだな、必死剣鳥刺し
 三左ェ門は微笑した。
 微笑して、よろめきながら立っていた。
 いや、いまのは鳥刺しの秘剣ではござらぬ、と言おうとしたとき、津田が叫んだ。
 「兼見が、乱心して隼人正さまを斬ったぞ。逃がさずに斬れ」
 三左ェ門は、反射的に刀を構えた。
 刀はひどく重かったが、眼の前に殺到してきたものを斬った。
 ---乱心だと?
 横から斬りかかってきた者を、体を開いて斬って捨てながら、三左ェ門は必死に津田の言葉の意味を探ろうとした。
 背に痛みを感じ、振りむくと同時に斬り払ったが、刀は空を切った。
 そうか、おれに隼人正さまを斬らせるために罠を仕組んだのだ。
 そう思ったとき、三左ェ門は声をのんだ。
 ---お上だ。
 お上は連子を剌された恨みを、決して忘れたりはしなかったのだ。
 腹を切らせなかったのは、不仲の隼人正を始末する道具に使うためだったのだろう。
 生かして使うほうが、得でござります、と津田民部がすすめたのだ。
 ---無残だ。
 三左ェ門は自嘲の笑いをうかべた。
 いまごろ気づいた自分を嘲っていた。
 ぼろぼろに斬りさいなまれているのがわかった。
 それでも三左ェ門は限の前に立ちふさがる黒いものにむかって反射的に刀をふるっていた。
 刀は時おり肉の手ごたえを伝えた。
 限はほとんど見えなくなっていたが、三左ェ門は、部屋のどこかにいて、自分の最期をひややかに見まもってっている右京太夫の視線を感じた。
 その視線にあらがうように、三左ェ門は刀を構え、眼の前をよぎる影のような心のに刀を叩きつけた。
 だが鋼鉄のような男にも、ついに最後のときがきた。
 横から組みつくように突っこんできた刀に、腹を深くえぐられて三左ェ門はどっと膝をついた。
 そして立てなくなった。
 刀にすがるようにして斜めに身体をかたむけたまま、三左ェ門は動かなくなった。
 「しぶとい男だったが、やっと参ったか」
 津田民部が、三左ェ門の前に立ってそう言った。
 津田をたしかめるように三左ェ門の顔をのぞき、腰をのばすと三左ェ門が握っている刀を蹴ろうとした。
 絶命したと思われた三左ェ門の身体が、躍るように動いたのはその瞬間だった。
 三左ェ門は片手に柄を握り、片手を刀身の中ほどにそえて、槍のように構えた刀で斜めに突きあげていた。
 刃先は津田の鳩尾(みぞおち)から肺まで深ぶかと入りこんだ。
 「・・・・・・・・」
 鳥刺し、と三左ェ門は呟いたのだが、誰もその声を聞かなかった。
 津田の絶叫を聞いて、数本の刀身が、三左ェ門の身体にあつまった。
 三左ェ門の巨躯は坐った恰好から、横転して畳にころがった。
 そして今度こそ動かなくなった。
 寒い冬が過ぎようとしていた。
 野にはまだ雪が残っていたが、野を真直ぐに走る道は、黒く濡れて日に光っていた。
 里尾は鶴羽村のはずれに立って、野をわたり丘の右手に消えている道を眺めていた。
 風が寒いので、さっきから何度も、厄介になっている百姓家に引き返そうとしながら、そのたびに丘のむこうから叔父の三左ェ門があらわれそうな気がして、里尾はふんぎり悪くその場所に立ちつづけていた。
 里尾は懐に赤子を抱いていた。
 生まれて間もない男の子だった。
 三左ェ門の子である。
 細い脹や大きな口が、あまりに叔父にそっくりなので、里尾はながめているうちにおかしくなって忍び笑いを洩らしたりする。
 身ごもっていることを知ったのは、鶴羽村にきて三月ほどたったころだった。
 それから子供を生むまでの月日ほど、里尾にとってしあわせな日日はなかった。
 里尾がいる百姓家の人びとは親切で、子供を生むのに何の心配もいらなかった。
 生まれてしまうと、三左ェ門にその子を見てもらいたい気持が募った。
 それで時どき村はずれまで見にくる。
 「今日もいらっしゃらなかったのね」
 子供が泣き出したので、漸くふんぎりがつき、里尾は子供に囁きながら、野に背をむけた。
 迎えに行くと言った三左ェ門を、里尾は信じていた。
 その日が来たら、どんなにしあわせだろう、と思いながら、里尾は村の中の道をゆっくり歩いた。
 赤子は力強く泣きつづけていた。(本文より引用)

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2010年6月30日 (水曜日)

小沢前幹事長、鶴岡で執行部批判

 山形県選挙区では、民主党候補者が不利と聞こえている。
 その山形県に、29日小沢一郎前幹事長は街頭演説に向かった。

 鶴岡市での街頭演説では、「皆さんと(衆院)選挙で約束したことはやり遂げないと、国民の信頼は勝ち取れない」と主張し、マニフェストの見直しを進める現執行部を批判した。
 また、「公約は守るべきだ」、「必ず私が微力を尽くし、約束通り実現できるようにする」と、9月の代表選を見据えた復活宣言か
 その時点で、果たして国民に受け入れられるか。
 その前に、民主党内部から支持されるのか。
 しかし、復活の可能性は十二分にあることだ。

枝野氏「小沢氏は大衆迎合」公約修正批判に反論2010.6.29読売新聞
 民主党の小沢一郎前幹事長が昨年の衆院選政権公約(マニフェスト)を参院選公約で修正した現執行部を批判していることに対し、枝野幹事長が強く反論、玄葉政調会長(公務員改革相)、野田財務相らも一斉に“逆批判”し、党内の亀裂が浮き彫りになった。
 枝野氏は29日夜、香川県綾川町で記者団に、小沢氏が子ども手当満額支給や高速道路無料化などの修正を問題視していることについて、「法人税収の大幅な落ち込みなどにもかかわらず硬直的な考えをするのは、結果的に国民に迷惑をかける大衆迎合だ」と語った。
 また、昨年末、小沢氏主導でガソリン税の暫定税率廃止を撤回したことを引き合いに、「小沢幹事長時代に(政権公約を)手直ししたことをもうお忘れになっている」と皮肉を込めた。
 玄葉氏は29日の閣議後の記者会見で「(小沢氏を含む)前執行部の下で(マニフェストの)見直し作業は進んだ。今はチームが一丸となって戦うべき時ではないか」と不快感を示した。野田財務相も記者会見で、「参院選公約は鳩山首相、小沢幹事長の下の(党マニフェスト)企画委員会を中心にまとまった。ご自身も当然、企画委員会の話を聞いていたと思う」と、小沢氏の対応に疑問を呈した。
 一方、小沢氏も収まらない。29日、参院選候補の応援のために訪れた山形県鶴岡市での演説では「選挙を通じて約束したことは、やり遂げなければ、皆さんの信頼を勝ち取ることはできない」と訴え、マニフェストを守るべきだとの考えを改めて強調した。
 小沢氏の一連の発言については、菅首相の消費税率に関する主張に党内でも反発があることから、「政権公約を順守した歳出拡大路線に力点を置くことで、復権の手がかりにするつもりだ」(党幹部)との受け止め方も出ている。

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