カテゴリー「気になった事件・事故」の141件の記事

2019年2月26日 (火曜日)

「二.二六事件」が成功していたなら

 「歴史にifはない」と言いますが、昭和天皇が当時の国民の惨状をご存じだったなら、「二.二六事件」は成功していたのではとの考えがあります。理由は、昭和天皇は昭和58~59年春にかけて放送されたNHKの『おしん』の感想を聞かれ、「ああいう具合に国民が苦しんでいたとは、知らなかった」と語ったことからの推察です。
 そして、「二.二六事件」が成功していたなら戦争は回避したと見られています。
 さて、「二.二六事件」という列島を震撼させたクーデター未遂事件が勃発した1936年(昭和11年)当時の日本の農村は極端に疲弊し、貧富の格差が拡大していました。つまり、農村出身者が多い青年将校の中には、部下の兵の実家や自分達の兄弟姉妹らが貧困から身売りされるなどの実態を何とかして欲しいとの思いが、クーデターのキッカケだったとされます。
 それなのに、無碍にも天皇陛下から反乱軍とされたことは悔しかったはずです。
 天皇陛下には、戦前でも側近や内閣から「内奏」や「上奏」によって、国内外の諸情勢を知る機会はあったのに、正確な情報は伝わっていなかった証拠が、「ああいう具合に国民が苦しんでいたとは、知らなかった」との感想発言です。それに、戦前はテレビなども無い上に、国内を津々浦々に巡幸されてご自分の目で国民生活に触れる機会も殆ど無かったはずです。
 なお、「二.二六事件」の動機は、政財界の「君側の奸」を排除して、自分たちの理想とする天皇中心の新政府を樹立しようとする「皇道派」の陸軍将校らが、当時の岡田啓介首相らを襲撃して、高橋是清大蔵大臣、斎藤実内大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監、牧野伸顕前内大臣を暗殺、更に、警護してした警察官5人も殺害して、首相官邸や国会議事堂、警視庁などを占拠しています。これに対して、昭和天皇が青年将校らを反乱軍とし、「朕自ラ近衛師団ヲ率ヰテ此レガ鎮定ニ当タラン(私自ら近衛師団を率いて鎮圧に当る」と発したことで、一気に沈静化しています。
 その後の陸軍は、統制派が主導権を握り、政治への干渉が一層強まっています。
 二・二六事件の翌年には共産主義者の近衛文麿が総理に推薦されていますが、その内閣の実態は、コミンテルンのスパイ・ゾルゲや元朝日新聞記者の尾崎秀美(ほつみ)らに操られて、ひたすらに戦争への道に誘導されたことは歴史が証明しています。

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2019年2月 2日 (土曜日)

35歳ブ男が女子大生と金銭トラブル

 移動時間2時間もかけて出かけた18歳の女子大生が、まったく初対面の35歳のブ男と金銭トラブルがあったということは、どんな裏事情があったのでしょうか。
 2018年11月20日頃から行方不明中の、葛飾区西亀有の日本薬科大学の女子大生(当時18歳=栃木市出身)行方不明事件で、茨城県神栖市深芝南2丁目のアパート在住の無職の男(35歳=牛久市出身)が逮捕されました。この男は「(インターネットの)掲示板で知り合い初めて会った。騒がれて車の中で殺してしまった」と供述しているそうですが、ナゼ、女子大生が二時間もかけて、こんな男に会いに出かけたのかは新聞・テレビ報道からは分かりません。まず、この男は2017年4月に、SNSで知り合った女子高生に現金を渡す約束をし、みだらな行為をしたとして茨城県警に児童買春・児童ポルノ禁止法違反容疑で逮捕され、有罪判決を受けた前科があるといいます。
 この前科や報道などから、18歳の女子大生は初対面の35歳の男との金銭トラブルを推測しますと、簡単には「やることはやったのに金を払ってくれない」というだけのトラブルのはずです。都内までの帰宅の交通費は、報酬を当てにしてたのに、帰りの交通費もない。それでも警察に届け出る事も出来ない後ろめたさもある。それでも何とか金を払ってもらわないと帰宅出来ないから、しつこく家を探して取り戻してやるという意地だけが見えて来ます。若い娘はこんな危険に接近しないことですが、携帯の履歴からも相当回数の男との出会いがあったようです。今は『雉も鳴かずば撃たれまい』の諺しか思い浮かびません。
【経緯の推測】
1.女子大生はJR綾瀬駅から、二時間もかけて神栖市の男に会いに行くためJR鹿島神宮駅へ到着し、駅からタクシーでコンビニ(ローソン)へ到着(午後5時頃)
2.迎えに来た男に目隠しをされて、男が運転する車で男のアパートへ移動。
3.男はやるだけやって、金を払わず、再び車に乗せられて海近くで降ろされた。
4.ここで目撃者がいて、ピンクのコートを着た女の子が「お金がなくて帰れない」と言ってたと証言している。
5.女子大生はお金を取り戻すために、記憶を頼りに男の家を探す。
6.男の「家を探している」という女子大生を目撃している近所の人がいる。
7.男の家を見つけた女子大生が、言い争いをしている場面の目撃者がいる。
8.近所の人に「解決した」と報告している(午後7時頃)
9.その後、再再度、男の車に乗り殺害され、神栖市の畑で埋められる。
※つまり、女子大生は男のクルマに三回乗っていることになるが、どんなに好意的に推測しても最悪のシナリオしか思い浮かびません。  合掌

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2018年12月10日 (月曜日)

「3億円事件」発生の日に思う

 今日12月10日は、50年前の1968年(昭和43)12月10日に現金輸送1968_12_10車を強奪した「3億円事件」が府中刑務所の前で発生した日です。この事件は、過激派のM作戦(革命資金の調達)の一環との見方の他に、左翼活動家が多く住む多摩地区を捜査の口実にするための警察内部犯行説という陰謀論もあった事件でした。つまり、三億円事件の捜査を口実に、学生活動家が多く住んでいた中央線沿線のアパートなどのローラー作戦を敢行したという、まことしやかな(本当っぽい)情報もありますが、真偽のほどは不明でも、一石二鳥の捜査活動を展開したことは頷けることです。
 当時の全共闘運動は、東京大学と日本大学の授業料値上げ反対や生活協同組合問題などを口実にして闘争が起き、これに連動して全国の大学へ広がった印象です。そして、昭和43年9月4日未明には、日本大学経済学部本館のバリケード封鎖解除に出動した警視庁第五機動隊の西条秀雄巡査部長(当時34)は校舎4階付近から落とされた16キロのコンクリートの塊が頭部を直撃、頭蓋骨骨折で意識不明のまま25日後に死亡し、10月2日に青山葬儀所で公葬が挙行されています。しかし、この殉職事件をキッカケに警察は機動隊の増強や装備の充実を図り、力づくでデモを押さえる方針に転換しています。そして、翌年の1969年(昭和43年)1月18日・19日には、全共闘がバリケード封鎖する東大安田講堂に、8500人の機動隊が封鎖解除に出動し、72時間におよぶ攻防が繰り広げられ、633人を逮捕しています。更に、70年代に入ると、新左翼諸党派間で内ゲバにより計100人以上の内ゲバ殺人が発生したほか、連合赤軍によるリンチ事件やあさま山荘事件、日本赤軍によるよど号ハイジャック事件などの事件により、過激な学生運動は国民の支持を失い急速に終息していました。
 今、フランスではマクロン政権に反発する抗議デモは、一部が暴徒化して店舗の破壊や略奪行為.が繰り広げられています。世論調査では国民の70%がデモ参加者らに対する共感を示していると言われていますから、日本でも時折り発生するも国民からの支持が少ないデモとは大きな開きがあります。

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2018年7月31日 (火曜日)

台風12号のコースはΩ(オーム)?

 オウム真理教の名称は「オーム(Ω)の法則」に由来するそうですが、台風12号のコースから「オカルト風」に解説したいと思います。_image1
 台風12号は、日本列島を東から西へ横断するという異例のコースを辿り、日本各地に多くの爪痕を残して、現在は九州の南方の喜界島辺りで停滞しつつも、勢力を蓄えて更に北上すると見られています。
 このコースはまるで「Ω(オーム)」の文字を描いているように見えますから、オウム真理教の死刑囚の刑が執行された直後でもあり、何か都市伝説が生まれそうな予感です。
 それにしても、台風12号は熱海の海岸沿いにある「ホテルニューアカオ」では食堂のガラスが割れて海水が室内に侵入したり、神奈川県小田原市では、高波が国道を襲い、救急車やパトカーなど15台が立ち往生したりと、通常の台風では被害が出てないところで出たりしていることに驚きます。
豪雨災害はオウム死刑囚達の呪い?: 多摩湖畔日誌

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2018年6月10日 (日曜日)

児童虐待は家族制度の崩壊が遠因

 連合国軍総司令部(GHQ)のトップであるマッカーサーは、占領政策の基本を
(1)皇族・皇室の縮小と華族制度の廃00002689
(2)戦争の放棄と戦力の不保持
(3)封建制度の廃止
 
の三原則を指示し、日本はこれらを忠実過ぎるほど見事に守って徹底的に弱体化しています。まず、(1)によって皇室存続の危機にあり、また(2)によって防衛の危機に陥り、そして(3)によって日本人の精神的支柱だった「家族」制度がことごとく破壊されています。
 さて、目黒区で児童虐待で死亡した船戸結愛ちゃん(5)の父親の船戸雄大容疑者と母親の優里容疑者は保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕されたことを「何とかならなかったのか」などと児童相談所などの行政機関に責任を向ける意見が多数聞かれます。しかし、この事件の発生も根源を辿れば、戦後の「家族制度の破壊」によって血縁・地縁社会が崩壊し、核家族化したことに遠因していると思います。0000pc
 何も児童虐待だけではありません。
 介護問題、児童保育、DV(夫婦間暴力)、引きこもり、いじめ問題等々の深刻な問題の発端は、戦後の憲法や民法にあるはずです。今頃「戦後レジームからの脱却」を叫んでも、取り返すことが出来ない絶望的状況です。この涙無くして読めない、こんな叫びを書かせたのは、戦後の日本国家の在り方と思います。残念なことであり、悔しいことです
もうパパとママにいわれなくてもしっかりとじぶんからきょうよりもっともっとあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします

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2018年5月20日 (日曜日)

スポーツは厳しいルールがあって成立

 警察官が走って逃げる犯人を後ろから追いかけて捕まえる「追いかけワザ」の一つImage2に「前倒し」があると聞きました。この技は、名称の通り、逃げる相手に追いついたら、背中を突き飛ばして前のめりに倒すので、怪我をさせる虞も伴うので危険と聞いています。また、上野動物園では、パンダの「シャンシャン」が母親のシンシンの背後から飛びついて「膝カックン」状態になった様子も面白く伝えられましたが、これほど体力差があってもバランスを崩すのは、無警戒のところを背後から攻撃されたのでは、弱いことが証明されています。しかし、このような危険なワザをスポーツの試合で乱発していたら問題になるのは当然です。
 5月6日(日)に都内で行われた「日本大学と関西学院大学によるアメリカンフットボールの試合中に、ボールを投げ終わった約2秒後に無防備な状態でいるところに、背後から強烈なタックル攻撃を仕掛け、全治3週間の怪我をさせていました。関係者は、「あのプレーは内田監督の指示があってのものと証言し、このような証拠映像も残っていますから日大側は厳しい状況です。
 そして騒動後、ようやく沈黙を破って、5月19日、日大の内田正人監督が公の場で初めて口を開き、辞任を表明しています。監督は、「この問題に対しての弁明はいたしません。すべて私の問題でございます。誠に申し訳ございませんでした。」と男らしく頭を下げています。きっと、これで騒動は沈静化するでしょうが、早め早めの対応が大切と気付いたはずであり、スポーツは厳しいルールがあって成立していることを改めて自戒すべきと思います。

アメフト反則タックル問題 日大の内田前監督らが会見(2018年5月23日) https://youtu.be/Fn2lgjqusks

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2018年5月 2日 (水曜日)

捜索に聖域をつくっては探せない!

 関係者は、きっと「玄関に施錠していたから」、「屋根裏にはいないと思っImage5た」、「島からは泳いで渡れないはず」・・・・などと思ったはずです。この容疑者は車上荒らし、金庫破りなど120件以上の窃盗を繰り返していた犯罪常習者ですから、善良な一般人の「常識は通じない」、「聖域はない」と思って捜索すべきだったと思います。
 先月4月8日、今治市の松山刑務所から脱走した平尾龍磨容疑者(27)の逃亡劇は、日本中のマスコミや国民が注目していましたが、脱走から23日目の4月30日に広島市南区でようやく確保されました。逃亡中、容疑者が長く潜伏していたのは、尾道市向島向東町の岩屋山南の別荘の屋根裏だったとされ、警察はなぜ探すことが出来なかったのかと検証或いは批判されています。
 これから思い出したのが、沖縄県で発生した「ひめゆりの塔事件」と長岡藩牧野家の旗印C0002866五間梯子」の謂れでした。「ひめゆりの塔事件」は、皇太子および同妃殿下(当時)が1975年7月17日に沖縄のひめゆりの塔を参拝された際、数日前から壕の中に潜んでいた過激派2人に火炎瓶を投げつけられた危機一髪の事件でした。事件前に洞窟の捜索を主張した警備陣に、当時の県知事は「『聖域』に土足で入るのは県民感情を逆なでする」と反対していたことが明るみになっていました。また、長岡藩の旗印「五間梯子」の話しは 戦国時代、敵に追われていた牧野家の殿様は、領民の家の納屋に匿ってもらいましたが、領民は機転を利かせ、まるで何事も無かったかのように梯子を納屋の扉に立てかけておくと、敵の追手はこれを見て誰もいないのだろうと騙され、殿様は無事逃れきったことに感謝しての旗印とされます。
 これらの話しは、捜索する側と犯罪を犯す側と立場を異にしていますが、いずれも「まさかと思った」こと、勝手に「聖域を作っていた」ことが共通していると思います。

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2017年6月 8日 (木曜日)

中核派・大坂正明容疑者のこと

 2017年5月18日、大阪府警が広島県内の中核派アジトを捜索した際、白髪で眼鏡をかけ、長袖シャツにズボン姿の男(大坂正明容疑者)が捜査員に体当たりして逃げようとしたために公務執行妨害容疑で逮捕された。厚い下唇などの特徴が大坂と似ている上、警察当局によって大坂正明容疑者の母親や姉、父方の親族の男性とDNA型を照合したところ、血縁関係があると思われるとして、6月7日、大阪府警と警視庁は男性を大坂正明本人と特定し、殺人など5つの容疑で再逮捕され、同日、警視庁に移送されました。
 なお、大坂正明容疑者の経歴は、北海道帯広市出身で、帯広第三中~帯広柏葉高校~千葉工業大学と進んでいます。移送当時゜の服装は、HEAD(ヘッド)のジャージ上下を着用しているようだが、果たして、創始者ハワードヘッドは喜んでいるのか、迷惑しているのか。
渋谷暴動事件 - Wikipedia
【動画あり】渋谷暴動事件、大坂正明容疑者を逮捕 警視庁、事件から46
■大坂正明容疑者の今の風貌と46年前の手配写真Image
殺害された中村警部補の最期の様子
 襟元からガソリンを身体一杯にかけられ、火を付けられた。

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■中村警部補の慰霊碑Kamiyama1110

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2017年5月24日 (水曜日)

逮捕は「四十七回忌」の年でした

 昭和46(1971)年11月14日の渋谷暴動事件で、新潟県警から都内に警備派遣さW19710617_miyashita_02れていた中村恒雄巡査を殺害した容疑で指名手配していた、中核派の活動家、大坂正明容疑者(67)とみられる人物が広島市内で公務執行妨害容疑により、大阪府警に逮捕されていたことがわかりました。
 中村恒雄巡査(殉職後・警部補)は、新潟県佐渡郡相川町(現佐渡市)出身で、相川町職員の三男に生まれ、相川高校を卒業後'69年に警察学校入学。70年3月新潟中央署外勤課配属。1971年3月に同署警ら隊に編入され、渋谷で殉職するまでの間に、都内や成田などの警備に3~4回出動していました。000dacuns8xyaafelq
 1971年11月14日は、東京都内の沖縄返還協定批准阻止闘争警備のため、関東管区機動隊・川島大隊・富沢小隊の一員として、渋谷区神山町に配置され渋谷地区の暴動に備えていたのでした。容疑者の逮捕は、あの忌まわしい事件から「四十七回忌」の年だったことも何かの巡り合わせでしょう。 殉職の場所である、東京都渋谷区神山町11-10には、中村警部補の小さな慰霊碑があります。
渋谷暴動殺人指名手配犯・大坂正明: 多摩湖畔日誌
渋谷暴動殺人犯の中核派・大坂正明: 多摩湖畔日誌
■広島県広島市安佐南区東原1-9-52-5

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2016年11月23日 (水曜日)

渋谷暴動殺人犯の中核派・大坂正明

 この事件は、当時、小生と同じ世代の若者同士が立場の違いから殺害され85e92b7d9aa6d999737b35a9760ec9e9るという、忘れら難い事件であるとともに、45年間も逃亡を続ける容疑者の意地と、逃亡を公然と組織が助ける、或いは助けることが出来る日本の現状に注目しています。
 「渋谷暴動事件 」とは、1971年(昭和46)年11月14日、極左・中核派などが渋谷区で機動隊員を襲撃し、この警備に従事中の関東管区機動隊・新潟中央小隊員の中村恒雄巡査(当時21歳)が殺害されました。当ブログでも2013年2月に「渋谷暴動殺人指名手配犯・大坂正明」と題して配信しておりますが、左の「人気記事ランキング」のとおり注目度が高いページです。
 きっと関係者も閲覧しているはずです。
 この事件で、大坂正明容疑者(67)は45年間も指名手配され続けていますが、警察による捜査は後手後手の印象です。数年前、立川市砂川町のマンション一室の中核派非公然アジトに潜んでいた痕跡があったとの報道がありましたが、今春には、北区西が丘1-20の賃貸マンションの中核派非公然組織「革命軍」アジトに021tnakamura12007年~2008年夏ごろまで潜伏していた形跡があったと報じられていました。以前も、京浜東北線沿線の川口や大宮あたりに潜伏情報があるとのことで、「都心にも埼京線や京浜東北線或いは八高線あたりを利用して普通に出入りしているはずだ」と推測しましたが、ほぼ的中しています。
 また、自転車を乗り回していたとの情報もありますから、年齢の割にはフットワークが軽い初老の男のイメージです。そして、間違いないことは、今も、中核派組織の全面支援を受けて逃走していることです。なお先日、警察庁は「捜査特別報奨金」の対象に指定し、大坂容疑者の逮捕につながる情報に最高で300万円を支払うことを決めたそうですから、協力を得て早く捕まえて楽にしてあげたいものです。
 45年間も逃げ回り、疲れ果てているはずです。
 自首して持病の治療に専念してはと思います。
氏名:大坂正明 Image6_2
生年月日:1949年9月29日
出身地:北海道
身長:178cm位
体格:やせ型
頭髪:ややウェーブ
特徴:面長・色白・やや猫背・右目下に1~2針縫った跡・左目下に小豆大の傷跡・近視
 大坂正明の現在の様子をプロファイリングしていますが変えないことにします。
 顔立ちは年齢相応に変貌しているが、濃い顔立ちの印象は残し、床屋には行かず自分でカットし白髪交じりの長髪。年齢の割りには長身で痩せ型のスタイルを維持。
 日常生活は組織の支援を受けつつ女性と同棲している可能性が高い。
 組織内では、影の指導者層の一人として、組織の活動分析、活動方針などの企画を担当し、最近では、護憲運動や原発反対、米軍基地反対などに力を入れているはず。
■産経ニュース 2016.1.23 09:45更新
   http://www.sankei.com/affairs/news/160123/afr1601230017-n1.html

71年「渋谷暴動事件」 逃亡犯情報に最大300万円(16/11/01)
  https://youtu.be/8FP8sS-lLa4

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