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2018年8月22日 (水曜日)

「陸軍中野学校」のこと。

 静岡県駿東郡小山町の富士駐屯地に、今年4月、陸上自衛隊情報0000050が新設され、「陸軍中野学校」の再来かと注目されています。
 さて、「陸軍中野学校」のことが世間に注目されたのは、昭和49年、フィリピンのルバング島から帰国した小野田寛郎陸軍元少尉が陸軍中野学校二俣分校出身だったことからでした。その以前も、1966年公開の市川雷蔵主演の「陸軍中野学校」もありましたが、当時は観ていませんでした。 更に注目されたのは、故金正日書記長は映画好きで一連の『陸軍中野学校』の映画を、北朝鮮の元工作員、安明進氏は教材として何度も見せられたという証言から、その存在は今も生きていると知らされています。
  「陸軍中野学校」出身者は、白人から植民地支配されていた、インド、ビルマ、タイ、マレー、インドネシア等々の亜細亜各地に交替しない駐在武官として送り込まれ、正に、その国の「」になって民族解放のために活動することを命じられ、日本軍が敗北したなら、残置諜者としてゲリラ戦等を企て独立を謀るという任務があったことは、小野田少尉のことから知るのでした。
 他にも、1941年12月8日からの「マレー作戦」では、中野学校出身者らによる「F機関(藤原機関)」が、インド人兵士に投降を促す作戦を行い、投降した兵士らはチャンドラ・ボースをトップにした自由インド仮政府樹立を支援しています。また、ビルマ戦では、1940年より、中野学校出身者らの「南機関」が、ビルマ青年で編成した独立義勇軍と行動を共にして、日本軍との共同作戦を成功させています。他にも、「蘭印作戦」や「北朝鮮軍の創立」に中野学校出身者が関わった秘話も明かされています。
 つまり、植民地解放の陰には、このような日本の謀略が間違いなくあったのです。
 なお、インド独立の英雄、チャンドラ・ボースの銅像は、杉並区和田3丁目の蓮光寺に建立されています。このように、秘密戦士「陸軍中野学校」卒業生の功績は測り知れないものがあります。新設の陸上自衛隊情報学校に対して、戦前回帰極まれりなどと左翼マスコミは的外れの批判をしていますが、日本の防諜を推し進める重要な組織になると思われます。
■Nakano Spy School (1966) - Raizo Ichikawa 、「陸軍中野学校」

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