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2018年8月 1日 (水曜日)

鶴岡市の「セイショウコウサイ」

 子供のころ聞いた「加藤清正 戦に行くとき 米3升 持って0000_8050行ったとさ・・・」と大人のザレ唄が耳に残っています。後に知ったのですが、清正は常に腰に米3升と味噌を携帯して、常在戦場の姿勢を怠らなかったそうです。このように、九州・熊本が本拠地の加藤清正のことが、遠く離れた山形県庄内地方にも、いろんな逸話が残っている理由も後に知ったことでした。
 先日、鶴岡に住む親せきから電話で、「セイショウコウサイ(清正祭) 行って来た」と連絡がありました。清正公の命日(7月24日)に近い土日に、清正公・忠広公(清正公の嫡男)の慰霊が鶴岡市でも行われているのです。
   加藤清正と言えば豊臣秀吉の有力家臣として、秀吉に従って各地を転戦して武功を挙げ、賤ヶ岳の七本槍の一人としても知られています。後に、肥後の大名となりますが、秀吉没後は徳川家康側に付きKiyomasa_image2、関ヶ原の戦いでは東軍に荷担するも、嫡男・光広が諸大名の名前と花押を記した謀反の連判状のことが幕府に知れ、1632(寛永9)年、熊本の領地を没収され、庄内藩預かりの身となり、正応院とともに丸岡(現鶴岡市)に幽閉されています。その際、遺骨も熊本から持参し、鶴岡市丸岡の天澤寺境内に、後に清正閣と呼ばれる清正公の墓所を築いたとされます。
  また、清正公祭は熊本市の加藤神社でも、山形県鶴岡市と同じように7月24日に近い土日に行われているほか、日本中に加藤清正を祀る神社かあります。なお、鶴岡には加藤清正の子孫が経営する酒屋に冨士酒造と加藤嘉八郎酒造があるそうです。
加藤清正(かとう きよまさ)
生誕 永禄5年6月24日(1562年7月25日)
死没 慶長16年6月24日(1611年8月2日)
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。肥後熊本藩初代藩主。
墓所は、熊本市花園の発星山本妙寺の浄池廟と山形県鶴岡市丸岡の金峰山天澤寺にある。港区白金台の最正山覚林寺(清正公)に位牌。大田区の長栄山大国院本門寺(池上本門寺)に供養塔がある。なお、明治神宮は江戸初期には肥後藩・加藤家の下屋敷(後に井伊家に渡る)があった場所で、現在の「清正の井戸」は、清正が自ら掘ったとされています。

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