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2018年8月24日 (金曜日)

岩倉遣欧使節団とビスマルクの助言

 数年前からドイツ人と親戚が出来たことで、ドイツの話題をするGermanyimage4機会があります。
 まず、約10年も日本に住む親戚のドイツ人は、「ドイツの得意な分野は日本人も得意のようです。特に、製造業では几帳面で手抜きしない職人気質のプロが多く、約束もシッカリ守る点も共通している」と語っています。
 第二次世界大戦当時は、日独伊三国同盟を結び、共に甚大な戦災を受けますが、不死鳥のごとく早々に復興したことも世界から羨望の目で見られています。現在、日本にとってドイツはヨーロッパ最大の貿易相手国であり、ドイツにとってもアジア地域では中国に次ぐ貿易相手国です。
 両国の交流は江戸時代に遡り、1690年頃ドイツ人医師のケンペルの長崎滞在、幕末にはシーボルトがオランダ人と偽って長崎に滞在しています。医学用語が今でもドイツ語が多い理由は、このような接点からでしょう。また、1861年には、ドイツの前身・プロイセンと友好通商航海条約を締結しています。今回、紹介したいのは、岩倉遣欧使節団が1873年(明治6年)にドイツ帝国に到着し、ヴィルヘルム1世(ドイツ皇帝)に謁見し、更に、「鉄血宰相」の異名を持つ、ドイツ帝国首相のオットー・フォン・ビスマルク(1815年4月1日~1898年7月30日)と面会し、直々の助言を受けたことです。
 日本の政治家に、ビスマルクを尊敬する方々が多い理由でもあるはずです。
 以下はWikipediaからの引用です。
 明治6年(1873年)3月15日、ドイツを訪問中だった岩倉使節団がビスマルクから夕食会に招かれた。その席上ビスマルクは、0000img187101
 「貴国と我が国は同じ境遇にある。私はこれまで三度戦争を起こしたが、好戦者なわけではない。それはドイツ統一のためだったのであり、貴国の戊辰戦争と同じ性質のものだ。英仏露による植民地獲得戦争とは同列にしないでいただきたい。私は欧州内外を問わずこれ以上の領土拡大に興味を持っていない。」、「現在世界各国は親睦礼儀をもって交流しているが、それは表面上のことである。内面では弱肉強食が実情である。私が幼い頃プロイセンがいかに貧弱だったかは貴方達も知っているだろう。当時味わった小国の悲哀と怒りを忘れることができない。万国公法は列国の権利を保存する不変の法というが、大国にとっては利があれば公法を守るだろうが、不利とみれば公法に代わって武力を用いるだろう。」、「英仏は世界各地の植民地を貪り、諸国はそれに苦しんでいると聞く。欧州の親睦はいまだ信頼の置けぬものである。貴方達もその危惧を感じているだろう。私は小国に生まれ、その実態を知り尽くしているのでその事情がよく分かる。私が非難を顧みずに国権を全うしようとする本心もここにあるのだ。いま日本と親交を結ぼうという国は多いだろうが、国権自主を重んじる我がゲルマンこそが、最も親交を結ぶのにふさわしい国である。」、「我々は数十年かけてようやく列強と対等外交ができる地位を得た。貴方がたも万国公法を気にするより、富国強兵を行い、独立を全うすることを考えるべきだ。さもなければ植民地化の波に飲み込まれるだろう。」と語った。
 小国プロイセンを軍事力で大国ドイツに押し上げたビスマルクの率直な言葉は使節団に深い印象を残したようである。欧州各国は不平等条約の改正に応じる条件として、日本に万国公法に沿った法整備を行うよう外圧をかけていたが、ビスマルクだけがそれを否定する発言を使節団の前で公然と行ったからである。とりわけ大久保利通はビスマルクに強い感銘を受け、「新興国家ヲ経営スルニハ、ビスマルク侯ノ如クアルベシ。我、大イニウナズク」と書いている。また西郷隆盛や西徳二郎などに宛てた手紙の中でもビスマルクのことを「大先生」と呼んでいる。

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