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2018年8月に作成された記事

2018年8月30日 (木曜日)

障害者雇用は「総論賛成・各論反対」

 批判を恐れずに申せば、障害者雇用には「総論賛成・各論反対」の実態が見え隠れしてます。Image6もっと言えば、保育所、福祉施設、精神科病院、保育所などの嫌悪施設?と同列にあるとも言えます。かつての職場も現在の職場にも、車椅子利用の障害者が雇用されています。障害者雇用の段階では、「トイレの改善」「バリアフリー化」「オフィス改修」「専用休憩室」などのほか、障害者が使用する専用の机や椅子などを準備していました。それに、その方々には専門のサポーターが常に近くにいて、簡単な書類整理や郵便物の配布、コピー機操作の指導など、腫れ物に触るような扱いで接していると聞きます。
  通勤は車による送迎付きで、運転は家族なのでしょうが、まるでVIP並みの待遇です。某会社の三役は、会長、用務員、社長の運転手と揶揄されていましたが、これに身障者も加わりそうです。
  現在の雇用促進は、比較的余裕のある官庁や自治体、企業などに、本来の業務に支障がない程度に振り分けている感があります。これでは、いつまでも身障者が自立出来ないと思います。国の機関である省庁は勿論、競争の激しい企業では、心身ともに健康で優秀な人材で固めたいのが本音です。それを、選挙目当ての政治家が「福祉政策」「身障者との共生社会の実現」などの美名の元、競争の厳しい現場に身障者を押し付けては、その組織の生産性悪化は当然です。
 最近、中央省庁や国の機関で障害者雇用数の水増し問題が注目されています。きっと、健常者として採用した、その組織の職員が、後に、糖尿病や癌患者やうつ病など心身の健康を害した方々を水増しの数として計上していたことも考えられます。いずれにしても、今のように、障害者を、官庁や民間に小分けする制度より、国や県が新たに身障者の雇用を創出することで、お互いに気兼ねなく働ける会社や組織を目指して欲しいものです。

身体障害者雇用促進の歴史
昭和35(1960)年
身体障害者雇用促進法の制定
法定雇用率: 公的機関は義務、民間企業は努力目標
昭和51(1976)年
すべての企業に法定雇用率を義務化(納付金制度も施行)
当初の法定雇用率は1.5%
昭和62(1987)年
「障害者の雇用の促進等に関する法律」に改正
法の対象範囲を、身体障害者から、知的障害者や精神障害者を含む全ての障害者に拡大
平成10(1998)年
知的障害者の雇用の義務化
平成28(2016)年
事業主に障害者に対する差別の禁止・合理的配慮を義務化
平成30(2018)年
精神障害者についての雇用の義務化
改正障害者雇用促進法(No.461) 精神障害者の雇用義務化
  http://www.tokyo-np.co.jp/article/seikatuzukan/2013/CK2013080702000166.html

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2018年8月29日 (水曜日)

「自分に甘く他人に厳しい」マスゴミ

 とかく、人には「ああしろ、こうしろ」とうるさく指摘した0000mainichiり、厳しく批判していますが、自分では実践していないことはあるものです。その典型が今のマスゴミです
 ここのところ、障害者雇用の水増しが問題になっています。国土交通省や総務省などの中央省庁が障害者の雇用割合を42年間にわたり水増ししていた。障害者の雇用と自立支援を促進すべき先導役の信じがたい背信行為だと、マスゴミは一斉に批判しています。
 障害者の水増し雇用のことは、全くその通りで、とんでもない事です。
 しかし、それを批判している大手新聞社や通信社、テレビ局などのマスコミの実態も批判されています。マスコミ各社は、障害者雇用の現場や問題点、雇用の未達成率を事あるごとに取材しているのに、一様に自分のところは未達成だそうです。
 正にブーメラン、「他人に厳しく自分に甘く」、「後は野となれ山となれ」です。
 マスゴミは、政治家や芸能人のスキャンダル、相撲協会やボクシング協会、バスケットボール協会の不祥事、警察など公務員の不祥事などには飛びつき、大々的に取り上げるのに、自分のところ不祥事をニュースにすることは有りません。他人を攻めるなら、まず自分のところをチェックして、「隗(かい)より始めよ」です。
 これでは“ダブルスタンダード”の典型で国民から支持を得ることは出来ません。

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平和主義者が極めて暴力的な理由

 「平和を求める大衆の気分を利用しなれけばならない」と暴力革命家・レーニ0000w2sンは語り、また、平和主義は「戦争準備をおおう隠れみにすべき・・・」と国際共産主義のコミンテルンは述べています。
 さて、よく自治体の庁舎や街角には、“非核平和都市”や“平和都市宣言”などの看板を見かけます。そのような街に限って、共産党や社民、立憲など左翼議員がはこびり、職員や教師も自治労や日教組など共産党が指導した労組の組織率も高く活動が活発です。当然ながら、デモや集会においては、「平和」「反戦」「基地反対」などを口にしながら、警察や機動隊に口汚く罵声を浴びせたり、暴力的な違法行為も平気です。また、住民層にも「原水禁」や「九条の会」など何かしらの平和運動団体が組織され、中国・露・北鮮・韓国などの原発や原爆、ミサイル発射には反対せずに、日本の軍備増強やスパイ防止法制定には狂ったように反対します。
 いったい、平和宣言や平和主義の目的はどこにあるのでしょうか。
 やはり、平和主義はレーニンやコミンテルンが言うように見せかけで、その正体は、中国、北朝鮮、韓国等から強い影響を受けた「日本をダメにしたい工作員なのでしょうか。事実、日本国内には、宣伝・情報収集、破壊工作等の謀略目的の、留学生や企業社員、政治家、飲食店や風俗店員など、それを支援する日本人が多数把握されていると聞きます。
 繰り返しますが、数千万人の虐殺者を出したロシア革命の指導者・レーニンは、「我々は、大衆が平和から期待している幸福は、一連の革命なしに不可能であることを大衆に説明するために、平和を求める大衆の気分を利用する」と正直に語っています。また、国際共産主義組織「コミンテルン」は、平和主義は「戦争準備をおおう隠れみのから、戦争準備の最も重要な道具に変わる。」と強調しています。
 このことから平和を語る人ほど、実際は暴力的である理由を知ることが出来ます。
ロシア革命から100年。共産主義の犠牲者は1億人を超えようとしている

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2018年8月28日 (火曜日)

日米地位協定に不満なら憲法改正を

 横田基地にオスプレイ配備や日米地位協定に不満なら、憲2018_10_1_cv22法改正以外にないと知るべきです。在日米軍が10月1日に横田基地に輸送機CV22オスプレイ5機を正式配備すると発表したことから、左傾マスコミや国民は大慌てしているようです。
 この配備の根拠は、1952年4月28日発効の「日米安全保障条約」によって、米軍は陸海空軍の基地を日本中どこでも何ヵ所でも設定・維持することができ、その設定・維持に必要な物資および労務提供の便宜をうけ、その構成員、軍属、家族は治外法権を有し日本に裁判権がなく、かつ、日本政府の外国為替管理法に服さず、輸入関税の免除や出入国の自由などの特権を与えられ、占領期の法的状況がほぼ継続されることになったのです。
 つまり、現状では戦後の占領下の日本と何ら変わっていないのです。
 この不平等な元は、占領下に押し付けられた日本国憲法にあるのは当然です。
 建て前で上は軍隊を持てず、且つ、交戦権が無い「憲法9条」と、それを補完する「日米安保」、そして「日米地位協定」はセットにあることを理解する必要があります。勿論、こんな不平等な日米地位協定に不満を持つ国民は多いは当然ですが、いざ憲法改正の話になると、国防の見解の相違から二の足を踏む国民が多いのも事実です。
 総裁選に出馬するという石破茂議員も、「実は憲法9条と日米安全保障条約はセットだ。地位協定はその安保条約とセットで、まさしく一体のものだから、日本国憲法と日米安全保障条約、そして日米地位協定はセットにして理解しないといけない。」と語りますから、後は、憲法改正のエネルギーをどのように発揮出来るかです。
 保守陣営では、よく中国、ロシア、北朝鮮などの脅威を論じますが、アジア諸国ではベトナムやモンゴルなど日本より脆弱な国力や軍隊なのに十分に対応しています。日本も、国防の決意をシッカリ持てば、日本だけで十分可能と思います。

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昭和天皇に「戦争責任」はない

 「戦争責任」とはWikipediaに「戦時においてとった行動に対してとるべき責任のこと」とありますが、戦争に勝ったなら取らなくていいのか?定義は極めて曖昧です。
 8月23日 NHK総合・東京で「戦争責任めぐる苦悩・昭和天皇が周囲に
 昭和天皇が晩年、「細く長く生きても仕方がない。戦争責任の事を言われる」と戦争責任をめぐる苦悩を周囲に漏らしていたことが元側近・小林忍元侍従が記した日記からわかった。専門家は「昭和天皇が戦争責任の問題を長年重く受け止め、高齢になるにつれその思いが強くなっていたことがうかがえる」と分析している。
 と報じられ、まだまだ、天皇に責任を負わせたい報道機関があると知りました。
 昭和天皇は、戦後一気に左傾した報道や国民から聞こえて来る、定義の不明確な「戦争責任」という言葉に晩年まで苦しめられたのでしょう?00o1204203200_
  大日本帝国憲法第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあり、これが天皇の政治的・刑事的無答責のみならず、不敬の禁止、廃立の禁止を含意しているとされます。これは、明治憲法を立案した伊藤博文自身が日本国民に、初めての憲法を理解させるために著した『大日本帝国憲法義解』で述べていることです。
 同著による憲法第三条の解説では、
 「君主はもちろん法律を尊重しなければならないが、一方、法律には君主を問責する力はなく、不敬にもその身体に干渉したり冒瀆したりはできないのみならず、名指しで非難したり議論の俎上に乗せることもできない。」とし、
 (1) 天皇は憲法と皇室典範以外の法律の適用を受けない
 (2) 天皇について、公の場で議論したり非難することはできない
 と立案者自身が解説しているのですから、これで十分のはずです。
 また戦後、天皇陛下の戦争責任を問うと勇んで乗り込んだ東京裁判の判事もGHQも、一切、天皇責任を問うことはありませんでした。これは、「君臨すれども統治せず」という大原則をとる英国などの君主国の実態を知ったからとされます。
 いつまでも「天皇の戦争責任」などと報じたり、これに賛同する国民は、心が日本人でないことは確かです。なお、現在の日本国憲法第三条にも似た条文があり、『天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。』とあり、国事行為が天皇に責任が及ぶことを回避していることも知るべきです。

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2018年8月27日 (月曜日)

近衛文麿が東京裁判で証言していたなら

 もし、近衛文麿が荻外荘で青酸カリ自殺せずに、東京裁判で自らの責任を証言していたなら戦後の日本の立場も随分変わったはずです00009784779122491
 近衛は三度も内閣総理大臣に指名され、第一次内閣(昭和12年6月~14年1月)では盧溝橋事件から支那事変が泥沼化。第二次内閣(昭和15年7月~昭和16年7月)では日独伊三国同盟や日ソ中立条約を締結。尤も、近衛は学生時代から社会主義思想に共鳴し、共産主義の実践者・河上肇に学ぶため東京帝国大学から京都帝国大学に転学したほどのマルクス信奉者で軍国主義とは無縁の人でした。
 近衛内閣の側近には、ゾルゲ事件の首謀者で朝日新聞の尾崎秀実がいたり、近衛内閣で、戦時経済統制を強化し総合的な国策企画にあたるため設置した内閣直属の企画院で、治安維持法違反で大量検挙検挙された企画院事件が発覚したり、コミンテルンに直結した00000003人物が相当いたとされ、南方進出政策など近衛内閣で決定した重要事項はソ連に筒抜けになっていたのです。
 「近衛上奏文」は、1945年(昭和20年)2月14日、これらを振り返り、反省しながら、戦争の早期終結を天皇に奏上した内容ですが、文面には社会主義者の面影は消えています。上奏文は敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候で始まり、英米の世論などの情勢判断や、敗戦の混乱に伴う共産革命を恐れなどを上奏しています。要約すると、
①大東亜戦争は革命を目的とする軍の一味の計画によるものであること
②共産革命を目的とした官僚や民間有志がこれを支援していること
③「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のためであること
④陸軍将校には、ソ連軍や中国共産党と手を組むことを考える者もいること
 などと、陸軍内に共産主義者が存在し、敗戦を利用して共産革命を狙っていると結論づけ、共産主義者の戦争犯罪を暴いたのが近衛上奏文だったのです。
 説得力あることばかりで、極東国際軍事裁判で証言して欲しかったことでした。
原文   http://royallibrary.sakura.ne.jp/ww2/text/konoejousou.html
読み下しhttp://www.geocities.jp/since7903/zibiki/ko.htm#konoezyousyoubun
 なお、杉並区は、近衛文麿元首相の旧邸、荻窪2丁目「荻外荘(てきがいそう)」から、豊島区に移築されていた応接間などを、荻窪に再び戻して見学出来るように整備するそうです。
■特別番組「真実の日米開戦隠蔽された近衛文麿の戦争責任
倉山満 宮脇淳子 内藤陽介
   https://youtu.be/cixLtXw1W8U  

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2018年8月26日 (日曜日)

一日二食で健康増進中です

 ここ数年は嘱託の軽微な仕事で、且つ、午後からであり、食事は午前11時ころに朝食と000025938f479昼食を一緒にしてから出勤しています。夕食は午後7時ころで、翌日の午前11時まで、約16時間は何も食べていません。朝食はブレックファスト(Breakfast)、断食を破るといわれますが、慣れれば空腹を感じることも少なく、健康状態も風邪一つ引かず極めて良好です。
  ところで、一日三食の食習慣が日本に普及したのは、明治政府による富国強兵の一環として「軍隊には1日3食の提供」のPRがキッカケでした。その前段には、「近代栄養学の父」とされるドイツのカール・フォイト(1831~1908)の肉食など動物性食品による、高エネルギー・高タンパク・高脂質・低糖質・動物食中心の食事が身体に良いとする欧米食に触発されたようです。000204203200_
 そして日本の庶民に1日3食が広まったのは昭和時代からで、世界初の栄養学校「佐伯栄養専門学校」を鎌田に大正13年に開校した佐伯矩(ただす)博士(1876年9月1日~1959年11月29日)の「人も国も食の上に立つ」という考えがあったようです。
 ところが、フォイトの近代栄養学に異を唱えたのが、1977年、米国のマクガバン上院議員らによる「5高食品から5低食品へ」と説くマクガバンレポートでした。近代栄養学を全て否定し、逆に、1低カロリー 2低タンパク 3低脂肪 4低砂糖 5低精白によって健康は改善するとし、これにより、スリムで健康、且つ、医療費も激減すると説くと、見事に各業界から葬られています。理由は、業界からのブーイングであり、食品業界は「食品業界売り上げが半減する」、マスコミは「スポンサーが不景気になっては広告収入の激減する」、又、医療業界からは、「病人が減ったら病院も製薬会社も困る」と言うから面白い話です。
 それが最近、アメリカではビーガン (絶対菜食主義) やベジタリアン (完全菜食主義) が増えており、日本食が身体に良いと評価されています。それなのに、日本では、まだまだ肉食や牛製品など、高カロリー、高タンパク、高脂肪、高砂糖が礼賛されていますから皮肉なものです。

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2018年8月25日 (土曜日)

奴隷兵?扱いの虞がある自衛隊

 自衛隊の発足は、朝鮮戦争で米軍の犠牲者が増加すると、米軍を補完するた00000295_wめに編成された経緯からも、誕生当時から米軍の傭兵、或いは、奴隷兵として運用される運命にありました。
 昭和25年6月、朝鮮戦争が勃発すると、昭和25年8月10日、米軍の後衛として組織されたのが警察予備隊でした。名称の通り各警察署で募集され、都内では小平の警察学校で編成し訓練しています。そして、朝鮮戦争(1950年6月25日~1953年7月27日)が泥沼化し、米軍の犠牲者が激増すると、日本にも再軍備を命じて、米軍と共に戦わせるため重武装化する方針が提示されました。これに、吉田茂首相が憲法9条の戦争放棄、戦力不保持、交戦権が無いことを盾に拒否したことで、朝鮮戦争やベトナム戦争に参戦しないで済んだと同時に、明確な国防軍としての自衛隊の誕生や、憲法改正のチャンスを失したと批判もされます。
 きっと、「奴隷兵とは酷い」と反論がありそうですので、先に押さえますが、植民地支配された国民は奴隷兵になるのは常識でした。英国・仏国・蘭国など宗主国に支配された000000000020_sr228320_アジアの従属国では、多くの奴隷兵が強制的に編成されています。事実、米軍が支配したフィリピン戦では、フィリピンの奴隷兵が最前線で日本軍と闘い、その奴隷兵が全滅すると、米軍がノコノコ出て来て早々に白旗を上げています。このような戦い方は、インド、マレーシアなど何処でもあった話です。特に米軍は、ガ島、ビアク島、ペリリュー島、サイパン島、硫黄島、沖縄戦などでも、まず中南米・カリブ海地域から移民したヒスパニック系兵や、アフリカから奴隷として連れて来た黒人の子孫である黒人兵を最前線に出して日本軍と戦わせ、概ね戦況が治まった後に白人兵が上陸したと言われています。
 この場合、白人米兵が督戦隊でありヒスパニック系や黒人兵は奴隷兵です。
 きっと、吉田茂首相はこのような米軍の戦法を熟知していたからこそ、憲法9条を楯に、朝鮮戦争に自衛隊の投入を拒否したことは正しい判断でした。しかし、交戦権を放棄した占領憲法の改正のチャンスを失した弊害も大きいことでした。
 現在でも、米兵が督戦隊であり自衛隊が奴隷兵という上下関係にある証拠に、日本国内何処でも基地を造れる日米0000001204203200_地位協定の存在や、戦争になったら自衛隊は米軍の指揮下に入るという指揮権密約、常に米軍より性能が劣る兵器を持たされ、もし日米が交戦したなら必ず米軍が勝つ運命にあるなど随所にあります。これも屈辱的な憲法が原因であり、日本人としての誇りを一日も早く取り戻すには、また真の独立国なら日本人による憲法改正が必要です。よく中国などの侵略の脅威を論じますが、アジア諸国ではベトナムやモンゴルなど日本より脆弱な国力や軍隊なのに十分に対応しています。
 日本だって、国防の決意をシッカリ持てば、日本だけで十分可能と思います。
■芥川賞受賞者の火野葦平氏従軍記
 陸軍報道班員手記 昭和17年7月(GHQ焚書図書開封より)
 「やがて奇妙な捕虜の一団に眼をとめられた。十人ほどの比島兵(フィリピン人兵)が一人の米将校を縛し、こづきまわしながら、近づいてくるのであった。大兵のその米将校は大尉の肩章をつけていたが、不愉快そうに渋面をつくっていた。ちょび髭生やした戦闘の比島兵は、これは米兵の督戦隊長ですといった。こいつがわれわれを前線に出して、うしろから督戦するので、われわれは仕方なく戦わねばならなかった」
※「督戦隊」とは、軍隊において、自軍部隊を後方より監視し、自軍兵士が命令無しに勝手に戦闘から退却或いは降伏する様な行動を採れば攻撃を加え、強制的に戦闘を続行させる任務を持った部隊のことである。(Wikipedia)

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2018年8月24日 (金曜日)

岩倉遣欧使節団とビスマルクの助言

 数年前からドイツ人と親戚が出来たことで、ドイツの話題をするGermanyimage4機会があります。
 まず、約10年も日本に住む親戚のドイツ人は、「ドイツの得意な分野は日本人も得意のようです。特に、製造業では几帳面で手抜きしない職人気質のプロが多く、約束もシッカリ守る点も共通している」と語っています。
 第二次世界大戦当時は、日独伊三国同盟を結び、共に甚大な戦災を受けますが、不死鳥のごとく早々に復興したことも世界から羨望の目で見られています。現在、日本にとってドイツはヨーロッパ最大の貿易相手国であり、ドイツにとってもアジア地域では中国に次ぐ貿易相手国です。
 両国の交流は江戸時代に遡り、1690年頃ドイツ人医師のケンペルの長崎滞在、幕末にはシーボルトがオランダ人と偽って長崎に滞在しています。医学用語が今でもドイツ語が多い理由は、このような接点からでしょう。また、1861年には、ドイツの前身・プロイセンと友好通商航海条約を締結しています。今回、紹介したいのは、岩倉遣欧使節団が1873年(明治6年)にドイツ帝国に到着し、ヴィルヘルム1世(ドイツ皇帝)に謁見し、更に、「鉄血宰相」の異名を持つ、ドイツ帝国首相のオットー・フォン・ビスマルク(1815年4月1日~1898年7月30日)と面会し、直々の助言を受けたことです。
 日本の政治家に、ビスマルクを尊敬する方々が多い理由でもあるはずです。
 以下はWikipediaからの引用です。
 明治6年(1873年)3月15日、ドイツを訪問中だった岩倉使節団がビスマルクから夕食会に招かれた。その席上ビスマルクは、0000img187101
 「貴国と我が国は同じ境遇にある。私はこれまで三度戦争を起こしたが、好戦者なわけではない。それはドイツ統一のためだったのであり、貴国の戊辰戦争と同じ性質のものだ。英仏露による植民地獲得戦争とは同列にしないでいただきたい。私は欧州内外を問わずこれ以上の領土拡大に興味を持っていない。」、「現在世界各国は親睦礼儀をもって交流しているが、それは表面上のことである。内面では弱肉強食が実情である。私が幼い頃プロイセンがいかに貧弱だったかは貴方達も知っているだろう。当時味わった小国の悲哀と怒りを忘れることができない。万国公法は列国の権利を保存する不変の法というが、大国にとっては利があれば公法を守るだろうが、不利とみれば公法に代わって武力を用いるだろう。」、「英仏は世界各地の植民地を貪り、諸国はそれに苦しんでいると聞く。欧州の親睦はいまだ信頼の置けぬものである。貴方達もその危惧を感じているだろう。私は小国に生まれ、その実態を知り尽くしているのでその事情がよく分かる。私が非難を顧みずに国権を全うしようとする本心もここにあるのだ。いま日本と親交を結ぼうという国は多いだろうが、国権自主を重んじる我がゲルマンこそが、最も親交を結ぶのにふさわしい国である。」、「我々は数十年かけてようやく列強と対等外交ができる地位を得た。貴方がたも万国公法を気にするより、富国強兵を行い、独立を全うすることを考えるべきだ。さもなければ植民地化の波に飲み込まれるだろう。」と語った。
 小国プロイセンを軍事力で大国ドイツに押し上げたビスマルクの率直な言葉は使節団に深い印象を残したようである。欧州各国は不平等条約の改正に応じる条件として、日本に万国公法に沿った法整備を行うよう外圧をかけていたが、ビスマルクだけがそれを否定する発言を使節団の前で公然と行ったからである。とりわけ大久保利通はビスマルクに強い感銘を受け、「新興国家ヲ経営スルニハ、ビスマルク侯ノ如クアルベシ。我、大イニウナズク」と書いている。また西郷隆盛や西徳二郎などに宛てた手紙の中でもビスマルクのことを「大先生」と呼んでいる。

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2018年8月22日 (水曜日)

「陸軍中野学校」のこと。

 静岡県駿東郡小山町の富士駐屯地に、今年4月、陸上自衛隊情報0000050が新設され、「陸軍中野学校」の再来かと注目されています。
 さて、「陸軍中野学校」のことが世間に注目されたのは、昭和49年、フィリピンのルバング島から帰国した小野田寛郎陸軍元少尉が陸軍中野学校二俣分校出身だったことからでした。その以前も、1966年公開の市川雷蔵主演の「陸軍中野学校」もありましたが、当時は観ていませんでした。 更に注目されたのは、故金正日書記長は映画好きで一連の『陸軍中野学校』の映画を、北朝鮮の元工作員、安明進氏は教材として何度も見せられたという証言から、その存在は今も生きていると知らされています。
  「陸軍中野学校」出身者は、白人から植民地支配されていた、インド、ビルマ、タイ、マレー、インドネシア等々の亜細亜各地に交替しない駐在武官として送り込まれ、正に、その国の「」になって民族解放のために活動することを命じられ、日本軍が敗北したなら、残置諜者としてゲリラ戦等を企て独立を謀るという任務があったことは、小野田少尉のことから知るのでした。
 他にも、1941年12月8日からの「マレー作戦」では、中野学校出身者らによる「F機関(藤原機関)」が、インド人兵士に投降を促す作戦を行い、投降した兵士らはチャンドラ・ボースをトップにした自由インド仮政府樹立を支援しています。また、ビルマ戦では、1940年より、中野学校出身者らの「南機関」が、ビルマ青年で編成した独立義勇軍と行動を共にして、日本軍との共同作戦を成功させています。他にも、「蘭印作戦」や「北朝鮮軍の創立」に中野学校出身者が関わった秘話も明かされています。
 つまり、植民地解放の陰には、このような日本の謀略が間違いなくあったのです。
 なお、インド独立の英雄、チャンドラ・ボースの銅像は、杉並区和田3丁目の蓮光寺に建立されています。このように、秘密戦士「陸軍中野学校」卒業生の功績は測り知れないものがあります。新設の陸上自衛隊情報学校に対して、戦前回帰極まれりなどと左翼マスコミは的外れの批判をしていますが、日本の防諜を推し進める重要な組織になると思われます。
■Nakano Spy School (1966) - Raizo Ichikawa 、「陸軍中野学校」

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2018年8月19日 (日曜日)

厭戦思想は国防の足を引っ張る

 「保ち守る」と書いて保守と言いますが、最近の日本は戦争への反00動からか、国民全体が左へ傾き過ぎてバランスが崩れ、中央辺りが右翼に見られています。それに加えこの頃では、「あの戦争は思い出すだけで辛くなる」、「戦争は二度と嫌だ」とする厭戦(えいせん)気分や厭戦思想が国民に蔓延し、国防意識を著しく低下させています。
 これは、正に敵を喜ばすだけの利敵行為です。
 最近、このブログに「空襲のことを書いて広めて欲しい」とコメントがありました。もちろん、東大和の日立航空周辺の空襲、八王子空襲、湯の花トンネル列車銃撃、立川市富士見町5丁目の山中坂の悲劇等々を知っていますが、これを必要以上に取り上げることは、厭戦気分を高めると同時に、憎しみを高める効果もあり、逆に危険になることを忘れてなりません。
 昨日に続いて拓殖大学の吉原恒雄元教授の記事を引用しますと、
 毎年夏が近づくと、「戦争」や「平和」という表現が新聞やテレビなどのマスメディアに溢れます。戦争への反省や戦争の悲惨さを語り継ぐ必要性を強調されます。それでは、戦争の悲惨さを語り継ぐだけで、本当に平和の維持に役立つのでしょうか。厭戦の風潮が強まり、戦争への備えを軽んじれば、逆に侵略の対象になりがちなのは論拠があります。国民の多くが侵略を防ぐ気概を持たない国に対して、国家間の紛争を解決する手っ取り早い手段として軍事力の行使が採用されるからです
 とあり、同感です。
  日本周辺は昔から虎視眈々と日本を狙う国々があります。約740年前の元寇では、日本本土が2度も侵略を受けました。「ウラジオストック」は「東を征服せよ」であり、ロシアはクリミアを簡単に併合したように今も日本を狙っています。中国もウイグル、南沙諸島を我がものにして、次は尖閣・沖縄を狙っている現実があります。北朝鮮のミサイル威嚇の現実、韓国の反日教育や竹島を侵略の現実も忘れてはなりません。
 我が家の戸締り同様に、シッカリと国を守る国民の決意が大切と思います。

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2018年8月18日 (土曜日)

悲惨さを語り継ぐだけでは平和は守れない

 「日本時事評論」は、山口市に本部を置き毎月第1・第3金曜日に発行する保守系00060059_2新聞です。その中に、元拓殖大学の教授吉原恒雄(1940年1月8日~)氏が「国際社会を見る目」と題して、「国民が国防の気概を失った国は危うい」、「悲惨さを語り継ぐだけでは平和は守れない」との副題で投稿しています。目を通しますと、「厭戦の風潮が強まり、戦争への備えを軽んじる。逆に侵略の対象になりがち・・・・」など、納得いく意見ばかりでしたので引用させていただきます。
 「国際社会を見る目」元拓殖大学 吉原恒雄
 毎年夏が近づくと「戦争」や「平和」という表現が、新聞やテレビなどのマスメディアに溢れます。戦争への反省や戦争の悲惨さを語り継ぐ必要性を強調されます。それでは、戦争の悲惨さを語り継ぐだけで、本当に平和の維持に役立つのでしょうか。201883_image1
  振り返れば、第一世界大戦は、1918年12月に終わりましたが、21年後の1939年には第二次世界大戦が勃発しています。つまり、欧米の主要国の過半数の国民は悲惨な体験をしているにもかかわらず、短期間で更に悲惨な第二次世界大戦は始まっています。戦争体験は語り継ぐだけで平和につながるとは限りません。逆に戦争を誘引した側面もあるとされます。われわれは人生において困難に直面したり、大失敗したりした場合、それに挫けてやる気を喪失して、社会から脱落する人がいます。しかし、逆に大失敗等を反省材料に、新たな事態に積極果敢に取り組んでいく人もいるでしょう。戦争の悲惨さを語り継ぐだけでは「平和」に行き着くとは限りません。厭戦の風潮が強まり、戦争への備えを軽んじれば、逆に侵略の対象になりがちなのは論拠があります。国民の多くが侵略を防ぐ気概を持たない国に対して、国家間の紛争を解決する手っ取り早い手段として軍事力の行使が採用されるからです。歴史上、立派な文化・文明を残した民族でも、戦いに敗れたり、大災害に対応できなかったりして消滅した例は少なくありません。
 また、この季節になると「大東亜戦争は、侵略行為だった」と、わが国への非難が蒸し返されます。明治以降の日本は、戦争ばかりしてきた侵略国家と断罪されます。誤った歴史認識を植え込む教育が、若者の国家観を歪める原因となっています。
 米国は日本占領下で、日本は侵略を繰り返してきた国家と断罪しました。
 極東軍事裁判の判決ばかりでなく、日本の全ての新聞が掲載を強要された連載「太平洋戦争史」やNHKが放送した「真相はかうだ」(後に「真相箱」として書籍を発行)、更には米国国務省編の「平和と戦争」など歴史を歪曲したものが日本人向けに次々に発行されました。この歴史書を偽装した宣伝謀略書が未だに国内で受け入れられ、伝承され、今日の教育に悪影響を与えています。多くの日本人は誤解していますが、大東亜戦争は(米国は「太平洋戦争」と呼称)は、昭和20年8月に終わったのではありません。国際法上、サンフランシスコ平和条約が発行した昭和27年4月までは、戦争は継続していたのです。第一次世界大戦以降、戦争は国家が保有するすべての能力を駆使して戦うようになっています。情報戦も重要になってきました。戦時国際法が適用される占領下に日本人に押し付けられた歴史解釈も、日本弱体化のための情報戦という戦争の一環だったのです。従って、その内容が学問的に見て正しいか否かは問われないのです。それを真に受けて未だに伝承している方が愚かだということになります。「日本は戦争ばかりしてきた」というのは事実でしょうか。米国が政治、法律、人文などの学界の総力をあげて取り組んだ「戦争の研究」という1千6百頁余の大著が第二次世界大戦前にまとめられました。有名な国際法学者であるQ・ライト教授が著作者代表となっており、米国学界の伝統である実証的な内容の書籍です。この中に、世界の主要十五か国が1480年から1941年までの461年間に戦争に関与した回数を集計しています。一番多く戦争に関与したのは英国で78回。次いでフランス(71回)、スペイン(64回)、ロシア(61回)、オーストリア(52回)が多くの戦争に関与してます。日本はたったの9回と一桁で、15か国の中で最低です。ドイツやイタリアも、日本同様に戦争回数の多い好戦国と誤解されていますが、それぞれ23回、25回とむしろ少ない方です。
米国が13回と少ないのは、英国から独立したのが1776年だからです、それに米大陸の原住民(インディアン)との戦いは、近代国家を形成していなかったので統計に入っていません。支那は意外にも12回ですが、共産党政府になってからは、侵略や戦争を繰り返しています。
 「歴史に学べ
 日本の軍国主義の背景らは天皇制がある。これを打倒しなければ真の平和国家・日本にはならない」と主張する左翼学者たちもいるようですが、いかがでしょうか。
 この点についても「戦争の研究」は前述のデータ等を踏まえて、「統計を民主主義国家が君主国よりも戦争に関与することが少ないということを示す論拠として利用できない」と説明しています。

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2018年8月16日 (木曜日)

明治維新は「革命」かクーデタか

 大河ドラマ「西郷どん」では、石橋蓮司が演じる薩摩藩出身の書家・川口雪篷(せっぽう)は、流刑地の沖永良部島から西郷隆盛が薩摩にCe43帰るとき「革命」の旗を振って見送っていました。これは、NHKは明治維新を「革命」と定義しているからでしょうか。
 デジタル大辞泉によると「革命」とは、「被支配階級が時の支配階級を倒して政治権力を握り、政治・経済・社会体制を根本的に変革すること。」とあります。また「クーデター」は「国家に対する一撃」という意味があり、「既存の支配勢力の一部が非合法的な武力行使によって政権を奪うこと。支配階級内部での権力移動である」とされます。
 つまり、革命は 「ロシア革命」「フランス革命」などの「暴力革命」に代表されるように、貴族階級や大資本家などの支配階級に対して、被支配階級の農民や労働者階級の蜂起によって体制の転覆を謀るものが一般的です。これに対して、クーデターは、未遂に終わった「2.26事件」のように、支配階級内部の権力争奪のはずです。よって、「明治維新」も、徳川という軍事政権を薩長土肥の武士らが武力で崩壊させたのだから、明治政府は軍事クーデターで誕生した政権とするのが自然です。NHKが0000000s58明治維新を「革命」と定義したいのは、1917年の「ロシア革命」から100周年を迎えましたが、これを1867年の明治維新から150周年と重ねて回顧したいのでしょう。
  なお、島から戻った川口雪篷は、その「革命」と書いた布を風呂敷にして西郷邸を訪問させて演出していますから、念の入れようです。その雪篷は、沖永良部島から薩摩に戻った後は、亡くなるまで西郷家に居候して、西郷家が女所帯になった後は留守居役を務めつつ、西郷の子弟の教育にも当たり、明治23年7月2日73歳で、西郷の復権を見届けて亡くなっています。

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2018年8月14日 (火曜日)

歴史には「正史」と「稗史」がある

 歴史には「正史」と「稗史(はいし)」がありますが、正しい史と書いても、正し00002596b2い訳ではありませんし、逆に、稗史の方に真実が多いとされます。歴史は勝者によって作られるもので、殆どが戦争に勝利した者が、自らの正当性を主張するために歴史を編纂しており、これを国民も正しいと思い込んでいます
 「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」とは、中国大陸を制した秦の始皇帝の時代の思想弾圧で、書を燃やし、儒者を坑するの意味です。中国大陸は漢民族の「漢、普、隋、唐、宋、明」の時代以外は、モンゴル系の「」、満州族(女真族)の「」など、異民族の侵略で民族が入れ替わっています。つまり、支配者が変われば前の記録や文書は全て必要ないもので、征服者は異民族ですから、異民族の歴史、文化、伝統など無価値です。
 奪う物は、国土と田畑、食糧、黄金・宝石など金目のものと、男は子供でも全て虐殺して、女は自分達民族の子供を産ませるだけです。
 もちろん日本を占領した異民族のGHQも、東條英機元首相らA級戦犯7人とBC級戦犯54人を主に絞首刑という勝者による私刑に処し、貴重な美術品や文化財など大量略奪、気に入らない政治家や文化人を失脚、且つ、剣道や歌舞伎、神道など伝統文化を規制、更にGHQから見て有害と認めた図書を焼却・没収しています。
 それにGHQは、日本をキリスト教国にしようと大量に宣教師を送り込んでおり、その一人のクエーカー教徒のヴァイニング夫人は、明仁皇太子の家庭教師も務めキリスト教の精神を学んでいます。今では多くの皇族が、学習院以外のキリスト系の学校へ進学するなど、強い影響下にあります。戦後73年、そろそろ日本人も一方的な「勝者の裁きの東京裁判」によって歪められた歴史を見つめ直して欲しいものです。
■【新春特別対談】渡部昇一氏に聞く、グローバリストと東京裁判史観[桜H28/1/1]   https://youtu.be/ZP4DYLPK6ng
 

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2018年8月13日 (月曜日)

日本はアジア独立運動の一大拠点

 戦前、亜細亜諸国の革命家は、植民地支配の弾圧から逃れて、殆どが日本に結集した20_image1、一大拠点、梁山泊だったのです。
 白人から400年近く植民地支配され虐待と搾取に喘いだアジアの国々では、「民族独立の夢」を抱いた民族解放の志士たちは、アジアで唯一の独立国である日本に結集し、一大拠点として虎視眈々と独立を目指して活動していたことは余り知られていません。
 きっと、「日本は最高にいい国だった」ことが知られたら困るのでしょう。
 後に祖国から「独立の英雄」、「建国の父」として称えられた人々として、
インドのチャンドラ・ボース
インドネシアのスカルノ初代大統領
フィリピン独立の父、ベニグノ・ラモス、アルテミオ・リカルテホセ・リサール
中国の孫文汪兆銘(おう ちょうめい)、
韓国の金玉均(キム・オッキュン)、
ベトナム阮朝(ぐえんちょう)の皇族・クォン・デ侯
マレーシアのラジャー・ダト・ノンチック(元マレーシア上院議員)らが有名です。
 そして、この革命家達に金銭面や自宅を提供して、物心両面で支援したのは、慶應義塾の創設者でアジア開国の父・福沢諭吉、アジア主義者で玄洋社の総帥・頭山満、大アジア主義者で内閣総理大臣当時に五・一五事件で暗殺された犬養毅、「中村屋のボース」ことラス・ビハリ・ボースを匿った新宿中村屋の相馬愛蔵、大日本生産党総裁の内田良平、東亜経済調査局附属研究所(大川塾)の大川周明らが知られています。きっと日本も、植民地支配の実態や国民の革命の機運の高まり、そして、日本に何を期待するのかなどを情報収集していたはずです。
 なお、革命家の中で都内に銅像があるのは、「フィリピン建国の父」ホセ・リサールの銅像は日比谷公園に、「インド建国の父」のチャンドラ・ボースの銅像は、杉並区和田3-30-20にある日蓮宗の蓮光寺にあります。また、インドの国会議事堂には 真ん中がチャンドラ・ボース、右にガンジー、左にジャワハルラール・ネルーの写真が飾ってあることや、1993年発行0000000025822295952のインド国民軍(INA)の記念切手には、閲兵するチャンドラ・ボースが描かれていることも知って欲しいことです。
 時には、日本に本格的なインドカレーを伝えた「中村屋のボース」ことラス・ビハリ・ボースを偲んで新宿中村屋でカレーを食べて、更に、丸の内線に乗って東高円寺で下車して蓮光寺に参拝して、インドの独立に貢献した二人に想いを馳せることも、日本が、なぜ大東亜戦争を戦ったかを知る機会になると思います。そして、GHQや日教組、マスコミなどから洗脳されて、「日本は悪い国、侵略国家」とする、自虐史観の誤りに少しは気づいて欲しいものです
■ラジャー・ダト・ノンチック(元マレーシア上院議員)の言葉 
 「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍をみたときに、今まで感じたことの無い興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです」

■【討論】もし大東亜戦争の開戦が無かったら?[桜H30/8/11]      https://youtu.be/mZ0_wOxSUyY

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2018年8月12日 (日曜日)

人類史に刻まれる植民地解放の功績

 かつて「七つの海を支配」した英国は世界最強の海軍と戦艦を保有し00_british_empire_1921ていました。
 そして、インド、オーストラリア、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、ニューファンド(南アフリカ) など、みんなイギリス帝国の植民地だったのです。
 このように七つの海を支配し、「太陽の沈まない国」と讃えられた大英帝国が誇る海軍旗艦「プリンス・オブ・ウェールズ」は、1941年(昭和16年)12月10日のマレー沖海戦で、日本軍から撃沈されたことは、白人による有色人種の植民地支配の終焉を象徴していました。
 そして、「大英帝国は大日本帝国に負けた!」から植民地を手放したのだと、英国人ジャーナリストヘンリー・ストークスが語っています。自分の住む国「英国」が植民地を失って斜陽化した現実を直視した著者こそが、真のジャーナリストと思います。それなのに、日本の政治家や国民の多くは、いつまでも自虐史観教育によって洗脳されたままで、ただ「日本が悪かった」とうな垂れるままです。なお、戦後はイギリスだけでなく、オランダ、フランスなど殆どの白人国家もアジアの植民地支配を諦め、欧州の片隅に追いやられ、経済が立ち行かなくなった現実があります。そして、7月17日に署名した「日EU経済連携協定(EPA)」は、EU(欧州連合)が日本に助けを求める姿に見えます。
 いずれ、人類史に日本よる植民地解放の功績がハッキリと刻まれるはずです。
大東亜戦争は日本が勝った─英国人ジャーナリスト ヘンリー・ストークスが語る
「世界史の中の日本」
  https://youtu.be/_wDOff6My-s

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2018年8月10日 (金曜日)

「植民地解放の父」大川周明

 山形県酒田市の下日枝神社の山王鳥居を抜けた右側に、「大川00002595_2明博士顕彰碑」があります。大川周明は、 山形県西荒瀬村藤塚(現・酒田市藤塚元和里)で、医師の父・周賢と母・多代女の長男として1886年に誕生しています。愚妻は、この生家の前が通学路だったのに大川周明のことに全く知識がありません。妻だけでなく、兄弟や親戚筋も殆ど知りませんでした。つまり郷里では、学校や地域からも無視された人物なのです。その理由は、戦後の「東京裁判」で民間人として唯一A級戦犯で起訴されるも、法廷で奇声を発したり、東条英機の頭をはたくなどから、精神障害として不起訴になっていますから、戦後の自虐史観教育の中では、郷里の偉人として讃えるには相応しくないと思っているのでしょう。
 あらためて紹介しますと、大川周明は最近では「アジア植民地解放の父」と讃えられますが、時には、左翼・右翼・民族主義などの可笑しなレッテルが貼られています。確かなことは、日米開戦の7日後の1941年12月14日から25日には、NHKラジオで国民に向けて連続講演を行っていることです。今の時代で例えるなら、物知りの評論家らがテレビで、日米開戦の意義を国民に分かり易く解説したということです。0000251204203200_
 この連続講演をもとに、1942年1月に出版されたのが、大川周明の『米英東亜侵略史』です。この著書では、15世紀に始まる西欧白人のアメリカ大陸、アジア大陸、オーストラリア大陸への侵略史を知る必要があると述べ、ポルトガル、スペイン、オランダ、フランス、更に、イギリスの世界支配や最終的にアメリカへの覇権が移ったことを述べて、白人による有色人種支配を批判しています。大川周明が、民間人で唯一A級戦犯に指定されたのは、この著書や言動がアメリカなど連合国の気に障ったからのはずです。
 このような志の高い人物を日本人が、左翼・右翼・民族主義などとレッテルを貼る理由は、日本人自体が大東亜戦争の評価に揺れ動いている現実からのはずです。
 結局は、日本によるアジア解放の志は道半ばで斃れますが、日本人が白人相手に戦う姿勢から、アジア諸国も植民地支配から独立に目覚めたのでした。そして、大川周明が亡くなる1957年(昭和32年)12月24日ころまでには、アジア諸国も殆どが独立しています。その後はアジアに止まらず、アフリカ諸国も殆どが独立し、更に、キング牧師による黒人差別撤廃運動や、オーストラリアの先住民族の保護名目のアボリジニの人種隔離政策の撤廃運動などが起きています。これらは、大川周明に代表される、日本人の高い志が実ったことであり、大川周明も「考えた通りになった」と草葉の陰(目黒不動瀧泉寺墓地)でほくそ笑んでいるはずです。

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2018年8月 9日 (木曜日)

これらの施策は韓国を見習え!

 今年の夏は日本同様に、韓国でも暴炎と呼ぶ猛暑が続いていることから、韓国政府は「000025863mc房の使用は基本的な福祉」として、7~8月の住宅用電気料金を引き下げるそうです。値下げで生じる減益分の273億円は韓国政府が予算補填ですから国民から支持されるはずです。このように時々、関心する政策を打ち出すことがあります。このブログでも、韓国の性犯罪者の「去勢刑」や、パチンコの全面禁止などは、日本も見倣って欲しいと思って配信しています。
さすが宦官の国!性犯罪者は「去勢」刑: 多摩湖畔日誌
日本も「パチンコ禁止」を目指せ!: 多摩湖畔日誌
 特に、「日本1: 韓国53」という高い性犯罪被害率の韓国では、性犯罪者の「去勢刑」を実施しています。2008年現在、「去勢刑」を実施しているのは米国の8つの州、及びスウェーデン、デンマークだけで、導入検討国はポーランドです。韓国では性犯罪者にGPS付きの監視も既に実施しており、去勢刑も国会の採決は賛成131票、反対は13票で、世論も75%が賛成しており2011年からで実施です。
  また、韓国のパチンコ店は、総店舗数約1万5,000店、総売上高は00002543c約3兆円もありましたが、2006年に前面禁止しています。禁止した理由は、ギャンブル依存症による家庭崩壊、勤労意欲の喪失、犯罪の元凶、車の中に子供の放置など数々の問題が指摘されたからで、
日本人のようなパチンコ漬けになるな!」という反面教師からでした。このような、「冷房使用は基本的福祉として予算補填」、「性犯罪者の去勢刑」、「パチンコの禁止」などの良い政策は、日本もマネをしてでも迅速に実施すべきと思います。

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2018年8月 8日 (水曜日)

世界の指導者も評価する大東亜戦争

  今年5月に、マレーシアで92歳のマハティール首相が返り咲き00267057ました。同首相は、「もし日本がなかりせば」アジアはいまだに欧米の植民地状態であっただろうと演説しています。
 戦前の国際社会は、白人による有色人種の植民地支配、人種差別、人権侵害は当然の世界でした。辛うじて独立を維持していたのは日本とタイとエチオピアだけであり、且つ、白人国家に立ち向かうだけの、経済力、軍事力、精神力を持つ国家は日本だけでした。
 日清・日露戦争を戦ったサムライ国家・日本は、有色人種の期待の星として、白人による植民地支配、人種差別を終焉させるために立ち上ったのです。そして、期待を裏切らない日本軍の勇敢な戦い方は、日本人を敵に回すと恐ろしい結果になることを、白人の列強国家に骨の髄まで強烈に知らしめたのです。その意味で、特攻作戦も極めて有効で、日本人しか出来ない戦術とされ、今も国家存亡の危機には、数十万単位の特攻志願者が存在することを諸外国に知らしめたことは、強力な抑止力になっていると見られています。
■タイの元首相、ククリッド・プラモード氏の言葉。
 日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。
 日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。
 12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決意をされた日である。さらに、8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれは、この二つの日を忘れてはならない。
■マレーシア、ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
 「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです。」
■マレーシア、ガザリー・シャフィー 元外務大臣
「日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3カ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ。」
 ※このように戦前の日本を讃える声が多いのに、戦後の腰砕けの日本に対する失望感は強く、日本は「反面教師」としてしか参考にならないとの見解さえ語られている現実も見られます

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2018年8月 6日 (月曜日)

韓国人特有の性格は丸出しです

 強い者には弱く、弱い者には徹底的に強く出るのが半島の皆さんです。
 日本ボクシング連盟・山根明会長は、韓国釜山市出身の韓国人で、本名は(ムン)甲明だそうです。1939年10月12日に生まれで、韓国の三千浦(サンチョンポ)国校を卒業後に来日し、40歳ころの1980年に日本に帰化しています。
 きっと、15歳前後に訪日したのでしょうが、発音やイントネーションからも韓国人特有です。勿論、帰化していますから日本人として選挙権、被選挙権が得られます。しかし、韓国人特有の性格・気質などは見事なほど丸出しです。まぁ、反社会勢力(山口組直参だった森田組元組長)との関係は認めていますから、これを理由に会長を辞任させることが先決でしょう。
  あらゆる分野に半島の「害」が浸透: 多摩湖畔日誌
■韓国ニュース速報
 おばあちゃんの言い伝え~「嘘ばっかりついてると、朝鮮人になるで
  http://hakkou-ichiu.com/archives/291
「本物の日本人に、卑怯者はおらん。お前は朝鮮人か?」
「人に感謝できんもんは、朝鮮人といっしょや」
「日本人はお互いさまやけど、朝鮮人は、勝ち負けでしか物事を考えよらん」
「朝鮮人に貸しをつくったらあかん。親切そうに恩を売りよるだけや。あとで恩知らず、ゆうてゆすられるで」
「朝鮮人に、絶対金をみせたらあかん。盗まれるで」
「朝鮮人は、他人のものは自分のものや思とる。盗みがばれてもケロっとして、返せばええやろっていいよる」
「朝鮮人に、優しくしたらあかん。弱い奴や、ゆうて恩を仇で返されるさかいな」
「朝鮮人には、絶対に謝ったらあかん。あいつら勝った、と思たら居丈高になって一生嫌がらせしよるからな」
「日本では、世の中のためになる人が偉人やろ。朝鮮では、日本人をいじめたり、殺すもんが偉人になるねん」
「朝鮮人は、強いもんには笑いながらすり寄りよるけど、弱いと思たら、襲いかかってきよるで」
「朝鮮人は、自分がついたウソを信じ込むねん。差別とか、歴史がどうとかいう時は、ぜんぶウソやで」
「朝鮮には、誇れる歴史があれへん。そやから歴史を守ろうとせんで、かってに創ろうとするねん」
「朝鮮人は、劣等感のかたまりや。おのれの自尊心が傷つく事を一番恐れとる。だから自分にウソをつくんや」 かついてると朝鮮人になるで」
「とにかく、朝鮮人と関わったら絶対あかん」 一日も早く全在日朝鮮人を強制送還しないと日本の未来はない。
この記事は「韓国ニュース速報」より抜粋したものです。

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2018年8月 5日 (日曜日)

ボクシング連盟を私物化する山根氏

 ロンドンオリンピックで金メダルをとった村田諒太選手は、試Yamane_image合後に「リングの下にもう一人の敵がいた。」と漏らしています。その敵とは、父親であるボクシング連盟の山根明(本名は文甲明)会長が、娘息の山根昌守氏が決勝戦だけ急きょセコンドに付け、「余計なことに水を2度飲ませようと執拗にせまってきた。」と村田選手は語っています。山根昌守氏の当時の役職は不明ですが、現在は、専門委員会特別強化執行役のようです。セコンドに付くには、豊富なボクシングの実戦経験やトレーナーの経験が無ければ務まらないとされます。Yamane_nvgy
 それを自動車販売の経験しかない山根昌守氏をセコンドに付かせたことに、山根明氏は「政治的に考えて、 私はあえて息子をリングに上げたんです。」「カリスマ山根と言われてますから、その息子を上に上げることによって、村田にマイナスになること何一つありません!」「(村田は)生意気だよ!」と語るほどですから、奈良出身の選手を優遇したとされる「奈良判定」など数々の疑惑は、自分の政治力が判定に影響すると認めたようなものです。
ロンドンオリンピックで金メダルをとった村田諒太選手の試合https://youtu.be/h29uO1J78uo?list=PLxpb5ISDCfuiEQ7DLOk2a_OvXKJSy0Lha

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世界支配の「トルデシリャス条約」

 「トルデシリャス条約」とは、1494年、ローマ教皇の承認を1492_tratado_de_tordesilhas_image1得て、当時の列強、スペインとポルトガルの間で結んだ植民地を分け合う条約です。ところが、当時は地球は丸いことを知らなかったため、地球の裏側の日本の分割は、現在の岡山県と広島県の県境辺りだったのです。実に勝ってです。
 さて、米中による現代のトルデシリャス条約が、まことしやかに語られています。2007年に米太平洋軍司令官が、中国軍幹部からハワイから東は米国、西は中国が支配する「ハワイを境に2つに割る分割案」を打診されました。また、米中首脳会談では、習近平主席は「太平洋には米中という2つの大国を納めるに足る十分な空間が存在する」と再び迫っています。
  つまり、日本の知らぬ間に、中国が支配するという案が論じられているのです。
  ところで、ポルトガル人が日本に初めて来航したのは1543年と教えられています。
 そして、ポルトガル出身のイエズス会宣教師ル0000x480イス・フロイスが、1569年、信長に謁見していますが、もしこの時、「日本はポルトガルの領土だ」などと信長に告げていたなら、即刻、首が飛んでいたはずです。
 そして思うことは、中国から「今後、日本は中国が支配する」と告げられたなら、今の日本人は「何を寝言を言うか・・・」と跳ね返すことが出来るのかです。
 宣教師ルイス・フロイスの在日期間は、1563年から1583年まで20年間に及び、帰国後『日本史』を著し、戦国武将の軍事力、経済力、教育レベル、文化などに触れ、ポルトガルの王に日本人の奴隷化を辞めるよう説得しています。
 侵略を諦めさせるには、軍事力、経済力などの国力が大切と教えています。

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2018年8月 3日 (金曜日)

あらゆる分野に半島の「害」が浸透

 至る所、あらゆる分野で「鮮害」が浸透し、日本の良さが見失われつつあります。
 在日・韓国・朝鮮人の2世、3世が、政界、財界、芸能界、宗教界、暴力団、エセ右翼、スポーツ界に止まらず、凶悪犯罪まで鮮害として浸透している現実があります。良いことが浸透するなら大歓迎ですが、実際は逆ばかりで、「通名」、「二重国籍」、「在日特権」、「パチンコ容認」、「生活保護問題」など迷惑な事ばかりです。
 顔だちや体格が似ていて、日本語が出来るからと安易に受け入れた結果です。
 最近でも、「韓国人です」とカミングアウトした安田純平氏、そして、日本ボクシング連盟・山根明終身会長も話題です。しかし、見分けが付かないので、国内だけでなく外国からも、日本人の異常な振る舞いとして見られているのでしょう。
 シリアで、アルカイダ系テロ組織「シリア解放機構」に拘束された安田純平氏は自分から韓国人と認めていますが、「山根明」氏のことは、1980年に「大阪市淀川区十三東四丁目七番二号「文(ムン)甲明」昭和14年10月12日生」という人物が帰化した記録がありますから、この人物がボクシング連盟終身会長の山根明氏と見られます。
 また韓国の報道でも、「2018ジャカルタ・パレンバン アジア競技大会を控えた日本ボクシングが、在日同胞出身会長の横領および審判判定 疑惑が浮上して驚いた。日本ボクシングを率いるのは在日同胞出身である山根明会長(79)だ。1990年代に日本ボクシング連盟賞罰委員長を務めるなど日本ボクシングに大きな影響力を発揮してきた山根会長は、釜山に兄弟がいる・・・」と報じています。
 原文:スポーツソウル(韓国語です)
在日が帰国しないのは階級制度: 多摩湖畔日誌

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2018年8月 2日 (木曜日)

この人を日本が助けるべきですか

 自称・安田純平さんは韓国人のようであり、しかも何度もイラクで拘束・拉致をさ00000066ad4c5d7れては迷惑をかけている人です。それでも危険な地域に出かける人を、日本政府は積極的に動くべきでしょうか。第一、テレビなどは、「私の名前はウマルです。韓国人です」と自己紹介している個所を全てカットして報道するのですから、何をかいわんやです。
 このように、自分から韓国人と名乗り、且つ、日本政府から「自己責任ですよ」との警告にも従わず、危険な地域に何度も接近する人に、日本が莫大な税金や危険を犯しても助ける必要がありますか。大の大人が「日本に信頼 助かる」など甘え過ぎです。助けても、このような人は、「何も日本に助けを頼んだ覚えはない」などと語るはずです。
 安田純平(1974年3月16日生まれ)さんの韓国名は知りませんが、これまでの情報では、埼玉県入間市出身のフリージャーナリストと0002_image報じています。しかし、出入国手続き(出入国審査)には、パスポート・ビザ・IDカード等の書類が必要ですから、アルカイダ系テロ組織「シリア解放機構」も確認して韓国人として処遇しているはずです。
 よって、「韓国人です」は真実であり、自称・安田純平さんの救助は、まず、韓国政府が自国民の保護の為に全力を尽くすべきです。日本は正式にお願いされたら動けばいいことです。日本政府が、緊急に表に立って救助すべきは、北朝鮮に拉致された日本人被害者の皆さんです。
■「私の名前はウマルです、韓国人」です。今すぐ助けてください。
 https://youtu.be/29d8iiKGYU4

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2018年8月 1日 (水曜日)

鶴岡市の「セイショウコウサイ」

 子供のころ聞いた「加藤清正 戦に行くとき 米3升 持って0000_8050行ったとさ・・・」と大人のザレ唄が耳に残っています。後に知ったのですが、清正は常に腰に米3升と味噌を携帯して、常在戦場の姿勢を怠らなかったそうです。このように、九州・熊本が本拠地の加藤清正のことが、遠く離れた山形県庄内地方にも、いろんな逸話が残っている理由も後に知ったことでした。
 先日、鶴岡に住む親せきから電話で、「セイショウコウサイ(清正祭) 行って来た」と連絡がありました。清正公の命日(7月24日)に近い土日に、清正公・忠広公(清正公の嫡男)の慰霊が鶴岡市でも行われているのです。
   加藤清正と言えば豊臣秀吉の有力家臣として、秀吉に従って各地を転戦して武功を挙げ、賤ヶ岳の七本槍の一人としても知られています。後に、肥後の大名となりますが、秀吉没後は徳川家康側に付きKiyomasa_image2、関ヶ原の戦いでは東軍に荷担するも、嫡男・光広が諸大名の名前と花押を記した謀反の連判状のことが幕府に知れ、1632(寛永9)年、熊本の領地を没収され、庄内藩預かりの身となり、正応院とともに丸岡(現鶴岡市)に幽閉されています。その際、遺骨も熊本から持参し、鶴岡市丸岡の天澤寺境内に、後に清正閣と呼ばれる清正公の墓所を築いたとされます。
  また、清正公祭は熊本市の加藤神社でも、山形県鶴岡市と同じように7月24日に近い土日に行われているほか、日本中に加藤清正を祀る神社かあります。なお、鶴岡には加藤清正の子孫が経営する酒屋に冨士酒造と加藤嘉八郎酒造があるそうです。
加藤清正(かとう きよまさ)
生誕 永禄5年6月24日(1562年7月25日)
死没 慶長16年6月24日(1611年8月2日)
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。肥後熊本藩初代藩主。
墓所は、熊本市花園の発星山本妙寺の浄池廟と山形県鶴岡市丸岡の金峰山天澤寺にある。港区白金台の最正山覚林寺(清正公)に位牌。大田区の長栄山大国院本門寺(池上本門寺)に供養塔がある。なお、明治神宮は江戸初期には肥後藩・加藤家の下屋敷(後に井伊家に渡る)があった場所で、現在の「清正の井戸」は、清正が自ら掘ったとされています。

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