« 2017年2月 | トップページ | 2017年4月 »

2017年3月に作成された記事

2017年3月31日 (金曜日)

籠池の弁護士も逃げ出すほどの虚言癖

 このページは、下段のブログからコピペして拡散したいと思います。
■「2017-03-24 中杉弘の徒然日記 」で
 http://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12258979674.html
 籠池は日本人ではない可能性がある(在日か!?)
 森友学園の籠池という人物は名前を3つくらい使っています。通名だから3つ使っているのでしょう。今、話題の森友学園の話です。僕の本音は「いい加減にしてもらいたい」ということです。ここで言っておかなければいけない大事なことがあります。僕のブログに書き込みしてくれた人がいます。
籠池の弁護士も逃げ出すほどの、籠池の虚言癖
昭和天皇が森友学園に来園した→ ウソ (宮内庁が否定)
安倍首相が森友学園に来園した→ ウソ
・財務局から10日間身を隠してくれと言われた→ ウソ(その電話を受けたとされる顧問弁護士は否定し辞任)
・安倍首相と政治家たちの居酒屋会談で会った→ ウソ(発信元は民進会派の舟山議員と日刊ゲンダイ)
・稲田大臣と感謝状贈呈式で会った→ ウソ(発信元の赤旗が籠池は式に出席してなかったと後日謝罪)
・麻生大臣と2回会った→ ウソ
・大阪府に提出した契約書→ ウソ
・国交省に提出した契約書→ ウソ
・関西エアポートに提出した契約書→ ウソ
・籠池は総務省に入省した→ ウソ
・籠池は関西大学法学部卒→ ウソ
・竹田恒泰から森友学園が推薦された→ ウソ(竹田は推薦を断ったのに捏造推薦文と写真を勝手にHPに載せられた)
・無断で安倍首相の名前を使って寄付を集める
・籠池は3つの通名を使い分けた
・安倍さんから寄付を受けた→ 寄付金名簿に名前無し
・安倍晋三記念小学校という名称は安倍から許可された → ウソ
・認可申請書では入学希望者は45人→ ウソ(実際は5人)
・籠池泰典の名刺には「日本会議大阪代表→ ウソ(平成22年に退会)
コピペ 2017-03-21 12:03:47
 1つや2つのウソはありますが、すべてウソです。こんな人間がいるのです。これだけウソをついている人間は普通ではありません。虚言症の病気です。籠池が「日本人である」ということも多分ウソです。このやり方は朝鮮人です。みんなウソなのですから、「日本人である」ということもウソに違いありません。関西大学法学部卒業だと言っていますが、それもウソです。これは多分、誰かが調べたのでしょう。「お前、関西大学の法学部にはいなかったではないか」と言われると「間違えました。商学部でした」と、多分、このようなウソをついたのです。恐ろしいウソつきです。このウソつきが教育勅語を児童に教えたというのでしょうか? 大馬鹿野郎です。教育勅語のどこに「ウソをつけ」と言っているのでしょうか。教育勅語は「ウソはいけない」ということを教えています。

| | トラックバック (0)

2017年3月29日 (水曜日)

原爆を使用できない兵器にした天皇

 核兵器を使用できない兵器にしたのは、昭和天皇が「終戦の詔勅で、「敵は原爆という残虐な兵器を使って、罪のない人々を殺傷しはじめた。2017329imageこれはどれほどの災禍が及ぶかわからない。このまま戦争を続ければ、日本という国はなくなってしまうだろう。さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。そこで私はポツダム宣言を受け入れて(まだ負けていない)戦争を終結することに決めた。」と内外に示したことが、以後の戦争で核兵器を使用出来ない兵器にした最大の要因と見ています。
 ところで3月27日、核兵器を法的に禁止する条約制定を目指す交渉が国連本部で開始されたのに、核兵器の保有国は参加せず、被爆国として核廃絶を訴えてきた日本も参加しないそうです。
 交渉に参加しない米国のヘイリー国連大使は、「北朝鮮がこの条約に同意すると信じる人がいるだろうか」と述べ、核兵器を放棄できない姿勢を強調しています。
 しかし、禁止条約締結や参加しない核保有国の立場より、昭和天皇の核兵器使用への危惧を示した、「人類文明そのものを破滅させるにちがいない」と語った言葉の方が、より偉大で効果があると思っています。
 ところで、アメリカは東京大空襲をはじめ、広島・長崎に原爆を投下し、国際法で禁じられている民間Photo人を大量に殺戮した重大な戦争犯罪国家であることは明白であり、東京裁判ではアメリカが犯した重大な罪を、日本に戦争責任を押し付けたい意図があったことも忘れてはならないことです。
■8分半で自虐史観がとける魔法の動画(Another Version)
 https://youtu.be/LNmBFR1oMtw.

| | トラックバック (0)

2017年3月28日 (火曜日)

民進党は関西の地雷に触れた

 大阪の松井一郎知事が、「メディアの皆さんは、民進党の要請受けて忖度してるじゃないPhotoですか。なんで辻元清美の名前は一切出さないのかね」と語っていましたが、これをテレビは全てカットしたそうですから、一般国民は何があったのか新聞・テレビでは知ることが出来ません。
 報道しない自由を見事に行使しています。
 思い起こせば、当初、「森友学園」の国有地払い下げ問題の追及に、あれほど熱心だった民進党の辻本清美議員が早々と雲隠れして逃げ回っているそうです。その理由は、
 触れてはいけない関西の暗部に触れてしまったのです
 表向きは「子どもがいる幼稚園に侵入しようとした」、また、3月1日の籠池諄子氏のメールに記された辻元氏が「作業員を小学校建設現場に送り込んだ疑惑」、更に、森友学園の小学校建設地に隣接する「野田中央公園」に関連した疑惑を上げていますが、森友問題の奥には、関西の同和問題、ヤクザ、部落解放同盟、在日圧力団体、極左労働組合などがが絡んでいるそうですから、何が起きても不思議ではありません。最近の報道も国会も、土地の問題には触れずに、「夫人に100万円を貰った、いや、やってない」などと、巧妙に別問題に移しています。第一、大阪の学校への寄付行為は違法ではないのです。
 マスコミと国会の野党陣営は、何処で矛を収めるのか相談しているはずです。

■民進党「触れてはいけない関西の暗部に触れてしまった・・・」(17/03/25)   https://youtu.be/7mpfKsRIjjY

■マスコミが報道しない民進党の疑惑、
【森友学園】辻元清美氏が
「大阪兵庫生コン経営者会」から献金を貰った証拠が発掘される 2017/3/24    https://youtu.be/ SY1NBMDWydM   
【なぜなのか】安倍総理「事実無根」⇒ マスゴミ「疑惑深まる」 民進党「事実無根。報道するな」⇒ マスゴミ「御意」 : 正義の見方 https://t.co/EkaookNpw2

| | トラックバック (0)

2017年3月26日 (日曜日)

天皇と他では「格が違いすぎます」

 昨日25日に、昭和天皇「海に入るまで濁らざりけり 」と題して、この歌Photo_2は昭和天皇ご自身の決意のほどを歌ったものだと記述しましたところ、県民から不満と思われるコメントをいただきました。
 まず最上川は、米沢市の西吾妻山「火焔の滝(「ひのほえのたき」か「かえんだき」)」を源流とし、酒田で日本海に注ぐまで、置賜~村山~最上~庄内と県内全域を通過することから、かつての舟運交易当時から県民の生活と密接に関わってきました。源流から海に注ぐまで229kmの長さは日本7位ですが、年を通して流れる水量はトップクラスとされ、その理由は、この地域は雨量が多いことの他に、上流にダムが無いことと聞いております。両岸まで満々と流れる水量と急流から、今も「最上川の舟下り」は観光の目玉して人気を集め、訪れる人々を魅了しています。
 そして、多くの歌人も最上川の流れに感銘した歌を残しております。
広き野を ながれゆけども 最上川  うみに入るまで にごらざりけり』昭和天皇
「五月雨を あつめて早し 最上川」(松尾芭蕉)
「暑き日を 海に入れたり 最上川」(松尾芭蕉)
「つよくひく 綱手と見せよ 最上川 そのいな舟の いかりをさめて」(西行)
「いな舟も のぼりかねたる 最上河 しはしばかりと いつを待けん」(藤原嗣房)
「最上川  岸の山群 むきむきに 雲篭るなかを 濁り流るる」(若山牧水)
「ずんずんと 夏を流すや 最上川」(正岡子規)「
「最上川  いまだ濁りて ながれたり 本合海に 舟帆をあげつ」(齋000004藤茂吉)
 など、失礼ながら、昭和天皇の他にも著名な方々の歌を列挙しましたが、その殆どは、単に最上川の情景を歌ったものであり、昭和天皇のそれとは格の違いが一目瞭然で素人でも気が付きます。
 終戦間もない昭和22年8月15日、天皇として地方巡幸のおり、酒田市に再び行幸された際に、山形県上山市出身の斎藤茂吉が、「海に入るまで濁らざりけり」の表現に、「実際は降雨が続いたりすると、物凄い流れに変わり、濁流滔々として天より来るの趣がある」と講じると、陛下は少し顔を引き締められたと紹介しました。この歌を詠んだ17歳の若き皇太子当時の想いは、これから天皇としての在位の折々には、戦争の戦禍や震災の被害などを含め困難な場面に幾多遭遇しても天皇として「心を濁られせずに歩んで行こう」と、最上川の悠久の流れを眺めつつ決意されたことを「うみに入るまで にごらざりけり」と表現されたものと受けて止めております。
 よって、齊藤茂吉先生の「濁ることもある」との講釈は余計なことだったのです。

| | トラックバック (0)

2017年3月25日 (土曜日)

昭和天皇「海に入るまで濁らざりけり」

  『廣き野を  ながれゆけども 最上川 うみに入るまで   にごらざりけり』Photo
 この歌は、昭和天皇が17歳の皇太子当時、大正14年(1918年)10月14日に山形県酒田市に行啓された際に、庄内平野を悠々と流れる最上川の情景を詠まれた和歌(御製歌)を、昭和57年3月31日、「山形県民の心を歌ったものだ」と受け止めて「山形県民の歌」に制定されました。
 その後、昭和22年8月15日、今度は天皇として酒田市に行幸され、再び日和山に立たれました。このとき、上山市出身の斎藤茂吉が短歌について御進講され、茂吉が「海に入るまで濁らざりけり」の表現に、「実際は(最上川は)降雨が続いたりすると、物凄い流れに変わり、濁流滔々として天より来るの趣がある」と講じると、陛下は少し顔を引き締められたようだっというエピソードがあります。つまり、「海に入るまで濁らさりけり」は申しまでもなく比喩的表現であり、昭和天皇は、最上川の流れを自分の人生に例え、「崩御のその日まで濁らずにいたい」と決意したものと受け止めています。
  昭和22年8月15日と言えば、その2年前の「終戦の詔勅(現代文)」で、
 「宣戦した理由も、実に帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって海外に出て他国の主権を奪い領土を侵略するがごときは元より余の志すところではない。--中略---敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、幾度も罪なき民を殺傷し、。--中略---この上、なお交戦を続けるであろうか。遂には、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、更には人類文明そのものを破滅させるに違いない。」
 と呼び掛けられました。Photo_2
 つまり昭和天皇は、濁りも偽りもない言葉で、「白人から植民地にされた東アジア全域の安定を希求したものでも侵略の意思などない。しかし、敵国は国際法違反の原子爆弾を使用しては人類の滅亡させるに違いない」、だから仕方なく負けたことにすると語った想いと重ねております。
 しかし、未だに日本は侵略国家の汚名を着せられ、それを日本人の多くも厚く着込んでいますが、開戦を決意した昭和天皇が自らが侵略を否定していることを確認したいものです。昭和天皇が、開戦目的としたアジアの植民地解放は、終戦まで既に7か国を独立させ、その後も、日本が現地国民に武器を与え訓練指導した独立軍が、再び植民地を奪いに戻った白人軍と、互角以上に戦いを続けました。昭和天皇が崩御された後も、東ティモールが2002年(平成14年)2002年5月20日に独立して、アジア地域は全て独立を勝ち得ています。これらから、プロイセンの将軍クラウゼヴィッツが、「戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる」と「戦争論」にある言葉と共に、昭和天皇の「開戦の詔勅」と「終戦の詔勅」にある偽りない言葉を思い出しています。

| | トラックバック (0)

2017年3月16日 (木曜日)

「ルイス甘糟」の酒田の足跡

 先般、49日の法要で帰省した際に、酒田市内の曹洞宗(開祖・道元、承陽(じょうよう)大師)のお寺に立2017315__2_2ち寄り、お坊さんとお話しする機会がありました。話しは、檀家制度や宗門改め、更には、庄内地方の隠れキリスタンの取締りなどにおよびました。酒田市内では西高辺りに処刑場があったことや、鶴岡には「鶴ヶ岡髪谷地刑場」や「鶴ヶ岡大山刑場」があったことのウンチクを語りますと、お坊さんも「かつて、庄内にも隠れ切支丹がかなり多かった」ことなどを語りはじめました。
 事実、江戸時代初期には、庄内藩でも1626年に200人以上の切支丹が追放され、1629年5月9日(寛永6年3月17日)に鶴ヶ岡髪谷地刑場で9人、酒田刑場で10人、鶴ヶ岡大山刑場で5人が、火あぶりや斬首によって処刑されたとの記録があります。
 忘れてならないのは、1629年1月12日、米沢で処刑された53人の切支丹の一人が「ルイス甘糟」こと甘糟右衛門信綱のことです。
 「ルイス甘糟」の父は、上杉二十五将の一人甘糟景継で1593(文禄2)年から1598(慶長3)年まで酒田・亀ヶ崎城の城主を務めており、次男の信綱も土地勘があったはずです。そして、「ルイス甘糟」は1610(慶長15)年ころ江戸で洗礼を受けた後に、仙台藩や米沢藩の重臣になりますが、仙台に立ち寄った宣教師たちに、酒田にも行くように助言しており、この時期が庄内地方にキリスト教が広まった時期なのでしょうか。
 これらの情報は、亀ヶ崎城跡 | 山形 | 史跡案内 | 天上の青からです。http://historicsite.tenjounoao.waterblue.ws/tohoku/yamagata/yamagatahs33kamegasakica.html
 なお、「ルイス甘糟」の父・甘糟景継が城主を務めた亀ヶ崎城跡地は酒田東高校が建てられています。また、かつての宗門改めでは、お坊さんには、檀家を訪問した際でも挨拶なしで真っ直ぐ仏壇に向かい、仏壇辺りにキリスト教に関係する十字の位牌や掛け軸、置物が無いかなどをチェックする権限があったそうです。
 今年は1517年の「ルターの宗教改革」から500年です。宗教改革から約30年後の1549年に、カトリック教会の宣教師ザビエルが宣教を開始しており、「以後よく(1549)広まったキリスト教」と記憶していますが、このように生きた勉強も大切と思います。
禅(道元禅師) + 日本語字幕
   https://youtu.be/PcoNpB4zG3o
  Image2Image4

山形県・酒田や鶴岡の処刑場: 多摩湖畔日誌

| | トラックバック (0)

2017年3月 5日 (日曜日)

アマハゲがユネスコ遺産登録候補

 日本全国津々浦々の村々では、神社・仏閣などを中心に、何らかの祭Image2_2礼や文化が息づいているものです。これは、日本が神代の昔から途切れることなく延々と続く証であり、その土地土地の誇りでもあると思います。
 さて、外務省と文化庁はユネスコ無形文化遺産に山形県遊佐町の「小正月行事(アマハゲ)」や「男鹿のナマハゲ」、「能登のアマメハギ」など全国8カ所の行事を「来訪神 仮面・仮装の神々」として推薦すると発表しました。
  遊佐のアマハゲは、女鹿、滝ノ浦、鳥崎の3集落で継承され、既に国指定重要無形民俗文化財に指定されています。実Image2は、「女鹿(めが)」には親戚がありまして、先月の帰省の際にも立ち寄って情報を得ていたことでしたので、嬉しく思っているはずです。
 なお次いでながらご紹介しますが、
 女鹿の北部には三崎公園がありますが、かつての戊申戦争当時の「三崎峠戊辰古戦場」でした。ここは、秋田と県境で官軍(亀田藩)と「庄内藩」の最後の戦いとなった場所です。1868年(慶應4年)7月13日~16日まで、亀田藩等官軍と三崎峠において戦闘が勃発し多数の戦死者を出しました。しかし、この三崎峠で戦死した庄内藩兵の遺体は、見せしめのために引き取ることを許されず長年放置されていたのです。そしてImage3、戊辰戦争から50年近く経った大正3年(1914)、ようやく遺骨収集が許されたのですが、4ダース入り大型ビール箱二つが満杯になったと聞きます。拾い集められた遺骨は、この地に埋葬され、この供養塔はその時建てられたものです。このような歴史から、長年、この辺りでは秋田県側とは険悪な状態だったのですが、近年ようやく仲直りの意味で秋田側と「綱引き大会」をやったそうです。
 また、女鹿地区の八幡神社と思いますが、の伝承もあると聞いています。この庄内平野辺りでは「黒川能」や「杉沢比山」が全国に知られていますが、実は戦後間もないころ、東京から大学教授が郷土芸能の発掘調査に最初に訪問したのが女鹿だったそうです。しかし、多忙な時期で女鹿では演じ手を集めることが出来なかったため、「黒川能」を紹介したことがキッカケで、全国的に広まったという裏話しがあります。
十六羅漢から女鹿方向を撮影
Photo
子どもの怠け心を戒める「アマハゲ」山形 NHKニュース
  https://youtu.be/QHCyddwnkTI

| | トラックバック (0)

2017年3月 3日 (金曜日)

人工知能のカンブリア紀の爆発は

 山形県鶴岡市に所在する「ルネサス エレクトロニクス鶴岡工場」で製造するCMOS0004203200_センサーは自動運転の自動車やロボットの画像センサーなどに使われる世界一の電子の目と聞きました。ここには親戚二人が働いていますので紹介したいと思います。
 人間の五感として、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚がありますが、人間が最も大切とされるのは視覚とされます。それは障害者認定の基準から見ても視覚障害者の等級が高いことでも明らかです。地球の歴史で、約5億4200万年前から約4億8830万年前までを「カンブリア紀」と呼びます。この時代に初めて「眼」を持った生物が誕生したとされ、それまで数十数種しかなかった生物が、突然、1万種も増加したことから「カンブリア紀の大爆発」と呼ばれています。理由は、眼が見えることで捕食活動が楽になり、弱肉強食の世界が激しく加速したことがあると見られています。
  これからも「眼が見える」ことの大切さが証明されています。
 先日、イメージセンサ(撮像デバイス)の埋込フォトダイオードを発明した兵庫県立大学兼ねて静岡大学の特任教授を務める寺西信一さんが、今年の「エリザベス女王工学賞」を受賞すると発表されました。この「エリザベス女王工学賞」は2013年に始まった、まだ3回目の新しい賞で、過去にはインターネットの開発者や「ドラッグ・デリバリー・システム(DDS)」の開発者に贈られているそうですが、三回目にして寺西さんが選ばれたことは凄いことと思います。凄い理由は、AI(人工知能)にイメージセンサ(撮像デバイス)という目を付けることを可能にすることで「AIのカンブリア紀の大爆発」が予想されるそうです。
 具体的には、防犯カメラで不審者を自分で発見したり、自動運転の自動車やロボットの眼として自分で進む方向を判断したり、或いは農作物の良し悪しを選別する眼、攻撃目標を自動的に定める軍事目的などとして、多種多用な目的に利活用の場が広まりそうです。このイメージセンサ(撮像デバイス)を製造している、その一つが、ルネサス エレクトロニクスの鶴岡工場です。

| | トラックバック (0)

« 2017年2月 | トップページ | 2017年4月 »