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2017年3月16日 (木曜日)

「ルイス甘糟」の酒田の足跡

 先般、49日の法要で帰省した際に、酒田市内の曹洞宗(開祖・道元、承陽(じょうよう)大師)のお寺に立2017315__2_2ち寄り、お坊さんとお話しする機会がありました。話しは、檀家制度や宗門改め、更には、庄内地方の隠れキリスタンの取締りなどにおよびました。酒田市内では西高辺りに処刑場があったことや、鶴岡には「鶴ヶ岡髪谷地刑場」や「鶴ヶ岡大山刑場」があったことのウンチクを語りますと、お坊さんも「かつて、庄内にも隠れ切支丹がかなり多かった」ことなどを語りはじめました。
 事実、江戸時代初期には、庄内藩でも1626年に200人以上の切支丹が追放され、1629年5月9日(寛永6年3月17日)に鶴ヶ岡髪谷地刑場で9人、酒田刑場で10人、鶴ヶ岡大山刑場で5人が、火あぶりや斬首によって処刑されたとの記録があります。
 忘れてならないのは、1629年1月12日、米沢で処刑された53人の切支丹の一人が「ルイス甘糟」こと甘糟右衛門信綱のことです。
 「ルイス甘糟」の父は、上杉二十五将の一人甘糟景継で1593(文禄2)年から1598(慶長3)年まで酒田・亀ヶ崎城の城主を務めており、次男の信綱も土地勘があったはずです。そして、「ルイス甘糟」は1610(慶長15)年ころ江戸で洗礼を受けた後に、仙台藩や米沢藩の重臣になりますが、仙台に立ち寄った宣教師たちに、酒田にも行くように助言しており、この時期が庄内地方にキリスト教が広まった時期なのでしょうか。
 これらの情報は、亀ヶ崎城跡 | 山形 | 史跡案内 | 天上の青からです。http://historicsite.tenjounoao.waterblue.ws/tohoku/yamagata/yamagatahs33kamegasakica.html
 なお、「ルイス甘糟」の父・甘糟景継が城主を務めた亀ヶ崎城跡地は酒田東高校が建てられています。また、かつての宗門改めでは、お坊さんには、檀家を訪問した際でも挨拶なしで真っ直ぐ仏壇に向かい、仏壇辺りにキリスト教に関係する十字の位牌や掛け軸、置物が無いかなどをチェックする権限があったそうです。
 今年は1517年の「ルターの宗教改革」から500年です。宗教改革から約30年後の1549年に、カトリック教会の宣教師ザビエルが宣教を開始しており、「以後よく(1549)広まったキリスト教」と記憶していますが、このように生きた勉強も大切と思います。
禅(道元禅師) + 日本語字幕
   https://youtu.be/PcoNpB4zG3o
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山形県・酒田や鶴岡の処刑場: 多摩湖畔日誌

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