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2017年2月 1日 (水曜日)

遊佐町袋地から鳥海山を撮影

 先月1月22日(日)に「バナナマンのせっかくグルメ!!」で、バナナ000000ivqaeij1qマンの日村が遊佐町を訪問して、同町の話題を紹介していました。その番組の中で、遊佐町袋地にギャラリー&ティールーム「翠」を訪ねたことや、その近くの農業用水の溜め池がまだ残っていたことも気になりましたので、所用で帰省した1月29日(日)午前中に、池に映る「逆さ鳥海」の撮影を期待して袋地に向かいました。残念ながら、溜め池周辺は雪が深いうえに、氷が張っていて影鳥海の撮影は出来ませんでしたが、暫く立ち止まって鳥海山を眺めていると、昭和30年代にほぼ終わった「橇木山(そりぎやま)のことを思い出しました。
 「橇木山(そりぎやま)」とは、鳥海山の概ね2号目、3合目辺りの山麓から、毎日の煮炊きから暖房用の「薪」にする木を「橇(そり)」で降ろす作業でした。このImg_6969薪にする樹木は「ブナ科」の「クヌギ」「コナラ」などが殆で、この木の切り出しは、稲の収穫が終わった秋口に、それぞれの村々に指定された山で行っていました。
 そして、各家々で必要な分量を、長さ概ね1m50cm程度に切り倒して積んで置くのですが、当然、雪が積もれば隠れるから、積んだ木の上に長目の棒を差し、目印を付けて置き、そして翌年の鳥海山の天候が安定する1月下旬から2月上旬ころに、これを木の橇でなだらかな斜面を利用して降ろしていたのです。今は、電化やガスが利用され、薪で煮炊きすることは殆どないはずで、もし薪が必要なら道も整備されているし、多少の雪道でも4W車なら簡単に運ぶことが出来るのですから便利なものです。なお、この辺りは「白井新田地区」といい、江戸時代に庄内藩の「白井矢太夫」の指導により新田開発が始まり、岩野集落や藤井集落、金俣集落などが入植されたと聞いています。我が家の曽祖父も明治後期に新田開発を手伝ったそうです。
 「白井新田」の名称は勿論「白井矢太夫」の功績を讃えてのことでしょう。
橇木山(そりぎやま)の思い出: 多摩湖畔日誌

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