「新徴組」の女剣士・中澤琴のこと
ようやく、「新徴組」に焦点を当てた劇が放送されますので紹介したいと思います。
新撰組の兄弟組織「新徴組」「に実在した女剣士・中澤琴のことですが、平成29年1月14日(土)[BSプレミアム]で午後9:00〜10:29に「花嵐の剣士~幕末を生きた女剣士・中澤琴~」が放送されます。
中澤琴は沼田市利根町穴原出身(旧・利根郡穴原村)、身長は五尺六、七寸(170前後)、目鼻立ちよく面長で美人、男装して京へ上り、江戸市中見廻り、毛利、島津両屋敷の襲撃にも加わり、薩摩屋敷で左足を切られたこともあった。庄内戦でも奮闘し官軍十数人に囲まれたが二、三人を切り伏せ突破、幕末から明治、大正、昭和を生きた。生涯を独身で通し昭和2年10月12日、88歳没とあります。
徳川幕府が弱体化した幕末期、これを助けるために山形県庄内(今の鶴岡)の志士・清河八郎が結成した「浪士組」を母体に「新撰組」と「新徴組」が誕生し、新徴組の大砲組を母体に「新整組」が編成されています。この「新撰組」は、京都守護職に就いた会津藩の元で活躍したことはご存じの通りですが、江戸市中取締に就いた庄内藩の元で働いたのが「新徴組」と「新整組」でした。幕末の風雲児「清河八郎(本名・齋藤元司)」は、映画や小説ではとかく悪役として登場しますが、司馬遼太郎氏は、「幕末は清河八郎が幕を開け、坂本龍馬が閉じた」と評価しています。
今も親しみを込めて使われる「おまわりさん」の語源は「新徴組」からですが、
酒井左衛門様お国はどこよ 出羽の庄内鶴ヶ岡
酒井なければお江戸は立たぬ 御回りさんには泣く子も黙る
からだそうです。
なお、天皇皇后両陛下が今年9月12日、旧庄内藩士や「新徴組」が開拓した鶴岡市の松ケ岡開墾場を視察されましたが、このようなことからも注目されるきっかけになったのでしょう。
庄内藩預かり「新徴組」屯所: 多摩湖畔日誌
「新徴組」と山形県遊佐町の関係: 多摩湖畔日誌
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