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2016年11月15日 (火曜日)

酒田市豊原の「善治日誌」のこと

 今、大場正己著の『善治日誌』を読む-明治26~昭和9年、山形県庄内平野における一農民の「働き」の31記録を読んでいます。「善治日誌」とは、飽海郡本楯村大字豊原(現・酒田市本楯)の農家、伊藤巳之助(家号勘助)の二男として明治11(1878)年に生まれ、同じ村の後藤丹蔵家に婿養子に入った後藤善治が明治26年15歳から書き始め、1日も休まずに昭和9年までの42年間の長期にわたって書き綴った日記のことです。
 この日記が話題になったのは、昭和30年前後のことだそうですが、小生が知ったのは高校当時の昭和40年代初めに教師から、「日記も長く続ければ、その人や家族だけでなく地域の宝物になる」と「善治日誌」のことを教えられたことからでした。
  再び話題になったのは、「山形県庄内平野における一農民の日誌 明治26-昭和9年」が発刊された昭和52年ころで、豊原の隣村で母の実家・草田の酒田市役所を退職していた祖父から「農林省の人達が大勢で、善治日記の裏付け調査にここにも来たぞ」と教えられたことでした。
  それが先日、妻の叔母の嫁ぎ先の豊原村の後藤家で不幸があり訪問したのですが、なんと、この家が「善治日誌」を書いた善治が婿入りした「丹蔵家」とは知らずにいたのですから浅はかなことです。Img_6788
 なお、『善治日誌』を読むの著者・大場正己氏は「豊原研究会」のメンバー12名のうちの一人で、元釧路公立大学の教授で西東京市にお住まいだそうです。
 農林省農業総合研究所「豊原研究会のメンバー」は、相川良彦、磯辺俊彦、宇佐美繁、宇野忠義、大場正己、金井晃一、金子つる、川口諦、杉山茂、陣内義人、武田勉、豊田隆Toyoharai_mage0145

本楯の『善治日記の世界』: 多摩湖畔日誌Image7Image5Img_6795

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