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2016年11月に作成された記事

2016年11月24日 (木曜日)

注目の贈り物は全て山形県の企業

 安倍晋三首相は11月17日(日本時間18日)、ニューヨークでトランプ次期大統000082258領と会談した際に、安倍首相がトランプ氏に贈ったのが、「本間ゴルフ」の最高級ドライバーで完全オーダーメードのオンリーワンクラブ「 BERES S-05 5S」(シャフト=ARMRQ∞48)(54万円)だと話題になりました。  「本間ゴルフ」山形県酒田市宮海字中砂畑27-18.  ☎0234-33-7057
 山形産は、これだけではありません。
 2009年12月、米国のオバマ大統領がノーベル平和賞の授賞式でミシェル夫人が身に着けていたのは、エレガントな黄色のカーディガン。この服に使われているのは山形県寒河江市の佐藤繊維が作った糸でした。「夫人がこ000ninaricci_prssrelease091210のカーディガンを着てくれたのは大統領就任式に続いて2度目。愛着を持ってくれていると分かり、本当にうれしい」。佐藤正樹社長は顔をほころばせていました。
  「佐藤繊維」山形県寒河江市元町1丁目19−1 - 0237-86-3136     http://www.satoseni.com/index_j.html  
 また、2013年2月22日日米首脳会談のお土産にオバマ大統領が指名したのは、山形市の「山田パター工房」(社長・山田透)が製造する「山田パター」でした。この「山田パター」は、世界最少スコア「55」をマークしたライン・ギブソン(豪州)が愛用しているとして一躍話題になっていましたが、山000000498田透社長(57歳)が創業して、社長自身が1本1本手作りしている作品だそうです。 「山田パター工房」 〒990-2445 山形県山形市南栄町2丁目13
 電話 023-674-8785. Fax:023-674-8786
 さて次は、安倍首相は出身地である山口県下でプーチン大統領との会談が行われますが、どんなプレゼントを準備するのでしょうか。
これまでは
2013年4月 スキーウエアと板
2014年10月 釣り道具00rian_02361256_hr_ru_l
2015年10月 獺祭(だっさい)(日本酒)と萩焼のぐい飲み
2016年5月 ロシア人宣教師ニコライの日記と双眼鏡
2016年9月 鎧と兜
 が贈られているそうですが、特に話題になった物は聞きません。せいぜい、秋田県の佐竹敬久知事が、2011年3月に東北地方で大規模な地震と津波が発生した際、ロシアが被災地を支援したことへの礼として、秋田犬の「ゆめ」をプレゼントしたことでしょうか。

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2016年11月23日 (水曜日)

渋谷暴動殺人犯の中核派・大坂正明

 この事件は、当時、小生と同じ世代の若者同士が立場の違いから殺害され85e92b7d9aa6d999737b35a9760ec9e9るという、忘れら難い事件であるとともに、45年間も逃亡を続ける容疑者の意地と、逃亡を公然と組織が助ける、或いは助けることが出来る日本の現状に注目しています。
 「渋谷暴動事件 」とは、1971年(昭和46)年11月14日、極左・中核派などが渋谷区で機動隊員を襲撃し、この警備に従事中の関東管区機動隊・新潟中央小隊員の中村恒雄巡査(当時21歳)が殺害されました。当ブログでも2013年2月に「渋谷暴動殺人指名手配犯・大坂正明」と題して配信しておりますが、左の「人気記事ランキング」のとおり注目度が高いページです。
 きっと関係者も閲覧しているはずです。
 この事件で、大坂正明容疑者(67)は45年間も指名手配され続けていますが、警察による捜査は後手後手の印象です。数年前、立川市砂川町のマンション一室の中核派非公然アジトに潜んでいた痕跡があったとの報道がありましたが、今春には、北区西が丘1-20の賃貸マンションの中核派非公然組織「革命軍」アジトに021tnakamura12007年~2008年夏ごろまで潜伏していた形跡があったと報じられていました。以前も、京浜東北線沿線の川口や大宮あたりに潜伏情報があるとのことで、「都心にも埼京線や京浜東北線或いは八高線あたりを利用して普通に出入りしているはずだ」と推測しましたが、ほぼ的中しています。
 また、自転車を乗り回していたとの情報もありますから、年齢の割にはフットワークが軽い初老の男のイメージです。そして、間違いないことは、今も、中核派組織の全面支援を受けて逃走していることです。なお先日、警察庁は「捜査特別報奨金」の対象に指定し、大坂容疑者の逮捕につながる情報に最高で300万円を支払うことを決めたそうですから、協力を得て早く捕まえて楽にしてあげたいものです。
 45年間も逃げ回り、疲れ果てているはずです。
 自首して持病の治療に専念してはと思います。
氏名:大坂正明 Image6_2
生年月日:1949年9月29日
出身地:北海道
身長:178cm位
体格:やせ型
頭髪:ややウェーブ
特徴:面長・色白・やや猫背・右目下に1~2針縫った跡・左目下に小豆大の傷跡・近視
 大坂正明の現在の様子をプロファイリングしていますが変えないことにします。
 顔立ちは年齢相応に変貌しているが、濃い顔立ちの印象は残し、床屋には行かず自分でカットし白髪交じりの長髪。年齢の割りには長身で痩せ型のスタイルを維持。
 日常生活は組織の支援を受けつつ女性と同棲している可能性が高い。
 組織内では、影の指導者層の一人として、組織の活動分析、活動方針などの企画を担当し、最近では、護憲運動や原発反対、米軍基地反対などに力を入れているはず。
■産経ニュース 2016.1.23 09:45更新
   http://www.sankei.com/affairs/news/160123/afr1601230017-n1.html

71年「渋谷暴動事件」 逃亡犯情報に最大300万円(16/11/01)
  https://youtu.be/8FP8sS-lLa4

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2016年11月18日 (金曜日)

全国で使われた「田植型」の発祥地

 山形県飽海郡遊佐町富岡の村外れに昭和3年建立の「田植型之碑」があります。
 JR羽越線の踏切から吹浦方向に向かって、約100メートル地点の右側です。Image8

 この石碑は、田植型を考案して農作業に大きな貢献をした石川治兵衛を称えた記念碑です。この石碑の前の通りは以前は県道でよく通った道でしたが、近所に中学校当時の先生が下宿していたお宅があり、見つからないように急いで通り過ぎていた懐かしい場所です。50数年経った今も、ついアクセルをふかしてしまいます。
 出来れば、写真入りの説明板があるといいですね。モッタイナイ話しです。
 以下は「庄内日報社」や「広報・月光川」からの記事からです。
http://www.shonai-nippo.co.jp/square/feature/exploit/exp245.html
 石川治兵衛は嘉永5(1852)年、飽海郡富岡村前田(現・遊佐町)の農家に生まれ、若いころから農家経営を志し、常に農事改良に情熱を傾けた人である。Image3_2
 記録によると、明治初年以前の富岡周辺の田は、やっこ田(軟らかい田)という湿田で、明治15年ころには乾田に改良されたという。その後、明治24年には北野飽海郡長が馬耕術を奨励、福岡県より技術者・伊佐治八郎を招いて乾田馬耕の指導に当たらせている。こうした農事改良に目を開いた富岡の青壮年である石川治兵衛、後藤千代治、佐藤重吉、佐藤百治ら10名が改農社という農事改良グループを結成したのが明治26年のことである。田植えも明治の中期ごろまでは縄を張り、それを基本にするか、または型なしの見当植えで苦労の割に能率の上がらないものであった。その非能率に改農社の人たちが着目したのが田植型考案の端緒となった。その中で特に研究心の旺盛な石川治兵衛がいた。ある日、治兵衛が囲炉裏の灰に転んでいた糸巻き枠を見てふとアイデアが閃き、いろりの灰の上で糸巻き枠を転がしたところはっきり跡がついた。発明とは案外こうした身近なヒントから生まれるものかもしれない。やがて治兵衛を中心に改農社の人たちが知恵を絞って出来たのが田植型の原型である。だがこの型は小さい上に縦の線だけの簡単なものであった。治兵衛らはその後改良を加えた結果、縦横線ともできる大型田植型が完成している。そのころ仲間の中に専売特許という声もあったというが、金儲けのためではないと言って誰でも使えるようにしたという。こうしたことなども農事改良にかけた治兵衛の熱意が込められていたようである。
この田植型は田植え機が導入されるまでの長い間全国に普及し役立っている。

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2016年11月15日 (火曜日)

酒田市豊原の「善治日誌」のこと

 今、大場正己著の『善治日誌』を読む-明治26~昭和9年、山形県庄内平野における一農民の「働き」の31記録を読んでいます。「善治日誌」とは、飽海郡本楯村大字豊原(現・酒田市本楯)の農家、伊藤巳之助(家号勘助)の二男として明治11(1878)年に生まれ、同じ村の後藤丹蔵家に婿養子に入った後藤善治が明治26年15歳から書き始め、1日も休まずに昭和9年までの42年間の長期にわたって書き綴った日記のことです。
 この日記が話題になったのは、昭和30年前後のことだそうですが、小生が知ったのは高校当時の昭和40年代初めに教師から、「日記も長く続ければ、その人や家族だけでなく地域の宝物になる」と「善治日誌」のことを教えられたことからでした。
  再び話題になったのは、「山形県庄内平野における一農民の日誌 明治26-昭和9年」が発刊された昭和52年ころで、豊原の隣村で母の実家・草田の酒田市役所を退職していた祖父から「農林省の人達が大勢で、善治日記の裏付け調査にここにも来たぞ」と教えられたことでした。
  それが先日、妻の叔母の嫁ぎ先の豊原村の後藤家で不幸があり訪問したのですが、なんと、この家が「善治日誌」を書いた善治が婿入りした「丹蔵家」とは知らずにいたのですから浅はかなことです。Img_6788
 なお、『善治日誌』を読むの著者・大場正己氏は「豊原研究会」のメンバー12名のうちの一人で、元釧路公立大学の教授で西東京市にお住まいだそうです。
 農林省農業総合研究所「豊原研究会のメンバー」は、相川良彦、磯辺俊彦、宇佐美繁、宇野忠義、大場正己、金井晃一、金子つる、川口諦、杉山茂、陣内義人、武田勉、豊田隆Toyoharai_mage0145

本楯の『善治日記の世界』: 多摩湖畔日誌Image7Image5Img_6795

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2016年11月 3日 (木曜日)

韓国は罪人を大衆に晒すのが儀式?

 韓国の大統領が、政権末期の恒例行事とも言える側近の不祥事Image1で絶体絶命の矢面に立たされています。そして、朴槿恵(パク・クネ)大統領も、過去の例に倣い「亡命」「暗殺」「死刑判決」「自殺」などの末路が待っているのだろうか。
 さて、10月31日、朴槿恵大統領の古い友人である崔順実(チェ・スンシル)氏が、韓国のソウル中央地検に出頭した様子が繰り返しテレビで流されています。崔順実氏は、嗚咽したように口に手をあて表情をゆがませつつ「死んで償うほどの罪を犯しました」「許してください」などと情けないコメントしたそうです。
 韓国社会では、社会を大きく騒がせた犯罪者や当事者は、反省して憔悴している姿を国民の前に晒すことが、許しを乞う大前提になるといいます。数年前の「ナッツ・リターン事件」でも、当事者の財閥令嬢・趙顕娥(チョ・ヒョナ)被告がやつれ00000259625た姿で、マスコミのカメラの前で国民に謝罪していたことは記憶に新しいことです。
 日本なら、犯罪者には被害者以上?に人権があるという理屈や、犯罪報道が警察・検察の捜査情報に依存しており、「逮捕=犯人」ではないこともある虞から、逮捕直後の容疑者にカメラを向けることに極端に慎重になっている印象ですが、韓国のこの習慣は見習うべきと思います
 まぁ、それにしても韓国の歴代大統領は、「亡命」「暗殺」「死刑判決」「自殺」などの悲しい末路が待っている現実を韓国民はどのように見ているのでしょうか。
韓国歴代大統領憐れな末路の理由?: 多摩湖畔日誌
■韓国歴代大統領のその後
初・2・3大統領 「李承晩」本貫は全州李氏。黄海道
 彼の養子が実の両親を殺害。不正選挙を糾弾されハワイに亡命。そのまま客死。

第4代大統領 「尹譜善」本貫は、海平尹氏。忠清道
 クーデターで退任を余儀なくされる。軍法会議で懲役3年の判決。

第5~9代大統領 「朴正煕」本貫は、高靈朴氏。慶尚北道
 長男が麻薬服用で逮捕される。狙撃事件発生。弾がそれて夫人に命中。死亡。直後、金載圭KCIA部長によって暗殺される。

第10代大統領 「崔圭夏」本貫は、江陵崔氏。江原道B0052821_22524051
 学生デモ等が収まらず、粛軍クーデターを実行。
 結局収まらず、光州事件発生。8ヶ月で退任。

第11・12代大統領 「全斗煥」本貫は、旌善全氏。慶尚南道
 光州事件において反乱首謀罪で死刑判決。後に恩赦。

第13代大統領 「盧泰愚」本貫は、交河盧氏。慶尚北道
 退任後に収賄容疑で逮捕。光州事件の内乱罪も発覚。懲役17年の判決。後に恩赦。

第14代大統領 「金泳三」本貫は、交河盧氏。慶尚南道
 在任中に経済危機に陥りIMFの介入を招く。
 次男は利権介入による斡旋収賄と脱税で逮捕。 

第15代大統領 「金大中」本貫は金海金氏。全羅南道
 光州事件の首謀者として無期懲役の判決。
 息子3人を含む親族5人が金がらみの不正事件

第16代大統領 「盧武鉉」本貫は光州盧氏。慶尚南道
 韓国経済や外交を破綻に追い込んだ終身名誉お笑い芸人。
 親族の不正が取りざたされる中、登山中に謎の滑落死。

第17代大統領 「李明博」本貫は慶州李氏。日本(大阪)
 経済大統領のはずが格差拡大や生活難、就職難を招いた無能売国奴扱いで極めて評判が悪い。退任と同時に逮捕は免れないとの噂。
 国会議員の実兄秘書が逮捕済み。夫人のいとこも逮捕済み。
 本人も土地不正購入の疑惑事件の渦中にある。

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