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2016年1月23日 (土曜日)

浅草寺の小さな観音様と大きな草鞋

  先日、商売繁盛、災難厄除け、心願成就、家内安全などに功徳があImg_5840るとされる浅草の聖観音宗・金龍山「浅草寺」に参拝してきました。この浅草寺の秘仏とされる観音像は高さ1寸8分(約5.5センチ)と小さな金色の像と知られています。
 その浅草寺の目の前には見事な「宝蔵門」がありますが、長さ4.5mの大きなわらじが左右に飾られています。最初の奉納は、昭和16年、山形県村山市出身の松岡俊三代議士が奉納したのが始まりとされます。更に、戦災で失っていた「宝蔵門」の復元が昭和39年に行われたとき、村山市出身の彫刻家・村岡久作氏が仁王像を彫刻したことで再び寄進が始まり、以来、昭和47年、53年、63年、平成10年、20年に奉納しているそうです。
  それでは何故、山形県村山市出身の松岡俊三代議士が浅草寺の信者であったかを考察致しますと、浅草寺は昭和25年までは天台宗に属していたことにあると察します。御本尊は「聖観世音菩薩」ですが、お前立本尊は慈覚大師円仁作の「聖観世音菩薩」です。天台宗の本山は伝教大師最澄(766~822)が開いた比叡山延暦寺ですが、最澄に師事した慈覚大師円仁(794年~864)も日本仏教に大きな役割を果たしてImg_5839います。
  そして、山形県山形市の立石寺の創建は貞観2年(860年)に清和天皇の勅命で円仁(慈覚大師)が開山し、立石寺には円仁の遺骸を安置すると伝える入定窟があるほどです。よって立石寺は、天台宗の東北の本山とされ、伝教大師が灯した不滅の法灯が分けられているほどです。
 これらから、山形県村山市出身の松岡俊三代議士が、当時は天台宗のお寺だった浅草寺の信者になったことが理解出来ることです。
   なお、現在では、山形県村山市と東京都台東区は友好都市として物産展を開くなど数々の交流があるそうですし、同じ大草履は村山市の小松沢観音の仁王門にも奉納されています。説明書には「こんな大きなわらじをはく人がいるならと驚いて魔が去っていく」とありますが、約5.5センチの観音様ながら、功徳や慈悲の心は限りなく大きいことを現していると解釈しました。

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