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2015年12月11日 (金曜日)

話題の「米油」の発祥は三重県桑名

 「米油」の発祥は三重県桑名とお知らせする前に、遠く離れた桑名と山形県遊佐Image3町との関係をお知らせしたいと思います。
 山形県遊佐町蕨岡上寺の「莊照居成 (そうしょういなり)神社」は、江戸町南町奉行矢部駿河守を祀っています。神社名は庄内を照らすという意ですが若干の前置きが必要のはずです。
 遊佐町の恩人「南町奉行・矢部定謙」: 多摩湖畔日誌
 矢部駿河守は天保12年(1841年)徳川幕府ごり押しの「三方領地替え」を裁くことになりますが、これも説明が必要でしょう。
 庄内→長岡→川越→庄内の関係: 多摩湖畔日誌
 この三方領地替え事件に、矢部駿河守は幕府の圧力に反しても公平な裁きを下すものの、老中水野忠邦の怒りにふれ伊勢桑名藩松平家に幽閉されます。そして幽閉中、断食で抗議しつつ55歳で逝去しますが、この国替えの撤回によって荘内藩は助けられたのです。天保14(1843)年、水野は批判を浴びて失脚し、矢部の冤罪は晴らされ矢部家は再興されます。桑名市稗田の桑名藩の庇護を受けていた薬師堂「現・薬王寺」に矢部駿河守定謙は罪人として葬られますが、恩を忘れない庄内の人々により遊佐町蕨岡上寺に1840年「莊照居成神社」を建立しています。特筆すべきは、当時は罪人だった矢部駿河守には墓石も無かったのに、昭和39年(1964)作家・松本清張氏らの尽力で墓跡の碑が建立さKome_1500れています。長い前置きですが、「米油」が誕生する140年も前に幕府を揺るがした事件が、庄内遊佐郷そして伊勢桑名を巻き込んであったことと、今も交流が続いていることをお知らせしたかったのです。
 そして「米油」のことですが、元禄12年(1699年)、桑名の油屋が紙の上に落ちた糠が油のしみを作ったのを見て、油を絞ることを思い付きます。ただ、米油は100gから14gしかとれず大量生産出来ないことが残念だそうです。また、「米油」は血管の若返り以外に、「油酔い」の現象が起きにくいとも言われています。
 今年3月、「主治医が見つかる診療所」で血管の若返りに「米油」が効果があると紹介されて以来、桑名の生産元には注文が殺到しているそうです。
 山形県天童市の「三和油脂(株)」が、山形県産「つや姫」の米糠から、圧搾物理精製法で作っていますが、米どころ遊佐町でも「こめ油」の生産を検討して欲しいものです。勿論、精製技術の修得と、それなりの初期投資は必要でしょうが、きっと、ヒットするはずです。Image3_2

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