清川八郎のことを知りたかったら・・・
「幕末は清河八郎が幕を開け、坂本龍馬が閉じた」と言い切ったのは、作家・司馬遼太郎氏です。幕末を描く上で、山形県庄内出身の清川八郎(本名・斎藤元司)のことは欠くこと の出来ない人物です。
しかしながら、「新選組」など幕末を題材にした小説や映画では、どうしても悪役として描かれがちで、嫌いだと言う方が多いようだが、それは大きな誤りであり、認識不足だと言いたいものです。
清川八郎、その存在の大きさを看破しているのが、冒頭の司馬遼太郎氏の「幕末は清河八郎が幕を開け、坂本龍馬が閉じた。」と言う言葉だと思っています。これは仮定の話だが、清川八郎が郷里の山形・庄内で眠っていたら、明治の夜明けは間違いなく数十年は遅れていたと断言できると言われています。
先日、京都に旅した際、八木邸や前川邸、揚屋・角屋などに立ち寄りましたが、清川八郎が浪士達を集めて演説した臨済宗永源寺派「新徳寺」は、壬生の八木方のすぐ近くにありました。
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