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2015年1月10日 (土曜日)

「表現の自由」に限界はないのか。

 「言論・表現の自由」とは、人が大切にしているものを侮辱しても、傷つけてもいい、そんなに立派で便利な権利なのか。0000000037
  現実社会には、国家間の戦争や個人的な喧嘩の種として、人種や宗教だけでなく、皮膚の色、言語、国籍等々がある。この差別の現実が、この世から戦争や殺人、凶悪事件を「永遠にゼロ」に出来ない理由でもある。
 しかし、ゼロにするたゆまぬ努力は必要のはずだ。
  それは人が嫌がることは、まずしないこと。
 その、第一として差別を煽る報道や教育を控えることであり、人種や宗教を過度に誹謗中傷することは控えることだが、煽る行為の典型として、マスコミの「表現の自由」を盾にした人種・宗教に対する報道姿勢だ。
 日本は比較的少ないと思っているが・・・・・一連の慰安婦報道などをみれば、油断できない。尤も日本のマスコミは日本自身を侮辱し続けるから別の意味で問題なのだが・・・・・・
 さて、イスラム教を繰り返し風刺していたフランスの風刺週刊紙「シャルリエブド」の本社銃撃事件では、編集長や風刺漫画家など12名の方々が死亡した。そして、1月10日逃亡していたイスラム教信者の兄弟容疑者らは特殊部隊から射殺され幕を閉じた。事の発端は、右画像にあるようにイスラム宗教に対する侮辱的風刺で挑発する報道であった。
 そして今、「表現の自由」と宗教が問われている。
 簡単に言えば、
 「言論・表現の自由」を盾にして、他人が命がけで大切にしているものを侮辱してもいいのかということだ。
 国家、民族、個人だけでなく、絶対と信じる宗教も侮辱され続けたら、誰にでも我慢の限界はあると思ったらいい。もちろん暴力を肯定するつもりははないが・・・・・・・
 しかし、この世から戦争や殺人、凶悪事件を「永遠にゼロ」に出来ないに理由でもあることを忘れてはならない。

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