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2014年8月 9日 (土曜日)

台湾映画「KANO」の「球は霊なり」とは

 中国や韓国からの数々の嫌がらせを知ると一日不愉快になるが、台湾Imageからの知らせからは、大抵、一日を気分良く過ごすことが出来る。
 精神衛生上、常に良い気分で暮らしたいものだ。
 その良い知らせとは、
 日本統治下の1931年(昭和6年)、台湾代表として夏の甲子園に出場し、準優勝した嘉義農林学校(通称:嘉農=かのう=KANO)野球部の実話を描く台湾映画「KANO」が、邦題では「KANO 1931海の向こうの甲子園」として、来年2015年1月24日から日本公開されることが決定した。
 松山商業の野球を台湾に伝えた伝説の名将 近藤兵太郎監督が常に語った、「(たま)は霊(たま)なり」、「(たま)(たま)正からずんば、球(たま)また正からず」の真意を、映画を観る前に、この動画から探って欲しい。Image_2
 さらに昨年、平成25年3月8日行われたWBC 「日本 vs 台湾」での出来事「台湾戦の奇跡_円陣_お辞儀の秘密」と関連づけて観ると感激間違いなし・・・・スポーツマンシップの原点を知る思いだ。
 そして、あなたも今日一日を気分よくおくることが出来る。

松山商業の野球を台湾に伝えた伝説の名将 近藤兵太郎
 台湾映画「KANO」嘉義農林  
http://youtu.be/xlvYQk3-yJc  

WBC台湾ナインのお辞儀の秘密 (台湾 日本 / Taiwan Japan)

松山商業の野球を台湾に伝えた伝説の名将 近藤兵太郎その2
台湾映画「KANO」嘉義農林
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■李 登輝(元台湾総統) [李登輝・特別寄稿
 日台の絆は永遠に〔1〕
  映画『KANO』のこと
 3時間5分の上映時間のあと、私は泣いていた。
 隣には長年連れ添った妻がいた。映画『KANO』のことである(2015年・日本公開予定)。KANOこと嘉農は正式名称を嘉義農林学校といい、1931年、台湾代表として甲子園に初出場、準優勝を果たす。映画はこの史実を基にしている。
 当初は弱小だったチームを生まれ変わらせたのが近藤平太郎監督である。
 映画では日本の俳優、永瀬正敏さんが演じていた。
 日本人、本島人(台湾人)、そして原住民からなるチームを一つにまとめ上げた近藤監督は、指導者として立派な人物であると思う。
 台湾人が好んで用いる言葉に、「日本精神(リップンチェンシン)」というものがある。
  これは日本統治時代に台湾人が学び、日本の敗戦によって大陸から来た中国人が持ち合わせていない精神として、台湾人が自らの誇りとしたものである。
    「勇気」「誠実」「勤勉」「奉公」「自己犠牲」「責任感」「遵法」「清潔」といった精神を表す。『KANO』をみて、私はあらためて妻と「日本の教育は素晴らしかったね」と語り合った。『KANO』のおかげで、かつての自分や家族のことにしばし思いを馳せることができたのである。 KANO』は台湾で大ヒットしているが、「日本の植民地時代を美化しすぎている」という批判も起きた。
 しかし、台湾が中国に呑み込まれようとしている現在、台湾人が顧みるべきは、この映画で描かれているような「日本精神」である。この「日本精神」に触れることを通して、台湾人は中華思想の呪縛からあらためて脱し、「公」と「私」を区別する武士道的な倫理に基づいた民主社会を確立しなければならない。_kano_baseball_team_members_of_taiw
 だから私は映画館を出たあと、記者たちにいったのだ。
 「台湾人はこの映画をみるべきだ!」
  「なぜ台湾をお捨てになったのですか」  
  映画に登場する嘉農高校の遊撃手(ショート)の陳耕元氏(日本名:上松耕一)は実在の人物で、台湾原住民のプユマ族の出身である。1993年、作家の司馬遼太郎さんが台湾を訪れた当時、総統を務めていた私の紹介によって、司馬さんは陳耕元選手の次男、健年氏に会っている。
 陳健年氏はのちに台東の県長(知事)を務めた人物である。

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