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2014年5月28日 (水曜日)

「征露丸」の松本順と山形県遊佐町の話

 最近の露骨なロシアを見ていると、ウクライナに「征露丸」を献上したら0000043と思う。
 とても「正露」とは呼べないロシアだ。
 それに日本も「征中丸」や「征韓丸」も準備する必要がありそうだ。勿論、防衛力を高める効果を期待してだ。

 さて、神奈川県「大磯」は別荘地、「近・現代政財界の奥座敷」としても有名だが、これは日本最初の軍医総監・松本順(良順)の人脈と日本一の医師が推薦し、その医師本人が身近で見守る別荘地として所有が広まったと言われる。
 正に、日本初の海水浴場別荘地開発の名プロデューサーであり、大磯の発展に多大の貢献があった方であろう。
 ※右写真上は大磯の照ケ崎海岸から富士山、右下は由良海岸から鳥海山を臨むが良く似ている。軍医総監・松本順は二つの景観を知っていたのだろうか。
00000img_1 先日26日夜、BS朝日「古地図で巡る東海道の旅」を観ていると、モト冬樹やマギー審司らが、大磯の老舗の「鰻屋・国よし」で鰻重を堪能する場面や日本の海水浴発祥地である大磯の浜辺を散策する様子が写し出された
 「鰻屋・国よし」では、松本順(良順)が、国よしが旅籠当時に鰻重を食したことや大磯の照ケ崎海岸を海水浴場に最適と推奨した話、店舗に掲げた揮毫などのことを若女将・宮代満子さんが紹介していた。0000080327map
 この松本順という方は、幕末から明治期の高名な医師で実父は順天堂大学病院の創始者佐藤泰然、泰然の父親は佐藤藤佐(とうすけ)という山形県遊佐郷、升川・次郎佐ェ門家生まれだ。
 つまり、松本順は遊佐町の孫ということになる。

  松本順は晩年を大磯で過ごし、明治40年3月12日大磯の邸宅(大磯町東小磯1007-2付近)にて満74歳で死去し、直ぐ隣の「妙大寺」に眠る。
  松本順の逸話として、日露戦争(明治37年2月8日~38年9月5日)当時にK45029090誕生した下痢止め、腹痛予防薬「征露丸」のパッケージに松本順の顔写真が使われていることがある。
 「征露」は露西亜を征するという意味がある。
 「征露丸」は今も人気薬だが、日露戦争当時から軍人や国民に服用されていた丸薬であり、日露戦争勝利の陰の功労として国民に評価され続けている。
 顔写真利用は初代軍医総監が推奨したからだろうか。
 ただ、最近では名前が勇ましすぎると指摘されたことから、殆どが「正露丸」と使用漢字を変えているが、奈良県の日本医薬品製造㈱だけは、頑固に「征露丸」として販売を続けている。
 遊佐町の皆さんがこれを意識して服用すれば効果百倍?となるはずだ。それに、最近のロシアを見ていると、とても「正露」とは言えず、ウクライナには是非「征露丸」を献上したいくらいだ。
 それに日本では、そろそろ「征中丸」や「征韓丸」、「征朝丸」も準備する必要がありそうだ。

順天堂と遊佐町の深い関係
  http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-02f5.html
遊佐町と縁が深い「佐倉順天堂」
  http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-dc3d.html
森鴎外ら著名人と遊佐町の関連
  http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-ef98.html
■「点字音譜の祖」佐藤国蔵医師

    http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-faf4.html

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