ベトナムの近代史を少し勉強しておこう
ベトナム独立にも、残留日本兵の足跡と活躍がシッカリ残っていた。
南シナ海で中国が石油掘削を始めたことにベトナムが反発して「反中デモ」が広がっているが、ベトナム国民には「ベトナム戦争」で見せた不屈の「ベトコン(VietCong)精神?」は今も残っていると見る。 農民に化けた「ベトコン」のゲリラ戦法は、終戦後も現地に残留した旧日本軍が、インドシナ戦争でベトナム人達に指導した戦法だった。
ベトナムは中国から千年間も支配された後も、再びフランスに100年近く植民地となっていた。それを日本軍はフランス軍を追い出して「ベトナム帝国」として独立させた。
しかし、日本が敗戦すると、1945年9月2日、共産主義者ホー・チ・ミンが「ベトナム民主共和国」建国を宣言した。
そこに、かつての宗主国フランスが戻ってきた。
だがフランスは、残留日本兵約2000人が支援した「インドシナ戦争(1946~1954年)」に敗北し再植民地化に失敗する。
1954年ジュネーブ休戦協定が結ばれフランスから、ラオス・ベトナム・カンボジアの三国が独立し統一国家を目指したが、すでに共産化しつつあったベトナムに続いて、カンボジア・ラオスなどが次々と共産主義化することをアメリカは恐れたとともに、この地域の植民地化復活の野望が戦争開始の理由とされる。
案の定、東側の共産主義陣営の北ベトナムが南へ南へと南進し、西側の自由主義陣営の米軍は1965年に北爆を開始し本格的な軍事介入が始まった。
そして、南ベトナムにはアメリカ軍や韓国軍、タイ軍、オーストラリア軍、フィリピン軍が支援、北ベトナム側にはソ連、中国軍がつき、南北の争いは激化する。
ベトナム戦争で日本にも知られたのは、南ベトナムのベトコンと呼ばれた反政府ゲリラだった。
ベトコン(南ベトナム民族解放戦線)は農民に化けて、ゲリラ戦で米軍らに勝ち、ジャングルの「解放区」で1969年南ベトナム共和国臨時革命政府を樹立した。
1975年にはサイゴン陥落で事実上ベトナム共和国を崩壊させて、「南ベトナム共和国臨時革命政府」が全土を掌握する。
1976年7月1日南北統一により北ベトナム(ベトナム民主共和国)を継承した現在の「ベトナム社会主義共和国」が誕生し、米軍が率いる自由主義陣営が敗北した。つまり、ベトコンは残留日本兵が指導した知識、戦法などがベトナム戦争で生かされ、米国に唯一の黒星を付けたことになったのだ。
基本的に共産主義陣営のベトナムだが、中国とは陸続きでもあり経済的結びつきは強いものの、中国人民解放軍とは「領有権争い」から幾度も戦火を交えている。
近年では、経済面で日本にも色気を見せる国だが、中国共産党同様に、ベトナム共産党による一党独裁体制国家であることを忘れてはならない。
■ベトナム独立戦争に身を投じた、主な帝国陸軍将校。
井川省 陸軍少佐 - Wikipedia
石井卓雄 陸軍少佐 - Wikipedia
中原光信 陸軍少尉 - Wikipedia
谷本喜久男 陸軍少尉 - Wikipedia
■玉居子精宏著「ベトナム秘史に生きる日本人」http://web.soshisha.com/archives/vietnam/
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