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2014年3月 8日 (土曜日)

米軍大和基地返還と東大和市の発展

 最近わけあって、東大和市のやや古いことを調べる機会S29_map3_13e_2があったので、差支えない程度を数回に分けて紹介しようと思う。 山形県出身だが、東大和市誕生前から多少ながら縁があった。

 昭和43年5月のある休日、東大和市が「大和町」のころ、「日立航空機(ガス電)専用線」を転用した「西武上水線」終点の玉川上水駅に降り立った。「大和基地」内に歳が近い叔父が働いていたので訪問したのだが、これが縁で、この地に生涯住むことになろうとは、当時は思ってもいなかった。
 玉川上水駅と青梅橋駅(現・東大和市駅)の北側に、基地関係者が「大和ベース」と呼ぶ広大な米軍大和基地があった。この基地は、米軍立川基地の関連で、米軍兵士・家族の宿舎や運動場、テニスコート等の厚生施設が点在し、ゲート近くには立川基地と往復する米軍専用バスがよく停車していた。

 
 駅周辺は殺風景すぎ、ホームから北方は基地敷地と墓地だけが目立ち視界を妨げる建物が殆どなく、約1キロ先で新青梅街道の工事中の重機が見えた。新青梅街道は当時、新宿方面から東村山の野口橋付近まで開通していたと後に知った。
 南北に走る芋窪街道沿いの駅北側に基地のゲートがあり、常に青い目の憲兵が立哨していたが、初めて基地に入るときは、言葉が通じるのかと身構えたものだ。
 そのゲートの道路反対側には一般住宅が数軒あり、基地関係の客を期待したようなラーメン屋が一軒あった。このラーメン店には、小学4~5年の男の子がいて叔父が可愛がっていた。昭和43年7月八王子に開園したばかりの東京サマーランドに一緒に遊びに行ったこともあった。今なら55歳くらいか。
 現在も数軒のラーメン屋があるが、どの店なのか見当がつかない。

 この基地も昭和48年、米軍立川基地と同時に日本に返還されると、跡地は徐々に再開発され、現在では西武鉄道の車両基地、警視庁運転訓練所、警視庁グランド、警視庁有家族待機寮4棟、東大和南公園、東大和南高校、北多摩看護専門学校、東大和療育センター、特養施設さくら苑、市営プールなどが立ち並ぶことになった。
 ときおり、この地域に入ることがあるが隔世の感を禁じ得ない。
 東大和市は、この「大和ベース(米軍大和基地)」返還が、街の景観づくり、税収増加などの面からも発展の核になったことは間違いない。人口の推移をみても、昭和40年大和町の人口31.709人が、平成26年3月1日現在の人口は 85,413人とある。001_100
 三倍近くの増加だ。
 そして、あれほどあった畑や空き地は、最近では見つけるのも難しくなった。緑豊かな自然環境が売りの街にとっては、喫緊の課題であろう。なお、玉川上水駅前広場に、米軍大和基地の正門だった事を残す記念碑がある。
 この辺りの難を言えば、何故、いちょう通りを南に真っ直ぐ伸ばさなかったのか、また、立正佼成会の工夫のない霊園と送電用鉄塔の多さが街の景観を壊していると見ている。

 この画像は返還の翌年昭和49年撮影の国土地理院(国土情報WEB) による。http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CKT-74-16&PCN=C25&IDX=25&PNO=1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25,26,27,28,29,30,31,32,33,34,35,36,37Higasiyamato_image  

 昭和49年当時の玉川上水駅付近

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