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2014年3月10日 (月曜日)

東大和市新堀が迷路になった理由

 地元ネタであり、この地域に縁がない方には面白くない話です。
 「新堀」は東大和市の街並みの中では、本村地区や南街に次いで古い街だが近くに住んでいながら、チャンスがなく行ったことが全くなかった。

Photo  
 

 この新堀地域に最近5~6回連続して訪問したのだが、毎回迷ってしまった
 この地域は道幅が狭いうえ、クランク、突き当りが多く、まるで迷路だ。
 何度行っても覚えることが出来ないので、よく、こんなふうに造ったものだと感心していたが、この中の住人との会話から、その理由が見えてきた。
 「新堀」の地名は、その横に沿って流れる「野火止用水」のことで、この辺りの古い人は「新堀」、玉川上水のことを「大堀」と呼んでいたことからであろう。

小生~「新堀は、まるで迷路ですね」
住民1~「何年住んでいても、この道路は何とかならなかったのかと思うよ」
住民2~「何言ってんの、あなたが勤めていた職場が原因だよ」
小生~「こんな迷路になったのは理由があるわけですね」
住民1~「ここは電電公社の社宅があった場所でねぇ、その周囲に公社が敷地を切り売りして徐々に住宅が広がったんですよ」
住民2~「その前は陸軍少年通信兵学校があってねぇ、それが戦後、電電公社に払い下げられて、社宅が建てられたんです」
小生~「なるほど、通信兵学校だから電電公社と関連していたんですね」
住民1~「それから、日本電信電話公社は、当時からNTTと言ってたよ」
小生~「そうですか。それで近くにNTTの社宅が多いんですか」
住民2~「NTTだけじゃないよ、清原の団地、東村山一中や明治学院高校、警視庁の家族寮辺りも通信兵学校の跡地だよ」
住民1~「ここに来たのは昭和30年過ぎだが、店もなく辺鄙なところでねぇ、道路らしいのは東京街道や五日市街道だけだよ。小川駅には野火止用水辺りから林の中を歩いたもんだ」
小生~「街が出来た経緯を知ったら、また来るのが楽しみになりました」

 この画像は昭和49年撮影の国土地理院(国土情報WEB) による。http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CKT-74-16&PCN=C25&IDX=30&PNO=1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25,26,27,28,29,30,31,32,33,34,35,36,37
 東大和市新堀は左下付近。
 当時は、まだ南北に走る「けやき通り」が出来ていないので解り難いが、陸軍少年通信兵学校の名残りが色濃Ckt7416_c24_31い。

拡大した昭和49年当時の「新堀」の地図

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 昭和29年の地図だが、新堀電電公社の社宅はあるのか無いのか微妙だ。

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米軍大和基地返還と東大和市の発展

東大和市新堀が迷路になった理由

拝島線「東大和駅」(青梅橋駅)のこと。

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