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2014年2月27日 (木曜日)

2月26日は「二・二六事件」惹起の日

 2月26日が来ても、昭和11年の「二・二六事件」のことを伝えるマスコミは殆どないし、話題にする人も少ない。日本を震撼させた動乱だったが、80年も経過すると風化するものだ。昨日、2月26日は、90歳近い高齢男性と会話をする機会があった。

小生~「今日は二・二六事件があった日ですね」と話を掛ける。
男性~「戦争では二・二六事件に参加した将校が上官だったよ」
小生~「事件では、何処に行ったのでしょうね」
男性~「首相官邸と言ってたよ」
小生~「よく処刑されなかったですね」
男性~「その当時は下士官だったから助かったそうだ」
小生~「そのようなお話しを聞けることは貴重と思います」
男性~「その将校は、戦後、荻窪の渡辺錠太郎の家の近くに住んでいてね、何度か遊びに行って、当時の話を聞いたこともあったよ」
小生~「渡辺錠太郎の娘さんの渡辺和子さん(現在、ノートルダム清心学園理事長)は現役で活躍していますね」
男性~「君、良く知ってるね」4423504d41e8b_1
 などと、たわいない会話をしてしまった。

 知っているほどではないが、以前、教育総監の渡辺錠太郎邸があった近くで仕事をしていたことで、古い家が数年前まで杉並区上荻2丁目7番に残っていたことや、娘である渡辺和子氏が、「家の二階には二人の憲兵が常駐していたのに、父を守らなかった」と手記で明らかにした程度のことは知っていた。
 当時は、憲兵までも皇道派の強い影響下にあったと推測されている。また、兵士らが処刑された跡地である渋谷区役所近くには「二・二六事件慰霊像」が建てられている。こんなことを話題にして、多少ながら話がかみ合ったので喜んでいた。
-----------「二・二六事件」概略-----------------------------
 1936年(昭和11年)、軍国主義の風潮が社会を取り巻く中、2月26日には陸軍の過激な国粋主義の青年将校たちが「昭和維新」を旗印に蹶起、重臣を殺害し、首都の中枢部を4日間に渡って占拠するという近代史上初のクーデターを起こしている。
 いわゆる「二・二六事件」である。
 歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、近衛歩兵第3連隊の下士官兵1400人は行動を開始した。1936年(昭和11年)2月26日午前5時過ぎ、栗原安秀中尉、林八郎少尉、池田俊彦少尉、対島勝雄中尉率いる300人は、雪が降りしきる中、首相官邸を襲撃。警察官4人を射殺し、岡田啓介首相と間違えて秘書官の松尾伝蔵大佐を射殺してしまった。岡田首相は女中部屋の押し入れにもぐり込んで難をまぬがれたらしい。
 坂井直中尉、高橋太郎少尉、麦屋清済少尉、安田優少尉率いる150人は、四谷仲町の斎藤実内大臣私邸を急襲。機関銃から弾丸40発を発射して殺した。
 このあと、高橋、安田両少尉は、30人を連れて、上荻窪の渡辺錠太郎教育総監私邸へ行き、ピストルで応戦した同総監を射殺した。
   中橋基明中尉、中島莞爾少尉率いる100人は赤坂の高橋是清大蔵大臣私邸を襲い、「天誅!」と叫んで同蔵相を射殺した。
 安藤輝三大尉率いる150人は、麹町三番町の鈴木貫太郎侍従長官邸に乱入。侍従長をピストルで撃ち、軍刀でとどめを刺そうとしたが、夫人に懇願されて思いとどまり、侍従長は一命をとりとめた。
 また、他の兵400人は警視庁を占拠し、朝日新聞も襲撃した。
 この事件には実は伏線があった。青年将校が横断的に結合して国家革新をはかろうとする皇道派と、総力戦体制の国家をめざす幕僚を中心とした統制派の陸軍内部の主導権をめぐる確執であった。

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