« 本命か、日本海に眠る「燃える氷」 | トップページ | 1月15日は「警視庁創設記念日」 »

2014年1月14日 (火曜日)

「舛添氏」は首都東京の顔に相応しいの?

 都知事有力候補に関するマスコミ報道は、顔出しの長さや順序、取り上げ方で立ち位置が見えて来る。数日前までは舛添要一氏待望一色だったが、ここ数日は、細川護熙元総理を巡る動きが主体だ。しかし、細川元総理には「殿ご乱心」と批判した甘利明経済財政担当相の一言に尽き、証人喚問から逃げるために総理を辞職した、佐川急便からの一億円借用問題が必ず再熱するはずだ。
 いずれにしても、投票行動をマスコミ報道だけで判断してならないことは当然で、細川氏や舛添氏は当選しても猪瀬前都知事の二の舞になるだけ・・・・・・
 どっちも、候補者の資格なしだ

 今回は、マスコミ受けが何故かいい舛添要一氏に多く触れる。
 「外国人参政権賛成」「靖国参拝反対」「家庭内暴力(ナイフで妻を威嚇)」「妻三人、愛人二人、子供二人、婚外子三人」「妻は創価学会大幹部」「私は朝鮮人とカミングアウト」「実の姉が生活保護受給」「自民除名」「日本国旗をこれ邪魔でしょ発言」
 等々から、バランス感覚が全くない人物と見られ、猪瀬氏以上に首都東京の顔には相応しくないと断言する。
 自民は、こんな人物の支持を絶対避けるべきだが、さて都民はどうする・・・・・

三人目の現在の妻は創価学会の大幹部!_2049462
 舛添氏の妻・雅美(1964年1月6日、神奈川県湯河原町生)は創価学会の大幹部であることや、都知事候補に押したのは公明党の要望だったことを、デヴィ夫人が田母神俊雄氏応援演説で暴露。
 「創価学会はフランス等からカルトと指定されている」ことを国際政治学者の舛添氏が知らないはずがない。
 「カルトではない」と反論するなら、その根拠を示すべきだ
 それに都知事選なければ創価大学の教授の予定だったらしい。

週刊新潮、「舛添要一」という男の本性(片山さつきインタビュー)
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org4799199.pdf
  「平穏」だったのは最初の数週間だけ。
 そして彼は2ヵ月で「約束」を反故にしました。
 「遅く帰ってきやがって!」突然、彼は怒り始めたんです。仕事で遅くなっても終電やタクシーで、日付が変わる前には帰宅しようと努力していたんですが・・・・。
 いきなりキーッとなって、理由もなく怒鳴る。一方的にまくし立てて、私の言うことは一切聞かない。話し合いにすらなりません。その辺にあるものを、手当たり次第に投げつける。後の話ですが、炊飯器の上蓋が割れていたことも。
 またある時は、サバイバルナイフなどいくつものナイフを私の目の前にズラーッと並べた。彼はナイフの収集が趣昧だったんです。しかも、そのうちの一つの刃先を私に向けたことまであります。充分過ぎるほどの威嚇行為でした。今で言えぱ「DV」ということになるんでしょうか。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org4799199.pdf

実姉(北九州市在住)が生活保護受給
 北九州市役所に仕送り依頼されるが、舛添要一氏はこれを拒否した。
 平成4年(1992年)、北九州市の担当職員が 「可能な範囲で1万でも2万でもいいから仕送りしてくれ」と頼みに舛添氏の家を訪ねたが追い返された(元市職員談)。
 当時の舛添氏はタレント学者としてテレビで稼いでおり、億単位で不動産を買い漁っていた。(週刊文春2007年10月4日号)
養育費減額裁判では舛添自身が月収が10万弱と主張
   婚外子3人の内1人は重度の障害者で、元愛人と養育費で裁判沙汰にあるが、豪邸に住み、別荘も何か所か所有し、会社も有るのに月収10万円と大嘘をつく。
 障害ある子供は現在25歳だが、幼少時より重度の障害を抱え、いまも週に5日、病院に通う日々を送っており、自立などとても不可能な状態。

■「私は朝鮮人」発言
 舛添要一は、朝まで生テレビの外国人労働者受け入れがテーマの放送で、唐突に、「日本の文化習慣を完全にマスターした朝鮮人もいるんだ。それが私だ」とカミングアウト。

20100428_2

「舛添要一」という男の本性 
 (週刊新潮、2010年5/36・13GW特大号)
 (片山さつきインタビュー)
 弱きに強く、利用できるものは何でも利用する人でした、彼は約束を守らない、 党首となった今、彼の真の姿がいずれ明らかになるはずです。
 総理期待度No1と持て囃される舛添要一・参院議員(61)。
 4月23日、ついに「新党改革」を立ち上げ、党首(代表)の座を手に入れた。
 だが果たして、本当に将たる器なのか。元妻であり「政敵」となった自民党の 片山さつき氏(50)が、彼の本性を今、明かす。
 これまでも、「舛添さんについて喋ってほしい」という求めはありましたが、 いずれもお断りしてきました。
 いろいろな経緯があったとはいえ、 彼とは自民党の「同志」でしたから。
 しかし今回、彼はその自民党に後足 で砂をかけるように離党していった。
 自民党は迷惑している。
 だから今回は、私の知る彼の真の姿をお話ししても良いかなと。
  彼は新党を作って、一体何をしようというのでしょう。
 カネのかかる政治との決別、憲法改正、日米安保を基軸とした 外交・安全保障掲げる政策を眺めてみても、どれも白民党がや ろうとしていることと変わりはない。
 目新しさは何もありません
 なぜ外に出て、それをやらなければならないのでしょうか。
  例えば、新党は遠州制を導入するとも謳っています。 しかし、彼が自民党で遠州制の議論を先導したとか、 実現に向けて汗をかいたとか、そんな話は聞いたことがありません。 何を今さら遠州制と言い出すのか、理解に苦しみます。
  社民党の福島瑞穂さんや国民新党の亀井静香さんは、小党といえども 党首であり、テレビに映る機会が多い。 結局、彼も党首になりたかっただけではないでしょうか。
 利用できるものは何でも利用する人でしたから。
 私との結婚も、大蔵省の女性キャリアという私の肩書 き・立場を利用したかっただけなんだろうなと、 今改めて思います。
 片山氏は、東大法学部卒業後、大蔵省(当時)に入省
 女性初の主計官として注目を集め、05年、代議士に転身。 昨年の総選挙で苦杯を嘗めたものの、今夏の参院選で捲土 重来を期している。
 大蔵官僚時代の86年、東大助教授だった舛添氏と結婚。 後に離婚している。
 両者の夫婦関係はわずか2年強で終焉を迎えた。 だが事実上、結婚生活は始まりとほぼ同時に「破綻」 していたという。 近藤鉄雄先生(大蔵OBの元労働相)に紹介されてのお見合い 結婚でした。
 私が27歳の時のことです。
 今と違って、 当時は27歳にもなれば女性は結婚するものだという風潮があった。 役所は保守的なところですから、なおさらです。 そういった時代でしたから、 実は彼の前にも2回ほどお見合いの話があったんですが、 私は結婚しても仕事を続けたかった。当然、帰りが遅くなることもある。 それを知ると「ちょっと考えさせて」と言われ、二人ともお見合い にまで至らなかった。
 そんな折に紹介されたのが彼でした
  「自分の同期や教え子には官僚がたくさんいて、生活パターンは 熟知している。いくら遅く帰ってきても構わない」  彼はこう言ってくれました。 男性の権力が圧倒的に強い時代でしたが、仕事と家庭の両面を支援してくれ る人もいるんだな、この人は「希少価値」があると思った。 仕事を大切にしていた私にとって、彼のこの言葉こそが結婚を決意させた要因でした。
 最初はソフトな印象だったんですが.......。
 お見合いの場合、特に恋愛の期間がなくても結婚するものだと当時は 思っていました。 それに、相手が一回り歳上で、一応自分が卒業した大学の助教授、 しかも役所のOB政治家の紹介ということで、迂閥にも信用してしまったんですね。
 結婚前にこんなことがありました
 ある日、私に何も知らせず、 彼は夕刊紙の記者を連れてきたんです。
 そして、彼との結婚話が1面で報じられた。 保守的な役所の世界で生きていたにも拘らず、関係者への挨拶等の段取りを、 私はすっ飛ばす形になってしまったわけです。 官僚としての私の立場を全く考えていない。
 彼は、女性キャリアとの婚約という 「ニュース」をやはり利用しようとしたんでしょうね。
 ただただ、怖かった
 慌しく始まった結婚生活でしたが、「平穏」だったのは最初の数週間だけ。 そして彼は2ヵ月で「約束」を反故にしました。  「遅く帰ってきやがって!」 突然、彼は怒り始めたんです。 仕事で遅くなっても終電やタクシーで、日付が変わる前には帰宅しようと 努力していたんですが.......。
 いきなりキーッとなって、理由もなく怒鳴る。一方的にまくし立てて、 私の言うことは一切聞かない。話し合いにすらなりません。 その辺にあるものを、手当たり次第に投げつける。後の話ですが、 炊飯器の上蓋が割れていたことも。
 またある時は、サバイバルナイフなどいくつものナイフを私の目の前に ズラーッと並べた。
 彼は、ナイフ の収集が趣昧だったんです
 しかも、そのうちの一つの 刃先を私に向けたことまであります。
 充分過ぎるほど の威嚇行為でした。今で言『えぱ「DV」ということに `なるんでしょうか。  彼は身体も大きいし、ワーツと大声で責め立でてく るので怖かった。ただただ、怖かった。着の身着のまま、タクシーで浦和市 (現さい たま市)にある実家に戻ったこともあります。
結局、結婚から3ヵ月ほどで、弁護士に離婚を相談しました。
 すると、弁護士の調査で彼には愛人が、そして彼女が妊娠中であるこ とも分かった。でも既にその時は、不倫の事実を知っても何も感じませんでした。
  とにかく、一日でも早く別れたい、離れなければそれだけを考えていました。
  「出ていけ、出ていけ」とギヤーギヤー騒いでいる人の横では、 寝ることさえままなりません。今思うと、愛人ができたから、 私を早く追い出してしまいたかったんでしょうね。完全に向こうの都合です。
 私から離婚調停を申し立て、正式に離婚が成立したのは結婚の 2年3ヵ月後でした。時間を掛けたのは、世間体を考えてのことに過ぎません。
 実際は、のべ半年も同居していません。
  調停にしたのは、籍を抜きたいと言っても向こうが話し合いに応じなかった ことと、離婚の原因は彼にあることを、はっきりとさせておきたかった ことが理由です。
 10歳以上も歳下で、しかも社会での女性の地位が今と比べものにならないほど 低かった当時、彼は私にとにかく「暴力的」でした。
 弱きに強い人-。
 彼との結婚生活を振り返ると、そんなことが思い出されます。
 本当に申し訳ないんですが、良い記憶はない。
 恐怖のみ、それ以外何も感じ ませんでした。まあ、相性が合わなかった。よく調べずに、結婚した私も軽 率だったといえば、それまでですが.....。
 勉強と役しか知らない「おぼこ娘」でしたから。
 離婚翌年、彼女はゴルフ用品のマルマンの御曹司、片山龍太郎氏と再婚。
 今も彼を「龍ちゃん」と呼び、その夫婦仲はつとに有名である。
 そして05年、前記の通り代議士に。
 一方の舛添氏は、二人の女性に出産させたものの入籍せず、後に別の女性と再婚。その間には、婚約不履行で訴訟を起こされてもいる。
 01年、小泉旋風下で参院議員に 初当選。
 安倍改造内閣で厚労相として初入閣、福田麻生内閣と続投した。
 知っているのは20年以上前の彼。それから彼は変わったのか否か、 私には何とも言えません。お互い議員になって以降も、口を利いたことすらない。
  ただ、私が自民党の広報局長時代、参院選で負けた後に、一方的に私のことを 「もっとも広報に相応しくない」(「週刊文春」07年8月16・23日号) などと悪口を言って、腹いせなのか責任を被せてきたことがありました。
 いい迷惑でした
 負けた後なら、どうとでも敗因を押し付けられます。
  そもそも、白身も当時参院政審会長だったんですから、どんどん良き発信 をすべき立場だったと思うんですが。
 また彼は、最初は小泉さん(純一郎・元総理)を評価していた。
 ところが、小泉人気が一時カゲりを見せた02年頃に一転して批判する ようになる。
 安倍さん(晋三・同)の時も、参院選(07年)中から支持率 が落ちると徹底的に非難した。つまり、弱き状況にある人に強く出た。 かと思えば、その安倍さんに厚労相を打診されると喜んで引き受けたり もしている。公私ともに、人は利用するだけのものと思っているんでしょう。 今回の離党にあたっても、後見人とされる青木さん(幹雄・参院議員) と訣別したそうですが......。
 大体、彼の言葉に信頼性があるとお考えですか?
 例えば彼の新党 には郵政族や、郵政民営化に反対して自民党を離党した人がいる。 そう考えると、民主党政権が進めている「郵政改悪」支持政党という ことになりますよね。でも、彼は民営化に賛成していたんですよ。  彼にはこの政策を実現したい、是が非でも成し遂げたいといった ものがあるんでしょうか。改革派といっても、彼のどの実績がそれ にあたるんでしょうか。専門分野はあるんでしょうか。 社会保障の分野ですら、彼以上の論客は自民党にいくらでもいます。
  結局、東大を辞めた時と今回は全く同じだと思います。
 彼は東大の体質を外から告発すると言って去っていったわけですが、 その後、何か行動を起こしたとは聞かない。今度も、党名にまで使った 「改革」のための離党と言っていますが、本当にできるんでしょうか。
  いずれにせよ、彼の離党は理解しがたい
 そういった新党はさておき、 来る参院選でのターゲットは、中道左派・社会主義を志向しているとしか 思えない民主連立政権です。「第三極」の動きに惑わされることなく、 保守・自由主義の旗幟を鮮明にして、私はブレずに自民党の筋を通して 戦います。
 尚、舛添氏は依然、総理期待度調査で「29%」(2010/4月5日読売新聞)、 「21.5%」(同月16日時事通信)と、2位に3倍前後の差をつけて 首位を独走している。
 それはそうかもしれません、彼の「本当の顔」を知らされていなければ。
 民主主義社会においては、時として「小狂気」の政治家が人気を集める ことがあるんです。しかし今回、彼は党首になり、注目度と同時に責任 も増した。否応なく、いずれ彼の真の姿が明らかになるはずです。
 自民党の舛添要一前厚生労働相は22日夜、都内で講演し「仮に私が首相になったら、 閣僚の7割は民主党から選ぶ。自民党から欲しいのは3割だ」と述べ、政界再編を視野に首相の座を目指す決意を表明した。 2009/12/23
 (週刊新潮、2010年5/36・13GW特大号)

|

« 本命か、日本海に眠る「燃える氷」 | トップページ | 1月15日は「警視庁創設記念日」 »

01 ごまめの歯ぎしり」カテゴリの記事