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2014年1月15日 (水曜日)

1月15日は「警視庁創設記念日」

 明治政府は明治4年「散髪脱刀令」を布告すると、「ザンギリ頭を叩いて見れば文明開化の音がする」と巷で唄われはじめた。30623714
 まだまだ江戸時代の雰囲気を強く残している東京であった。

 明治5年(1872)5月、西郷隆盛に推挙された薩摩出身の川路利良は、東京の治安維持にあたる邏卒(後の巡査)の責任者に起用されると、同年9月、警察制度視察のためにヨーロッパに渡った。
 明治6年9月帰国するが、征韓論に揺れる明治政府であった。
 自分を推挙した西郷は韓国出兵を主張、しかし岩倉使節団に随行して同時期に渡欧していた大久保利通は猛反対する。激しい議論の末、西郷ら征韓論者は参議を辞し鹿児島に帰国することになる。西郷が去った後、薩摩藩出身者が次々と辞職するが、川路自身もどちらにつくか心が揺れたが、明00000002治政府に仕えていることを自覚し残る決心をする。そして、西郷と行動を共にしようとする薩摩人警察幹部にも、「ポリスは国家を背負うものであることを思い、進退をあやまるなかれ」と死を賭して諭したという。

 腹を決めたその後は、明治政府内の薩摩派閥の中核となった大久保に渡欧で見てきたことを報告し、特にフランスを手本とした警察制度の改革に着手する。
 この警視庁創設期を扱った小説には、司馬遼太郎の『翔ぶが如く』、山田風太郎の『警視庁草紙』、また最近では、加来耕三著の『大警視川路利良 - 幕末・明治を駆け抜けた巨人』、神川武利著『大警視・川路利良―日本の警察を創った男』などがある。

 この警視庁は1874(明治7)年1月15日創立だが、例年この日を「警視庁創設記念日 」にすると、昭和32年12月10日付の通達甲第56号で通達された。
 
 今年は関連行事として、1月22日(水)午後7時から「警視庁創立140周年記念警視庁音楽隊グランドコンサート」が東京文化会館で開催される。Photo_2

1874(明治7)年1月15日創設
1874(明治7)年1月24日鍛冶橋第一次庁舎竣工
1882(明治15)年12月4日鍛冶橋第二次庁舎竣工
1911(明治44)年3月30日日比谷赤れんが庁舎竣工
1923(大正12)年9月1日日比谷赤れんが庁舎、関東大震災で焼失
1931(昭和6)年5月29日旧桜田門庁舎竣工
1954(昭和29)年7月1日現警察法施行、現在の警視庁発足 00000honbu
1980(昭和55)年6月17日現在の桜田門庁舎竣工

 ついでながらあと一歩、警視庁創設期や近年のことに触れる。
  
 今から約150年前の幕末期、薩摩・長州を中心とした徳川幕府の倒幕運動である明治維新(革命)が成功し、明治新政府が誕生した。
 国内の治安維持回復のため、新制度を早急に整備する必要に迫られた。
 明治5年、西郷隆盛に推挙された薩摩出身の川路利良は、欧州において警察制度を研究し、帰国後に明治政府に提出した「警察制度改革の建議書」が、内務省及び警視庁創設のきっかけとなる。
 明治7年1月15日、東京警視庁が設置されると川路は警視長に任命され、同年10月、大警視となる。
 警視庁最大の危機は創設三年目の明治10年2月勃発の「西南の役」であった。
 川路は陸軍少将を兼任し、警察官で編成した「警視隊」約9500名を率いて九州及び関西地方に派遣を命じられる。皮肉にも出身地・薩摩藩士族を中心とする反乱軍の敵将は、かつて川路を推薦した西郷隆盛だった。
 「警視隊」の中には、元会津藩士の佐川官兵衛や元新選組三番組長で藤田五郎と名を改めた齋藤一(33才)が参加していたが、佐川は現在の熊本県阿蘇市で戦死。齋藤一は激戦をくぐり抜け警視庁警察官として勤務し、明治24年4月47歳で麻布署警部として退職、大正4年9月28日座禅したまま死亡したという、享年72歳。
 なお、この内乱の最大の攻防は、熊本の田原坂であった。
 数や武器には勝る警視隊も、士族で構成された西郷軍の斬り込み隊には相手にならず壮絶な白兵戦が繰り広げられる中、警視庁警視隊の中から、剣術に優れた百余名を選抜して「警視庁抜刀隊」を編成する。この抜刀隊の奮戦は西郷軍鎮静に多大な貢献をすることになるが、旧会津藩士の隊員は戊辰戦争の賊軍の汚名を果たすべく「戊辰の仇」と叫びながら斬り込んだといわれる。
 
 警視庁第二の危機は終戦時のGHQ命令による内務省などの解体であったが、かろうじて首都東京の警察組織に警視庁の名称を留められたとされる。

 戦後においても、占領期に発生した無差別大量殺人「帝銀事件」、日本共産党が主導した「血のメーデー事件」や「印藤巡査殺害事件(練馬事件)」、1960年の第一次安保闘争や1970年台の第二次安保闘争及び全共闘・大学紛争、東京オリンピック開催(第18回夏季)、成田新国際空港建設の反対運動、第5回・第19回主要国首脳会議(東京サミット)警備、今も話題にのぼる吉展ちゃん誘拐殺人事件、永山則夫連続射殺事件、三億円事件、また、あさま山荘事件、土田警視総監邸爆破事件、新宿クリスマスツリー爆弾事件、連続企業爆破事件など過激派による爆弾闘争、最近も注目される「東京佐川急便事件」や「オウム真理教事件」、重要未解決事件としては「東村山署旭が丘派出所警察官殺害事件」、「柴又女子大生殺人放火事件」、「世田谷一家殺害事件」、「八王子スーパー強盗殺人事件」等々の難事件・警備に直面した。
 更に、警視総監や北沢署長が引責辞任した「制服警察官女子大生殺人事件」、「立川署警察官による拳銃使用殺人事件」などの重大な不祥事も列挙される。
 果たして第三の危機は、どのように訪れるのであろうか。
 最も避けるべきは「獅子身中の虫」の培養のはず・・・・・
 今一度、川路利良初代大警視(警視総監)が言う「ポリスは国家を背負うものであることを思い、進退をあやまるなかれ」との言葉をかみしめ、1月15日の「警視庁創設記念日 」は、その原点を見つめ直す日にすべきだ。

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