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2013年11月16日 (土曜日)

大手町「庄内藩上屋敷」跡地の話題

 「徳川家四天王」の一人、庄内藩・酒井家上屋敷は、大名が参勤交代などの登城時に必ず使う神田橋大手門の一等地にあった。000007944_2
 庄内藩の任務は江戸城の城門警備であったが、幕末には新撰組の兄弟組織「新徴組」を指揮し、江戸の治安を乱す尊王倒幕派の取締りに当たった。新徴組を江戸庶民は「御回りさん」と呼んだことが、外回りの制服警察官を言う「お巡りさん」の語源になった。このようなことは歴史通にも意外に知られていない。

 因みに「徳川四天王」とは、徳川家康の側近中の側近、酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政の4人だが、家康の主な戦いには全て参加し戦功を挙げた譜代屈指の武将達だ。

 酒井忠次は慶長元年(1596年)10月28日、70歳で死去、亡骸は京都市東山区の「知恩院」に眠るが、子孫には「庄内藩」17万石とともに、神田橋一帯の約9,524坪が与えられた。
 この庄内藩酒井家神田橋上屋敷のことが、「大手町で庄内藩の屋敷遺構」のタイトルで11月16日(土)付けのサンケイ新聞に掲載された。
 さすが、サンケイビルが建っている場所が、庄内藩上屋敷だっただけに情報が早い。(東京都千代田区大手町1丁目9番付近)
 山形県や鶴岡市は、この発掘・保存に協力し、新築されるビル一室には跡地遺構記録や出土品などを納めた記念館を作って欲しいものだ。

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