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2013年10月 2日 (水曜日)

本田宗一郎氏 「韓国とは絶対に関わるな」

 このスタンスが韓国の産業界、いや韓国の国民性の全てを物語っている。
 この話が、仮に作り話であったとしても核心を突いていると思う。

本田宗一郎氏が語った韓国
 本田技研の創業者、本田宗一郎氏が技術支援の為に、台湾と韓国へ技術支援に行きました。
 しばらくして台湾から、 「日本と同じものが作れるようになりました。是非見に来てください!」 と連絡が入りました。
 そしてしばらくして韓国からも連絡が。
  「日本と同じものが作れるようになりました。もう来なくてもいいです。」
 そして韓国は本田とのライセンス契約を一方的に解消し、エンジンからデザインまで 全くのコピー品を”韓国ブランド”として販売を始めました。
 本田宗一郎氏は大変失望してこう話したそうです。
  「韓国とは絶対に関わるな

邸永漢との会食時の本田宗一郎氏のはなし
 (出典: 邱永漢、渡部 昇一著「アジア共円圏の時代」PHP社)
 昔、本田宗一郎さんが私の家に来て食事をごいっしょしたことがありました。
 そのとき、「本田さんのところでは、外国に何軒、工場がありますか?」と尋ねたら、「三五軒」とおっしゃったように記憶しています。
 そして、「その中で、一番うまくいっているところはどこですか?」と尋ねますと、「台湾」とお答えになり、 「台湾に行くと、台湾の人がみんな、私に『こうやって自分たちが仕事をやれるのは、本田さんのお陰です』と言って、 ものすごく丁重に扱うのです。ですから、胸に一物もっていても言い出せない」とおっしゃいました。
 この本田さんの言葉は、日本と台湾の関係を象徴しているように思います。
 ちなみに、一番具合の悪かったところはどこですかと、本田さんに尋ねましたら、「韓国」とおっしゃった。
  「どうしてですか?」と尋ねると、「向こうへ行って、オートバイを作るのを教えた。それで、一通りできるようになったら。『株を全部買いますから、帰ってくれ』と言われた。 『どうしましょうか』と下の者が聞いてきたから、『そんな事を言われるところでやることはねえよ』と言って、金をかえしてもらった。
 その翌日に朴正熈が殺されたんだ」とおっしゃった。

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