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2013年10月28日 (月曜日)

「蘆花恒春園」の雑木林は蘆花が植林

 現在、天皇皇后両陛下が行幸啓中の熊本県水俣生まれ、徳冨蘇峰(猪一郎)・蘆花(健次郎)は明治を代表する天才兄弟という程度の知識しかないが、最近、幾度も業績や名前に触れる機会があった。Roka_8s

 兄の蘇峰はドラマ「八重の桜」で八重の夫、新島襄が開校した同志社英学校に熊本から転入した時から登場していたが、後に国民新聞(現・東京新聞の前身)を発刊するなどジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家、政治家として知られる。
 
 また先日はテレビで女性アナウンサーが、徳冨蘆花著の『自然と人生』から夕日の描写の巧みさを紹介していた。
  と思っていたら、
 偶然にも、その翌日、蘆花の住居跡の蘆花恒春園に行く用が出来た。
  京王線の「芦花公園駅」を利用したことも、車で環八の「蘆花恒春園」前を通過したことも幾度かあり場所は知っていたが入ったことは無かった。Photo
 これまで徳冨蘆花に関心が薄かった証でもある。

 ところが、アナウンサーの一言から、仕事ついでだが、「どんなところに住んでいたのだろう」と、中を一回りすることになった。
 やはり一帯の佇まいは、実に興味深いレトロな環境だった。
 蘆花は、「理想主義」「自然主義的思想」の文豪・トルストイに憧れ、当時、雑木林が多く麦や野菜畑が広がる東京府下北多摩郡千歳村粕谷356番地(現在の世田谷区粕谷一丁目-20-1)に住み始めた。 (上は昭和22年の蘆花恒春園付近)

  兄・蘇峰の子だくさんとは逆に、蘆花夫婦には子供がなく、昭和11年の蘆花没後10周年忌に愛子夫人から家屋敷・耕地などが東京に寄贈され、昭和13年から公園として公開されている。51pxqf4fb8l__sl500_aa300_
 この公園辺りは、現在も武蔵野の面影を強く残していると紹介しているが、これは蘆花自身が、何もなく殺風景だった土地に木を植えて、 「いつの間にかこんな自然林の風景になってしまった」と紹介した兄・蘇峰の六女で蘆花の養女となったことがある故・矢野鶴子さんの文章があった。
 都内には江戸や明治当時から続く雑木林は、なかなか無いのかも知れない。
 「蘆花恒春園」の住所は、東京都世田谷区粕谷1-20-1

  矢野鶴子さんに聞く─蘆花夫妻の思い出
  春は文字通り「萌もえく想像もつかないほどの殺風景だったんですの。
 蘆花は花の咲く木が好きで御座いましたから、その後ずうっとまわりにあらゆる木を植え、いつの間にかこんな自然林の風景になってしまったのですの。いつでしたか、父・蘇峰が、「山林を開いて畑にすることは聞いているが畑を山林にしたのは、田中光顕さんと健次郎さんばかりだろう」と申して大笑いしたことも御座いました。

 
最後に徳富蘆花の夕日描写の一文を紹介すると、
 「已にして殘一分となるや、急に落ちて眉となり、眉切れて線となり、線瘠せて點となり、--忽ちにして無矣(なし)。」
 とある。
 こんな描写を写真に残したと思うのだが・・・・・・・まだ、この程度だ。20131010_034_1

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