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2013年8月15日 (木曜日)

妻を乗せていた最後の特攻隊員

http://www.tokkotai.or.jp/kikanshi/tokko_pdf/tokko_89.pdf

 「女が乗っているぞ!」その声が上空を旋回する11機まで届くことはなかった。Photo
 白いワンピース姿の女性を乗せた機体を操縦していたのは谷藤徹夫少尉(当時22歳)、女性は妻の朝子(当時24歳)だった。
 1945年8月19日。満州で二十代の青年将校たちは、ある者は許嫁の自決を見届け、ある者は恋人を連れ、そして谷藤徹夫は妻を乗せ、空に消えていった。
 豊田正義著「妻と飛んだ特攻兵」から!!

  わが国が存亡をかけた太平洋戦争末期、正に死にものぐるいの戦いの象徴は特別攻撃隊だった。
 誇りあるもののふの国を守るため、生還することのない特攻作戦に命を捧げた若者たちに、諸外国は驚き恐れおののき、この捨て身の戦法を脳裏に焼き付けた。
 戦後、無防備になったが、必要以上に日本を追い詰めると、特別攻撃隊に象徴される戦いぶりが脳裏をかすめ、手出しを抑える効果が働いたことは間違いない。
 よって、英霊たちは決して犬死にでは無いし、日本精神の究極の発露として永遠に語り継がれるはずだ。

 ところで、江戸三十三観音の第32番札所でもある「世田谷観音(世田谷区下馬4-9-4、三軒茶屋駅から約10分)」には、若き命を捧げた特攻隊員 、陸軍側 2,000 柱及び 海軍側 2,615 柱の英名が各々二体の特攻平和観音尊像胎内に奉蔵されていることをご存じだろうか。
  この境内に「神州不滅特別攻撃隊之碑」の碑文がある。
 1945年8月19日、11名で結成された陸軍、関東軍の特攻隊「神州不滅特別攻撃隊」。そのメンバーの多くは特攻隊員を育てた教官達。
 山形県出身の馬場伊与次中尉のほかに、青森県下北郡田名部出身の谷藤徹夫中尉には結婚間もない妻・朝子がいたが共に特攻に参加したと記録されている。

  <神州不滅特別攻撃隊之碑 碑文>
 第二次世界大戦も昭和二十年八月十五日
 祖国日本の敗戦と云う結果で終末を遂げたのであるが
 終戦后の八月十九日午后二時当時満州派遣第一六六七五部隊に所属した
 今田均少尉以下十名の青年将校が
 国敗れて山河なし生きてかひなき生命なら死して護国の鬼たらむ
と又大切な武器である飛行機をソ連軍に引渡すのを潔しとせず
 谷藤少尉の如きは結婚間もない新妻を後に乗せて
 前日に二宮准尉の偵察した赤峰付近に進駐し来るソ連戦車群に向けて
 大虎山飛行場を発進前記戦車群に体当り全員自爆を遂げたもので
 その 自己犠牲の精神こそ崇高にして永遠なるものなり
 此処に此の壮挙を顕彰する為記念碑を建立し英霊の御霊よ永久に安かれと祈るものなり
 陸軍中尉 今田 達夫 広島
 陸軍中尉 馬場伊与次 山形
 陸軍中尉 岩佐 輝夫 北海道
 陸軍中尉 大倉  巌 北海道
 陸軍中尉 谷藤 徹夫 青森
 陸軍中尉 北島 孝次 東京
 陸軍中尉 宮川 進二 東京
 陸軍中尉 日野 敏一 兵庫
 陸軍中尉 波田野五男 広島
 陸軍少尉 二宮  清 静岡
   昭和四十二年五月
   神州不滅特別攻撃隊 顕彰会

 『妻と飛んだ特攻兵―8・19 満州、最後の特攻』(豊田正義)では、
 「最後の特攻は、8月15日の沖縄ではなく、8月19日の満州」「特攻は降伏命令に反したもので、さらに2名、女性を同乗させた軍紀違反」「軍紀違反のため、残された家族は戦没者遺族にも認定されていなかった」などの歴史秘話が明らかになる。
 なお、この実話は平成20年8月15日に全訂刊行された『特別攻撃隊全史』にも追録された。

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