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2013年8月25日 (日曜日)

最後の特攻隊は山形県の何処出身?

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 終戦数日後の昭和20年8月19日 満州でソ連軍の戦車群に特攻を敢行した「神州不滅特別攻撃隊」の10名は、昭和32年、ようやく戦没者として靖国神社に合祀された。
 先日、「世田谷観音」の直ぐ近くに用事が出来たので、ついでと言ったら失礼だが参拝してきた。「世田谷観音」は「特攻平和観音」とも知られ、三軒茶屋駅から徒歩約15分、世田谷区下馬4-9-4に所在する。
 此処には、若き命を国に捧げた特攻隊員 、陸軍側 2,000 柱及び 海軍側 2,615 柱の英名が各々二体の特攻平和観音尊像胎内に奉られている。Img_1548
 前々から気になっていたところだ。
  この境内に「神州不滅特別攻撃隊之碑」の碑があり、この碑文に、「陸軍中尉 馬場伊与次 山形」とある。
 この陸軍 関東軍の馬場中尉は山形県の何処の町出身なのか特に気になっていたのだ。
 このような方は、地元の市町村役場やマスコミの目に留まり、何らかの記事にされて評価されていたことを期待していたが、ネット上からは探すことは出来ない。
 1945年8月19日、11名で結成された関東軍の特攻隊神州不滅特別攻撃隊」。
 そのメンバーの多くは特攻隊員を育てた教官達だった。
 山形県出身の馬場伊与次中尉のほかに、青森県下北郡田名部出身の谷藤徹夫中尉には結婚間もない妻・朝子がいたが共に特攻に参加したと記録されている。

  <神州不滅特別攻撃隊之碑 碑文>
 第二次世界大戦も昭和二十年八月十五日
 祖国日本の敗戦と云う結果で終末を遂げたのであるが
 終戦后の八月十九日午后二時当時満州派遣第一六六七五部隊に所属した
 今田均少尉以下十名の青年将校が
 国敗れて山河なし生きてかひなき生命なら死して護国の鬼たらむ
と又大切な武器である飛行機をソ連軍に引渡すのを潔しとせず
 谷藤少尉の如きは結婚間もない新妻を後に乗せて
 前日に二宮准尉の偵察した赤峰付近に進駐し来るソ連戦車群に向けて
 大虎山飛行場を発進前記戦車群に体当り全員自爆を遂げたもので
 その 自己犠牲の精神こそ崇高にして永遠なるものなり
 此処に此の壮挙を顕彰する為記念碑を建立し英霊の御霊よ永久に安かれと祈るものなり
 陸軍中尉 今田 達夫 広島
 陸軍中尉 馬場伊与次 山形
 陸軍中尉 岩佐 輝夫 北海道
 陸軍中尉 大倉  巌 北海道
 陸軍中尉 谷藤 徹夫 青森
 陸軍中尉 北島 孝次 東京
 陸軍中尉 宮川 進二 東京
 陸軍中尉 日野 敏一 兵庫
 陸軍中尉 波田野五男 広島
 陸軍少尉 二宮  清 静岡
   昭和四十二年五月
   神州不滅特別攻撃隊 顕彰会


 なお、この実話は平成20年8月15日に全訂刊行された『特別攻撃隊全史』にも追録された。

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