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2013年5月17日 (金曜日)

台湾の神様になった森川巡査の話

   随分前に帰化しているが、台湾出身の社員から、「台湾には日本が大好きな人が多いが、それにはそれなりの理由がある」と、こんな話しを聞いた。
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 日本統治時代に水利事業に貢献した八田與一の話は多少知っていたが、台湾の神様になった森川巡査の話は初めてだった。
 森川清治郎は明治30年に台湾に渡り、台南州(今の嘉義県)東石郷副瀬村の派出所に勤務した。住民の困窮ぶりを見かねて、上司に減税を嘆願するが聞き入れられず自殺に追い込まれる。その後、減税が聞き入れられ台湾の住民からは「義愛公」・土地神として崇められているという話だ。
 社員は、嘉義県近くの出身であり、旅行に案内したいと言われたが、是非行きたくなった。
 佐賀県警察のコレラが猛威を鎮めた増田敬太郎巡査は「警神」と呼ばれているが、これに並ぶいい話だ。

http://linkbiz.tw/2010-08-04-05-58-19/2010-11-30-06-04-29/11-


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台湾の神様になった森川巡査

  森川清治郎は明治30年、台湾に渡り、南西部の台南州(今の嘉義県)東石郷副瀬村の派出所に勤務した。森川巡査は、村内の治安維持に努める一方、派出所の隣に寺子屋を設け、手弁当で、子供たちのみならず、大人たちにも日本語の読み書きを教えた。
  また朝早くから田畑に出て、どうしたら生産が上がるのか、村民とともに汗を流して実地に指導したり、病人が出ると飛んでいき、薬や医者の手配まで世話をした。
  ある年、総督府は漁業税を制定した。しかし貧しい村のこと、なんとか税の軽減をお願いできないかと村民は一致して、森川巡査に嘆願した。巡査は「納税は日本においても義務であり、何とも仕方がない。しかし生活が極めて苦しい実情を見ると忍びない。税金の軽減については、その意を上司に伝える」と約束した。
  そして税の減免を支庁長に嘆願したが、逆に森川巡査が村民を扇動していると曲解され、懲戒処分にされてしまう。村民のために尽力してきた森田巡査にとって、この懲戒は無念やる方なかっただろう。自ら村田銃の引き金を引いて自決した。銃声を聞いて駆けつけた村民たちは、変わり果てた巡査の姿を見て、嘆き悲しみ、村の共同墓地に懇ろに弔った。
それから、約20年後の大正12年、この地域で伝染病が流行した時、村長の夢枕に制服姿の警察官が出てきて、「生水や生ものに注意せよ」と告げた。村民にその注意を守らせると、伝染病はおさまった。
村民たちは、自分たちの親や祖父母が一方ならぬ世話になった森川巡査が、死後も自分たちを護ってくれていると感謝し、巡査の制服制帽の姿を木像で作り、義愛公と呼んで祀った。この「日本人の神様」は、今でも「観音様、媽祖様、義愛公様」と、人々の信仰を集めているという。[3,p131]

 (付記)森川巡査の自殺の原因となった副瀬村の人々に対する税金は、賦課査定に誤りがあったことが後でわかり、村人への税額は従前通りに軽減され、且つ、1935年には、台南州知事 今川淵氏は、森川巡査の事蹟を警察官の鑑として表彰しています。

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