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2013年3月23日 (土曜日)

バチカンは中国を認めず、台湾と国交

 

7265 台湾が独立国か、中国の一部とみるかは立場によって大きく分かれる。
 この現状には日本も深く関連している。
 まず、日本の敗戦で台湾占領が解かれ中国のものになった。
 日本軍が戦った中国国民党が戦後、人民解放軍の中国共産党に敗れた。共産党の人民解放軍は日本との戦いで弱っていた国民党を狙っていたのだ。
 漁夫の利を得たのは中国共産党だった。、
 そして、勝利した毛沢東が1949年「中華人民共和国」成立を宣言し、国民党の蒋介石が軍隊と共に台湾に逃げたことから分裂した。

 さて、バチカン市国から中国は相手にされていないため、中国内のバチカンの影響下にある教会を非合法組織として取り締まり弾圧されている。
  唯物史観の共産党独裁国家らしく分かり易い。 
 いまとなっては中国共産党を認めず、台湾を唯一の正当国家と認めたバチカンの一貫性ある判断には説得力がある。また、 中国は1970年代に、中華民国(台湾)に代わって国連安保理の常任理事国となったが、多くの国連加盟国は見る目が無かったと言える。
 なお、戦前から台湾に住んでいて、日本の植民地下で日本の教育を受けていた住人は日本びいきが多い。東日本大震災の被災者に対する主な国の義援金は、アメリカ90億円、中国3億円、韓国16億円というが、台湾からは何と200億円に達した。それも9割は民間人からと言うから驚く。
 日本が今後、最も大切にする隣人が何処かはハッキリしている筈だ。

 新ローマ法王の就任ミサ 中国代表送らず
        2013.3.20
【ベルリン=宮下日出男】
 バチカンのサンピエトロ広場で19日に行われた就任ミサで、新ローマ法王フランシスコ(76)は信者や各国政府首脳らを前に「教会の使命は人々を守ることだ」と述べ、約12億人のカトリック信者の頂点としての決意を表明した。
 法王はミサで、ローマ法王の権威を示す5つの赤い十字架が刺繍(ししゅう)された羊毛製の肩掛け「パリウム」を受け取った。
 前法王ベネディクト16世が就任ミサで使ったものだという。その後、初代法王の姿がデザインされた銀の「漁師の指輪」が与えられ、第266代法王に正式に就任した。
 ミサには日本から森喜朗元首相が特使として出席したほか、米国のバイデン副大統領、ドイツのメルケル首相、法王の出身国アルゼンチンのフェルナンデス大統領ら約130カ国・地域や国際機関から要人が出席。台湾の馬英九総統も参列したが、中国は代表を送らなかった。
 バチカンは欧州で唯一、中国を認めず、台湾と外交関係を持つ。
 フェルナンデス大統領は法王に、英領フォークランド(アルゼンチン名マルビナス)諸島の領有権問題解決に向けた英国との仲介を依頼したが、法王は回答を避けたという。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130320/erp13032009360001-n1.htm

中国の内戦の泥沼にひきずり込まれていった日本

 それには複雑なものが、からみ合っています。しかし大きな目で見ると、日本は中国の内戦の泥沼に巻き込まれていったことがわかります。
 中国は、あたかも巨大なブラック・ホールのように、日本をその泥沼にひきずり込んでいったのです。
 当時の中国を、まとまった一つの国家のように考えたら誤りです。当時、中国は内戦によってズタズタに引き裂かれた地であり、国家の体をなしていませんでした。
 さて中国の内部では、欧米や日本のような近代国家になることを目指す維新派と、ロシアのような共産国家になることを目指す共産主義勢力とが対立していました。
 維新派勢力の代表は蒋介石、共産主義勢力の代表は毛沢東です。当初、蒋介石の軍隊は毛沢東の軍隊よりも圧倒的に優勢でした。
 一時、共産軍は全滅に近いところまで行ったほどです。ところが共産軍は劣勢を挽回するために、あることを計画します。
 それはこれ以上、蒋介石軍と真っ向から戦っては、もはや勝ち目はない。だから日本軍をこの中国に引きずり込み、日本軍と蒋介石軍とを戦わせて、どちらか生き残った方と戦う、ということでした。
そうすれば日本軍と蒋介石軍が戦っている間に、自分たちの戦力の回復を計れます。また、日本軍と蒋介石軍のどちらが生き残ったにせよ、その時点では弱体化していますから、それと戦えばよいのです。
 さらにこうすれば、日本国内の力も弱体化し、日本を共産化する道も開けます。こうして共産主義勢力は、日本軍を戦争へと挑発し始めたのです。
 じつは当時日本は、中国側との間に起こり始めていた抗争や、いざこざを、何とか和平に持ち込みたいと願い、様々な努力を続けていました。
 蒋介石の顧問にW・H・ドナルドというオーストラリア人がいました。彼がのちに証言したところによれば、日本は1938年から1941年の間に中国側に対し、12回も和平提案を行なっていたのです。
 しかもその条件は、中国側に有利なものでした。中国に対する領土的要求は含まれていませんでした(ヘレン・ミアーズ『アメリカの鏡・日本』メディアファクトリー刊)。
 日本はもともと、中国の領土を支配しようなどと妄想していたわけではないのです。日本が繰り返し和平提案を行なったことからみても、日本は好きこのんで戦争を続けたわけではありませんでした。
 日中戦争の発端と言われる蘆溝橋事件(1937年)にしても、日本軍と、蒋介石の国民党軍との間に起きた、小さな衝突事件にすぎませんでした。
 またこの事件でさえ、じつは犯人は共産軍だったと指摘する人もいます。この事件の翌日、中国共産党は、日本との開戦を主張する激烈な声明を出しました。そして蒋介石に対日開戦を強く迫りました。
 また共産党は、現地の停戦協定が成立し戦争が終わりそうになると、各地で日本人に対するテロを繰り返し、戦争を挑発しました。
 中国共産党の活動は、日本軍と蒋介石軍とを戦わせるという、コミンテルン(国際共産党)の方針に基づいたものだったのです。日本は、その戦略にまんまと乗せられてしまいます。
 そして日本軍と蒋介石軍が戦っている間に、共産軍は勢力を回復、やがて蒋介石軍を打ちのめし、政権を取り、中国を共産化してしまいます。中国が共産化したとき、毛沢東は高らかに笑って言いました。
 「中国が統一され、人民共和国政権が誕生したのは、みな日本の中国侵略のおかげだ。我々は日本に感謝しなければならない」。
 ずいぶん皮肉な言い方をしたわけですが、日本のこの中国「侵略」は、毛沢東率いる共産軍の策略に乗せられたものだった、ということを忘れることはできません。
 共産主義の理念の中では、いかなる策略も、暴力も、共産主義世界実現という大義の前には正当化されます。目的のためには手段を選ばなくてよいとされるのです。
 そして共産主義では、過去の歴史もすべて、共産主義体制に都合のいいように解釈されます。
 今日も中国共産党の指導者は、日本の政治家に会えば、「日本の戦争責任」や「正しい歴史認識」を口にします。それを聞いて、日本の政治家がうろたえる姿がテレビに映ります。
 しかし、うろたえる前に、過去の歴史をよく知っておかなければなりません。

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