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2013年2月 9日 (土曜日)

渋谷暴動殺人指名手配犯・大坂正明

 久々に「渋谷暴動事件指名手配犯」中核派・大坂正明の名前に目が留まった。
Oosaka 渋谷暴動は、1971年(昭和46年)11月14日、沖縄返還協定の批准阻止を掲げる中核派の学生ら約400人が渋谷の街で暴徒と化した。
 殺人集団である中核派は、
 「独占資本が人民の手によって鉄火の糾弾を浴びる必要がある。我々は、佐藤が返還協定批准をあきらめる以外には決して止まないであろうほどの大暴動を渋谷に実現する。」と言い放つ、「渋谷を人民の手で制圧し東京大暴動を起せ!」などと、
 井の頭線の線路上に放火して電車の往来を止め、あるいは看板、ダンボール等を持ち出し放火した。
 更に、渋谷で警備中の機動隊員や渋谷警察署・宇田川町派出所・神山派出所などに火炎びん等で襲撃した事件だ。
 そして、この警備に従事中の関東管区機動隊・新潟中央小隊員(新潟中央署)の中村恒雄巡査(当時21歳)が死亡、他三人が重傷を負った。中村巡査は新潟県佐渡郡相川町(現佐渡市)出身でした。
 大坂正明は、昭和46年11月14日午後3時20数分すぎ、渋谷区神山町11番10号近藤方前路上において、鉄パイプで殴られ倒れている中村巡査に対して火炎瓶を投げつけ死亡に至らしめた張本人だ。021tnakamura1
 大坂正明は現在も殺人罪、放火、傷害罪、凶器準備集合罪、公務執行妨害容疑で、警察庁指定重要指名手配被疑者として全国に指名手配されている。
 それが、逃亡の足取りが我が家から比較的近いところに所在する立川市砂川町のマンション一Photo_3室の中核派非公然アジトに残っていたという報道があった。
 最近も群馬県下の病院に通院していたことが判明しており、今も首都圏近郊に潜伏している可能性が高いらしい。
 多少、大坂正明の現在をプロファイリングしてみると、
 顔立ちは年齢相応に変貌しているが、濃い顔立ちの印象は残し、床屋には行かず自分でカットし白髪交じりの長髪。年齢の割りには長身で痩せ型のスタイルを維持。
 日常生活は組織の支援を受けつつ女性と同棲している可能性が高い。
 組織内では、指導者層の一人として、組織の活動分析、活動方針などの企画を担当し、最近では、憲法9条維持や原発反対運動などに力を入れているはずだ。
 当面のテーマとして、改憲投票法案絶対阻止・安倍打倒を目指して3・18日比谷野音に結集を呼び掛けていることであろう。
 都心にも埼京線や京浜東北線或いは八高線あたりを利用して普通に出入りしているはずだ。
  なお、中核派は旧社会党の社民党の友党で知られる。
 中核、革マル、革労協など極左の内ゲバ事件の死者は100名以上と言われるが、日本の政治にも、これら殺人集団が色濃く関与している。
 社民党などの左翼集団は人権を声高に叫ぶが、その実態はそんなものだ。
 特に、福島瑞穂(社民党首)や辻元清美(社民→民主)は人権派を標榜するが、裏では、ゲリラも殺人も行う極左団体と活動を共にしている事実がある。
 この事件を忘れることが出来ない理由はいろいろあるが、一番は小生も大坂正明も中村巡査も同世代だということ。
 大坂正明逮捕も近いだろうが、
 一日も早く官憲の縛につき、極左が好きな総括裁判闘争に移ったらいい。

過激派アジト発見のポイント
 昼間でもカーテンをして部屋の中が見えないようにしている。
 部屋を出入りする際に、周囲を異常に気にしている(部屋から出ても周囲を見回している) 夫婦と言っているが、夫婦にしてはどこか不自然である。
 回覧板を持っていったりすると玄関の外で対応したり(部屋に入れない)、
 玄関に入れてもカーテン等で室内が見えないようにして部屋の奥を気にする。
 独身(単身)なのに、頻繁に(見慣れない)複数の者が出入りしている。


渋谷暴動事件の大坂容疑者、東京近郊に潜伏か 現在も中核派革命軍で活動
  http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130208/crm13020813490007-n1.htm
                     2013.2.8 13:44
 昭和46年の渋谷暴動事件で警察官を殺害するなどしたとして、殺人などの容疑で指名手配されている大坂正明容疑者(63)が現在も過激派「中核派」で、テロやゲリラを実行する秘密組織「革命軍」のメンバーとして活動を続けていることが8日、捜査関係者への取材で分かった。
 警視庁公安部が昨年3月に家宅捜索した東京都立川市の革命軍のアジトから、大坂容疑者が活動していることを示す資料が見つかった。
 公安部はこのアジトと連絡が取りやすい東京近郊に潜伏している可能性が高いとみている。
 大坂容疑者が指名手配されたのは昭和47年2月で、警察庁指定の重要指名手配容疑者12人の中で最も長く逃亡し、生死もはっきりしていなかった。
 共犯者の男の公判が病気治療を理由に56年に停止したため、公訴時効は成立しておらず、平成22年4月の刑事訴訟法改正で時効は廃止された。
 渋谷暴動事件は昭和46年11月14日、渋谷駅周辺で、沖縄返還協定の批准阻止を訴える過激派の学生ら約400人が暴徒化し、機動隊と衝突。
 大坂容疑者は警備中の機動隊員、中村恒雄警部補=当時(21)、2階級特進=に火炎瓶を投げつけるなどして殺害した疑いがもたれている。

一 原判決認定事実の概要

1 被告人星野文昭は昭和四一年四月に、同荒川碩哉は同四二年四月に、分離前の相被告人奥深山幸男(控訴申立後、病気により公判手続停止中である。以下単に奥深山と言う。は同四三年四月に、それぞれ群馬県高崎市所在の高崎経済大学(以下高経大と言う。)に入学したものであるが、三名とも入学直後から学生運動に熱意を抱き、同大学学生自治会の再建をはかり、同四四年六月ころには、被告人荒川を委員長、同星野を副委員長、奥深山を執行委員の一人とする学生自治会が成立した。

2 被告人らは、いずれもマルクス主義学生同盟中核派(以下中核派と言う。)の同盟員もしくはその強い共鳴者であつて、被告人荒川においては、その後連続三期自治会委員長を勤め、その間に、同自治会が組織加盟した全国学生自治会総連合(中核派系)の中央執行委員となり、被告人星野においては、本件当時は、いわゆる成田三里塚闘争の関係で捜査当局から指名手配を受けていた。

3 昭和四六年に入り、いわゆる沖縄返還協定が、同年秋には批准されるのではないかと予想されるに至つたため、中核派は、右協定批准阻止闘争に全力を注ぐ方針を定め、一〇月には、一一月一四日首都総決集戦(以下11・14闘争ないし本件闘争と言う。)を呼びかけ、一一月に入るや、機関紙「前進」一一月一日号及び同月五日付号外(以下五日付前進号外と言う。)に、「機動隊せん滅」あるいは「渋谷に大暴動を」などのタイトルの下に、煽動的な記事を掲載して、読者に11・14闘争への参加を強く求めた。

4 そこで、被告人荒川及び奥深山らは、高経大のみならず、近隣の群馬大学、群馬工業高等専門学校(以下群馬工専と言う。)、宇都宮大学の中核派のメンバーあるいは同調者に、11・14闘争への参加を呼びかけ、同月六日には、O、K、ARら数名とともに、法政大学で行われた、11・14闘争に向けての決起集会に出席し、席上、奥深山が、群馬地区からの参加者を代表して、闘争参加の決意を表明した。

5 翌一一月七日、被告人荒川及び奥深山は、高経大自治会室において、参集した者に対し、11・14闘争への参加を呼びかけ、同日夜には、前示O、K、ARのほか、N、X1、SB、I、X43、X 36、Tら約一四名を被告人荒川方(和楽荘)に集め、五日付前進号外により11・14闘争の意義、内容などをこもごも説明し、強く同闘争への参加を促した。右呼びかけに応じ、AR、SBら三名位が闘争参加の決意を表明した後、奥深山は、参加者の班編成などを説明し、同人が中隊長、ARが中隊副官になること(以下奥深山を中隊長として編成された部隊を群馬部隊と言う。)、同月一〇日に上京して本件闘争に備えることなどを指示した(以下荒川方会議と言う。)。

6 同月一〇日、被告人荒川及び奥深山、I、X1、N、SB、O、X43、AR、Kらとともに上京し、あらかじめ借り受けていた東京都目黒区内の中田ビル五階五号室の中田方(以下中田アジトと言う。)に入つたが、同日には中村某、X39が、翌一一日にはT、Aがこれに合流した。その後、被告人荒川及び奥深山は、右参加者らに対し、各種集会に参加させ、また、中核派の闘争本部と連絡のうえ、渋谷周辺を下見させ、あるいは闘争用の火炎びん、竹竿、工具類などを調達、製造、隠匿させるとともに、夜間は、同アジトにおいて、右参加者らと前進の読合わせなどを行なつた。

7 同月一三日、本件闘争に関する、渋谷への中核派各軍団の結集計画に伴い、群馬部隊も、本件当日午後二時国鉄中野駅で他の部隊と合流することになつたことから、被告人荒川及び奥深山らは、群馬部隊の集結方法を検討するなどした。同日夜、被告人荒川は、中野駅集合部隊の指揮者打合せ会議に出席して中田アジトに戻つた奥深山とともに、T、O、I、N、X1、SB、A、X39、X43、K、AR、中村のほか、新たに合流した岸達雄の全員を集めて全体会議を開き、その士気を鼓舞し、参加者の一部からは、決意表明が行われた。また、その後、被告人荒川は、奥深山、AR、O、I、中村とともに、翌一四日に、鉄パイプを含む工具類や火炎びんを運搬する班、群馬部隊の集合地国鉄立川駅に至るべき経路等を検討し、決定した。

8 同月一四日、被告人荒川を除く右の者らは、二人ないし三人一組となつて逐次中田アジトを出発し、それぞれ定められた道順を辿り、一部の者において火炎びん、鉄パイプ、工具類などを携行したうえ、一旦立川駅に集合し、同日午後一時四〇分ころ、中野駅に到着した。やがて、同駅ホームには、豊島反戦、中野地区反戦の労働者や学生及び埼玉大学や立正大学の各学生による埼玉部隊の者ら約一三〇名ないし一四〇名が、それぞれ火炎びん、鉄パイプなどを携行して集合し、間もなく、被告人星野も姿を現わした。奥深山は、同被告人の指示により、指名手配中の同被告人を防衛するよう、AR、K、I、Aらに命じた。被告人星野は、同駅ホームで、右火炎びん等を携行する各部隊(以下本件集団と言う。)に対して、警察署、交番等への放火、機動隊員の殺害に関するアジ演説を、これに呼応する本件集団を指揮して同駅を出発し、新宿駅で小田急線に乗り換え、同日年後三時一三分ころ、同線代々木八幡駅に下車した。

9 その後、被告人星野の指揮する本件集団は、同駅前から駈足で渋谷方面へ向かい、途中、同都渋谷区神山町所在の警視庁渋谷警察署神山派出所(以下神山派出所と言う。)付近において、道路上に横隊となつてその進路を規制していた小隊長冨沢健三以下二七名の警察官と遭遇するや、被告人星野の号令の下、多数の火炎びんを投てきし、三名の警察官に加療約二週間ないし約一年四か月を要する顔面、両下肢等熱傷の各傷害を負わせ、また同集団の一部の者は、神山派出所に火炎びんを投げつけて放火し、現に住居に使用している同派出所の土台、天井板などを焼燬した。

10 続いて、同日午後三時二〇数分すぎころ、同区神山町一一番一〇号近藤忠治方前路上(以下本件殺害現場と言う。)において、本件集団に属する多数の学生、労働者の攻撃を受けて後退中の巡査中村恒雄(当時二一歳、以下中村巡査と言う。)を発見するや、鉄パイプ、竹竿、火炎びんを持つた被告人星野、奥深山、大坂正明、A、K、ARらを含む数名にて、これを捕捉して順次取り囲み、被告人星野の「やれ。」との号令や、大坂の「殺せ、殺せ。」の怒号に呼応し、即時同所において、右の者らは、共同して同巡査が死に至るかも知れないことを知りながら意思相通じて、棒立ちのまま無抵抗の中村巡査に対し、右の者らにおいて所携の鉄パイプ、竹竿等で同巡査の頭部、肩部、腹部を多数回にわたつて乱打し、それにより道路上に同巡査が倒れるや、右の者ら及び右状況を認識して同様に未必の殺意を抱きこれらの者と意思相通じて同巡査をその後順次取り囲むに至つた本件集団の者ら数名において、被告人星野の指示のもとに、そのうちA、ARを含む数名の者が、中村巡査めがけて、火炎びんを数本投げつけ、これを発火炎上させて同巡査に対し、ほぼ全身にわたつて第二度ないし第四度の火傷を負わせ、翌一五日午後九時二五分ころ、同都千代田区富士見二丁目所在の東京警察病院において、右火傷により同巡査を死亡させたが、本件集団は、右火炎びん投てき後、同区道玄坂二丁目所在の東急本店前へ進出した(以上が、原判決の判示する、本件犯行に至る経緯及び同犯行の概要であるが、なお、原判決は、被告人星野の兇器準備集合、同荒川の兇器準備結集について、それぞれ本件集団の中野駅から神山派出所前を経て東急本店前に至るまでを集合ないしは結集として判示している。また、本項においては、本件殺害現場関係以外についての共謀の成立時、その内容等に関する原判示部分を便宜省略した。)。

二 本件捜査及び公判等の経過

記録及び関係証拠によれば、以下の事実が認められる。

1 11・14闘争においては、約三〇〇名が現行犯人として逮捕されたが、警視庁及び東京地方検察庁は、その余の参加者に対しても捜査を開始し、とりわけ中村巡査殺害に関して、特別の捜査態勢をとり、電車内あるいは街頭などに残された火炎びんなどの遺留品を収集し、目撃者から犯行状況を聴取するとともに、神山派出所付近における本件集団を撮影した写真から、参加者を割り出すよう努めた。

2 その後、当日の参加者が殆んど中核派をあらわす白のヘルメツトを使用していた中でノンセクトを示す黒のヘルメツトを着用していたX1及びNが特定されて、昭和四七年一月一九日右両名が逮捕され、その自供により群馬部隊の全容が判明し、同年二月二日に奥深山、A、I、O、Kらが、同月二九日にSBが、同年三月一八日にARが、いずれも兇器準備集合、公務執行妨害、傷害、現住建造物等放火の容疑で逮捕されて取調べを受けるに至つた(なお、奥深山、K、A、ARの四名は、後に殺人容疑で再逮捕されている。)。

3 右逮捕者のうち、X1、A、K、ARは、捜査官による取調べ後東京家庭裁判所に送致され、X1を除くその余の者らは、いずれも同裁判所から再び検察官に送致された。

4 以上のような経過を経て、X1、奥深山を除くその余の者は、いずれも前記罪名により(再逮捕された者については、殺人罪を含む。)起訴されたが、その後、Aは、控訴審において懲役七年(一審では懲役四年以上六年以下の不定期刑)、Kは、一審において懲役三年以上五年以下(控訴棄却)、ARは、控訴審において懲役五年以上七年以下(一審では懲役四年以上六年以下)の刑にそれぞれ処せられ、O、I、T、N、SBは、いずれも懲役三年(O、I、T、Nは四年間、SBは五年間の各執行猶予付の刑に処せられた。

5 奥深山は、昭和四七年二月二三日に兇器準備集合、公務執行妨害、傷害、現住建造物等放火の罪により、同年三月一三日には、中村巡査に対する殺人の罪により、それぞれ東京地方裁判所に起訴された。

 被告人荒川は、同年四月四日に逮捕され、同月二五日兇器準備結集、公務執行妨害、傷害、現住建造物等放火、殺人の罪により、同裁判所に起訴された。同年八月一四日、右両名に対する弁論が併合され、審理が行われた。

6 原審は、前示X1ら共犯者(但し、Nを除く。以下同じ。)を証人として取り調べたが、そのうち、SB、I及びTの三名は、その出頭を拒否したため、勾引されたものであり、SBは、さらに当初証言拒否の態度を示していたが、その後ようやく証言するに至り、また、Oは、当初出頭を拒否しており、説得の結果出頭したものの、証言を拒否したことにより過料の制裁を受けたが、その後(後記被告人星野に関する弁論の併合後)の公判期日において証言を行うに至つている。

7 他方、被告人星野は、昭和五〇年八月六日逮捕され、同月二七日、兇器準備集合、公務執行妨害、傷害、現住建造物等放火、殺人の罪により、東京地方裁判所に起訴された。その後、原審は、同年一二月二二日に至り、被告人荒川及び奥深山に対する弁論に、被告人星野に対する弁論を併合したが、同被告人について、前示X1ら共犯者を再度証人尋問する必要上、その都度弁論の分離、併合を行いながら、AR、A、K、X1、SBT、Iの各証人調べを行つた。

8 右証人調べの後、検察官から、右証人らの検察官に対する供述調書(以下検事調書と言う。)につき、刑事訴訟法三二一条一項二号に基づく取調べ請求がなされ、原審は、同五二年一月一四日右各検事調書を採用する旨決定した。

9 原審は、昭和五四年八月二一日被告人星野に対し懲役二〇年、同荒川に対し懲役一三年の各刑を、同年一〇月二三日奥深山に対し懲役一五年の刑をそれぞれ言い渡した。

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投稿: 大嶺貴之 | 2015年7月21日 (火曜日) 午前 11時55分

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