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2013年2月 2日 (土曜日)

乗り換え不便な「時の鐘と蔵の街」

 昨日・通勤途中の朝、萩山駅辺りで携帯が鳴った。
 車内なので一方的に語るように告げると、「社員が通勤途中、志木駅近くで交通事故に遭い救急車で病院に運ばれたから直ぐ行って調査して欲しい。」との連絡だった。Kawagoemap
 何らヤブサカではないが、はて、どのように現場に行くべきか一瞬迷った。
 自宅に戻って車にするか、それとも、武蔵野線の新小平からか、小平から本川越経由にするかだ。
 結局、西武線・本川越から東武東上線の川越駅に乗り換えて志木駅に向かうことにした。

 そのとき浮かんだのが「時の鐘と蔵のまち」と「三方領地替事件」。
 西武鉄道では昨年秋あたりから、本川越駅に「時の鐘と蔵のまち」の副駅名を付けて観光地としてPRしている。
 川越は今や「小江戸」などと呼ばれて栄えているが、今から170年も前の天保十一年(1840年)には貧しさから、藩主が庄内藩に行きたいと「三方領地替」が持ち上がったところだ。

 これは出羽庄内の酒井忠器を越後長岡に、武州川越の松平大和守斉典を庄内に、越後長岡の牧野備前守忠雅を川越へ、それぞれ移そうとしたことだ。
 水野忠邦が老中の反対を押し切って発令したのであるが、庄内農民の「雖為百姓、不仕二君」(百姓といへども二君に仕へず)と一揆で阻止したことで知られる。
  この領地替は、川越藩松平斉典が財政破綻から裕福な庄内へ行きたいと駄々をこねたことに端を発し、老中首座の水野忠邦はこれを奇禍として、豊かな庄内や新潟を天領にしようと画策したものと言われる。
 もし、領地替えが成功していたら、各藩の歴史はどのように変化したであろうか。
 その後、領地替えに失敗した水野忠邦は失脚し、その長男・忠精は出羽国山形藩に懲罰的転封を受けた。
 「そんなに山形に行きたいのならお前が行け」と言うことか。

 時代は流れて今や川越には、西武線、東武線、JR線の三本が入り込んで、一見繁栄しているように見えるが、駅の配置を見れば分かるとおり、計画性のなさが如実に現れている。
 東京に直結し地の利は良いのに、それを生かし切っていないことが解る。
 今回は、西武線・本川越から東武線・川越駅までクレアモール辺りを一キロ近く歩いたと感じだが、統合駅など簡単には出来る状態ではない。

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