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2013年1月15日 (火曜日)

鉄道の父・佐藤政養のこと。

 「鉄道の父」と言われる佐藤政養のことが、15日付けの産経新聞に「政養は海舟門下では竜馬の兄弟子だった。政養が果たした役割はもっと評価されていい」と紹介された。
 このように専門家の評価は高いが、残念ながら、政養のことは東京あたりでは殆ど無名だ。
 比較的大きなJRの駅長との会話中にも話題にしたが、知らなかった。Sato_1

 佐藤政養(さとう・まさよし)(※地元では「せいよう」と呼ばれる)(1821~18727)は山形県遊佐町生まれだ。
 毎年、1 0月14日は鉄道記念日、「汽笛一声新橋を、はや我が汽車は離れたり・・・」の鉄道唱歌の生まれた日だ。
 この10月14日の決定には、政養が大きく関係している。
 それは、明治5年10月14日、日本で初めて列車を、新橋~横浜間を走らせることに成功した日であり、明治4年に「初代鉄道助(今の運輸次官)」に就任した政養の功績から「鉄道の父」と呼ばれる。

 因みに、「○○の父」と呼ばれる方々を数名あげると、
 ■「騎兵の父」は秋山好古(秋山兄弟の兄)
 ■「警察の父」は川路利良(初代・警視総監)
 ■「民生委員の父」は林市蔵 (第15代大阪府知事)
 ■「日本スキーの父」はレルヒ少佐(スキー術の普及)
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1854年10月26日 佐藤政養が勝海舟に入門
    産経新聞 2013.1.15 07:38
 農民出の技術者、龍馬を支える
 嘉永7(1854)年10月26日、江戸・赤坂見附にあった勝海舟の蘭学塾に、1人の男が入門した。
 庄内(山形県)出身の佐藤政養(せいよう)(与之助、1821~77年)である。
 この年の1月にはペリーが再来日し、日本中が欧米の軍事的脅威をひしひしと感じていた。  
 政養は海舟のもとで蘭学や西洋砲術、測量学などを学んで頭角を現していった。
 彼は農家の出身だった。にもかかわらず勉学の才によって庄内藩士に取り立てられ、江戸で学ぶことができた。
 時代が彼に、そうした働きを要請したとみることも可能だろう。
 海舟はこの2歳年長の弟子を重宝し、かわいがった。
 ほどなく政養は塾頭のような立場になる。
 海舟に連れられ長崎にも赴いた。
 文久2(1862)年、坂本龍馬が海舟門に入るが、政養は兄弟子として世話した。
 維新のあと、政養は民部省の鉄道助(すけ)(次官)に任官する。
 新政府が技術者としての手腕を見込んだのだった。新橋-横浜間の鉄道敷設(明治5=1872年完成)に尽力し、その後は関西で京都と敦賀(福井県)を結ぶ鉄道建設を推進した。
  「政養がほとんど無名なのは、彼が政治的な動きを避け、技術者の実務に徹したからです。海舟や龍馬からも深く信頼されていました。政養が果たした役割はもっと評価されていい
 維新史の研究家、増田恒男・司馬遼太郎記念館特別学芸員は言う。
 京都市東山区にある馬町(うままち)交差点の北側住宅地の一画に、「政養招魂碑(しょうこんひ)」が残っている。
 京都在任中の政養が先祖ゆかりの地として買い取り、没後に夫人が石碑を建立したものだ。
 顧みる人もなく荒れていたが昨年、故郷の遊佐(ゆざ)町が政養顕彰のため土地を購入した。海舟が題字を揮毫(きごう)した碑の修復も、近く動き出す。(渡部裕明)

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