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2013年1月13日 (日曜日)

自殺で示した「自己の重要感」

 人を心から動かす秘訣は「自己の重要感」を満たすことであり、暴力や脅しが伴う体罰ではない。
 桜宮高校・バスケ部主将は自殺することで自己の重要感を示したのかも知れない。

 桑田真澄さんは「殴られて愛情を感じたことは一度もない。」、
 「体罰で力のある選手が野球嫌いになり、やめるのを見てきた。」と言う。
 殴るのは、「育てたいという愛情があるからだ。」と、体罰肯定派が良く使う理屈だ。
 しかし、暴力や恐怖心を与えて人を動かそうとするのは暴力団やチンピラと同じ次元で、最も下劣なこと。場合によっては犯罪だ。

 「人を動かす」秘訣はこの世にただ一つしかない」、それは「みずから動きたくなる気持ちを起こさせること」とカーネギーは断言している。
 暴力や脅しでも人は動くが、それは少なくとも監視の目を向けているあいだだけだ。そして、
 「現実社会で自己重要感を満たせないと、狂気の世界で重要感を満たす方向に行ってしまう人もいるようです。」
 と、
 そして思った。
 桜宮高校・バスケ部主将の自殺は、自己の重要感を満たすための最後の手段だったのではないかと・・・・・・・・・・・
 指導的立場にある人達には一度は読んで欲しいものだ。

 「人を動かすP32から引用
 人を動かす秘訣は、この世に、ただひとつしかない。A300_
 この事実に気づいている人は、はなはだ少ないように思われる。
 しかし、人を動かす秘訣は、まちがいなく、ひとつしかないのである。
 すなわち、みずから動きたくなる気持ちを起こさせること—–これが秘訣だ。
   もちろん、相手の胸にピストルを突きつけて、腕時計を差し出したく気持を起こさせることはできる。従業員を首きりでおどして協力させることもできる。
--少なくとも監視の目を向けているあいだだけは。
 鞭やおどしことばで子供を好きなように動かすこともできる。
  --中略--
 心理学者、ジグムント・フロイトの言葉によると、人間のあらゆる行動は、ふたつの動機から発する—-すなわち、性の衝動と、偉くなりたいという願望がこれである。
 アメリカの第一流の哲学者であり、教育者でもあるジョン・デューイ教授も、同様のことを少しことばをかえていいあらわしている。
 つまり、人間の持つもっとも根強い衝動は、”重要人物たらんとする欲求”だ。
 ”重要人物たらんとする欲求”とは、実に意味深い文句だ。
 --中略--
 普通の人間なら、まず、つぎにあげるようなものをほしがるだろう。
 1.健康と長寿
 2.食物
 3.睡眠
 4.金銭及び金銭で買えるもの
 5.来世の生命
 6.性欲の満足
 7.子孫の繁栄
 8.自己の重要感

 これらはたいてい満たすことができるものですが、ひとつだけ例外があります。
それは、食欲や睡眠欲同様になかなか根強く、しかもめったに満たされることがないもの。
つまり8番目の「自己の重要感」です。
   専門家の意見では、現実社会で自己重要感を満たせないと、狂気の世界で重要感を満たす方向に行ってしまう人もいるようです。
 このような場合、実際に精神の異常をきたす人もいるようです。
 アメリカの病院には、精神病患者が他の患者全部合わせたよりも多くの患者が収容されているとさえいわれています。
 このような精神病患者の精神異常の原因は何か?
 医者でもわからないと、答えが返ってくるようです。
 なぜなら、その人たちがなくなられてから、脳細胞には何ら組織的欠陥は認められないようです。
 しかし、専門家の言葉として、現実の世界では満たされない自己の重要感を得るために、狂人になる人が大勢いることは確かだ。
 人はいかに自己の重要感を満たすかに、常に腐心しているのかもしれない。

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 元巨人桑田真澄さん「スポーツ界は変わるべきだ」
    産経新聞 2013.1.13

 小学生の時、グラウンドで監督やコーチから殴られない日はなかった。
連帯責任が当たり前で、チームメートがミスをしても「キャプテン、来い」と呼ぱれ平手打ちされたり、お尻をバットでたたかれたりした。
 殴られて愛情を感じたことは一度もない
 「なぜだろう」「おかしい」と思ってきた。体罰が嫌でグラウンドに行きたくなかった。
 体罰で力のある選手が野球嫌いになり、やめるのを見てきた
 子供は仕返しをしない、と思っているから体罰をする。
 一番ひきょうなやり方で、スポーツをする資格はないと思う。
 体罰をする指導者はたくさんいる。
 そうした人たちのほとんどが情熱家だが、熱意が空回りしてしまっている。
 体罰を受けた子供は「殴られないためにどうしたらよいか」と、その場しのぎのことを考えるだけだ。
 これではうまくならないし、自立心がなくなってしまう。
 平成21年に早稲田大大学院に入学して、プロ野球選手と東京六大学の選手約550人にアンケートした結果、中学や高校時代に「指導者から体罰を受けたことがある」と答えた選手が約半数いた。
 われわれの時代に比べて「こんなに少ないのか」という印象だった。
 驚いたのは、選手の8割以上が中学や高校での体罰について「必要」 「時には必要」と回答したことだ。
 一定の成功を収めることができたからこそ、「あの指導方法は良かった」と思うことができるのだろう。
 体罰が減らないのは勝利至上主義があるためだ。
 プロ野球はそれでもよいが、アマチュアは育成主義でなくてはならない。
 本来、スポーツにおいて乗り越えなくてはならないのは自分自身。
 人から何かをされて強くなるものではない。
 スボーツには体力と技術力と精神力が必要なのであって、根性では勝てない。
 道具も戦術も進化した。それなのに指導者だけは進歩せず、昔のままだ。
 もっとスポーツの理論やコミュニケーションを勉強して、時代に合った指導方法に変えなくてはならな今回の体罰事件を機に、スポーツ界は変わっていくべきだ。

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