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2012年10月24日 (水曜日)

日本人が忘れている親日国・トルコ

 韓国の国会議員15人が、10月23日(火)、島根県の竹島にヘリで不法上陸した。
 このような反日国家からの数々の嫌がらせにうんざりしている日本人が多い。
 だが、日本を積極的に嫌うのは、世界中で反日の特定アジア(中華人民共和国、韓国、北朝鮮の三カ国)だけなのだ。
 Mappu_toruko逆に世界中から嫌われているのが、この三ケ国だからバランス感覚が働いていて面白い。
 世界には「恩に仇で返す国」もあるが、「恩には恩で応える国」が殆どであることを忘れないようにしたい。

 
 その一番手は「トルコ共和国」(Türkiye Cumhuriyeti)。
 通称「トルコ」は、西アジアのアナトリア半島(小アジア)と東ヨーロッパのバルカン半島東端の東トラキア地方を領有する、アジアとヨーロッパの2つの大州にまたがる共和国。
 トルコの超親日ぶりは120年も前の「エルトゥールル号遭難事件」に遡る。
 

 以下はウィキペディアから
 エルトゥールル号遭難事件とは、1890年(明治23年)9月16日夜半、オスマン帝国(一部は現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号が現在の和歌山県串本町沖にある、紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難し500名以上の犠牲者をO0320020510302406999出した事件である。この事件は、日本とトルコの友好関係の始まりと考えられている。
 現在、和歌山県串本町の樫野崎灯台そばには「エルトゥールル号」殉難将士慰霊碑およびトルコ記念館が建つ。また、町と在日本トルコ大使館の共催による慰霊祭も5年ごとに行われている。
 茶道宗徧流の跡取り、山田寅次郎もこの事件に衝撃を受けた日本人のひとりであった。彼は日本の民間からエルトゥールル号事件の犠牲者の遺族に対する義捐金を集めるキャンペーンを行い、事件の翌々年に、集まった義捐金を携えて自らオスマン帝国の首都・イスタンブルに渡った。
 山田が民間人ながら義捐金を持ってやってきたことが知られるや、彼は熱烈な歓迎を受け、皇帝アブデュルハミト2世に拝謁する機会にすら恵まれた。このとき、皇帝の要請でトルコに留まることを決意した山田はイスタンブルに貿易商店を開き、士官学校で少壮の士官に日本語や日本のことを教え、日本政府の高官のイスタンブル訪問を手引きするなど、日土国交が樹立されない中で官民の交流に尽力した。彼が士官学校で教鞭をとった際、その教えを受けた生徒の中には後にトルコ共和国の初代大統領となったムスタファ・ケマルもいたとされる。
 山田寅次郎がイスタンブル滞在中に起こった日露戦争が日本の勝利に帰すと、長らくロシアから圧力を受け続け、同様にロシアの南下圧力にさらされる日本に対して親近感を高めていたオスマン帝国の人々は、東の小国日本の快挙としてこれに熱狂した。
 日本海海戦時の連合艦隊司令長官であった東郷平八郎提督にちなんで、トーゴーという名を子供につけることが流行したという。

  その後、1985年のイラン・イラク戦争でイラクのサダム・フセインが48時間以降の領空内飛行機への無差別攻撃を宣言した時、イラン首都テヘランに孤立した日本人215人を救出するために、トルコがチャーター便を飛ばしてくれた。

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