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2012年9月20日 (木曜日)

100年以上前に福沢諭吉は見限った。

 中国や朝鮮半島からの日本に対する誹謗中傷我慢の限界と思っている人が多い。戦後65年、日本政府や一般国民の中国や韓国に対する数々の配慮・援助・交流が全く届いていなかったことが分かった。
 日本人には何をしても許されると思っているのであろうか。

 日本人の眠っていたナショナリズム((Nationalism)民族意識)が覚醒した瞬間だ。

 ただ、相手が望まない友好や平和を一方的に押しつけようとした日本にも責任がある。日本政府、日本国民の平和ボケも、ここまで進んでいるとみていい。
 「隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。」 と、福沢諭吉は100年以上も前に見限っていたのに・・・。

福沢諭吉の正論
 福沢諭吉「脱亜論」 1885年3月16日
 日本の不幸は中国と朝鮮半島だ
 この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
 情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
 この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、しかもそれは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも 「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
 (中略)
 もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
 「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
 日本は、大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。
 ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
 この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
 悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
 私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。
   (『脱亜論』明治18年(1885年)3月16日)

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