« 格言?「階段の設計が出来たら一人前」 | トップページ | 6億円強奪事件23人目犯人を国際手配 »

2012年9月 8日 (土曜日)

藤本健二氏の長男は殺されていた?

 9月7日、北朝鮮の金正日の元・専属料理人ペンネーム 藤本健二(1947年~)氏が北朝鮮を再訪した。Tky201209050743
 金正恩(キム・ジョンウン)第1書記とは幼少時から、サッカーなどの遊び相手だったという。
  今回の訪朝は、単なる家族との面会か、それとも今月17日ごろまでにある局長級による実質的な協議をを前にした、何らかの橋渡し役、或いは交渉役の任があるのか。

 8月24日の『金スマ』では、藤本氏が家族に再会した場面を再現していた。
 平壌(ピョンヤン)には、元喜び組の妻の正女(ジョンニョ)と、長男の正雄(ジョンウン)、長女の正美(ジョンミ)の三人が暮らしているはずだった。
 しかし、長男の正雄は藤本氏が訪朝する直前の7月6日、心臓発作で死亡していたのだ。
 これを不審に思わない人はいない。
 藤本氏は、「誰が考えたんでしょうね、このストリー」と一言つぶやいている。

 藤本氏を北朝鮮に招待したのは、家族が人質にされていることを認識させ、再び北朝鮮のエージェント(agent)としての役割を期待されているのであろうか。  
 しかし、今は藤本氏を悪く勘ぐるよりは、北朝鮮とのパイプ役として拉致問題解決のために何らかの役割を果たして欲しい期待感が強い。
 そして、長男の正雄(ジョンウン)も死亡したのではなく、何処かに一時的に隠されていることを願っている。

  中居正広のキンスマ  2012年8月24日 
内容:北朝鮮から逃亡!命を狙われた日本人・藤本健二が7月に金正恩に招かれていた!
出演:中居正広、ベッキー、假屋崎省吾、室井佑月、IMALU、
安住紳一郎、鈴木琢磨、藤本健二

元料理人、北朝鮮再訪か 北京入り、終始無言
2012.9.7 23:02 [北朝鮮]   http://sankei.jp.msn.com/world/news/120907/kor12090723050004-n1.htm
 北朝鮮の金正日総書記の専属料理人を10年以上務め、7月に訪朝して金正恩第1書記と面会した藤本健二さん=仮名=が7日午前、成田発の日航機で北京に向け出発し、同日午後、北京に到着した。政府関係者によると、北朝鮮を再訪するとみられる。
 成田空港に姿を見せた藤本さんは、行き先や目的などの質問には無言のまま。
 「家族と会うのか」との問い掛けにはうなずいた。北京空港でも無言だった。
 出発ロビーで搭乗手続きをする際には、スーツケースのほか、「PYONG YANG」とマジックで書かれた段ボール箱約10個を持ち込んだ。
 税関職員が声を掛け、出発ロビーで約30分にわたり荷物の中身を確認する一幕もあった。空港関係者によると、調理用具やパソコン、DVDなどで、食料品はなかった。
 藤本さんは7月下旬から8月上旬にかけ、金正恩氏の招待で北朝鮮を訪問している。

http://www.sinkan.jp/radio/popup.html?radio=1126311263l
  招待所からに向かう列車は、午後11時に専用駅を静かに出発した。
 私は自分に割り当てられた車輌でのんびりと寝そべり、CDウォークマンを聴いていた。
 前の日、バナナボートに乗ってジェットスキーで引っ張ってもらい、スピードが上がったところで頭から海に落下するという遊びをやったのだが、打ち所が悪かったようで、今日1日、首が痛んで仕方がなかった。
 列車の揺れはそんな疲れた体に心地よく、このまま眠ってしまってもいいかと、私はハンカチを顔の上にかぶせ、うつらうつらしていた。
 出発して10分ほど経ったころだろうか、部屋のドアが開けられる気配を感じた。
ハッとして起きあがった私が目にしたのは、いつになく真剣な面持ちをしたキム・ジョンウン大将だった。すぐに飛び起き、
「なんでございましょうか?」
 と尋ねると、ジョンウン大将は、
「いいよ、いいよ、休みなさい」
 と言って、踵(きびす)を返し、出て行った。
 突然のことに驚いた私は、おそらく大事な話があるのだろうと、すぐに後を追った。
 ジョンウン大将は、部屋の前の通路に立っていた。
「何かお話でもございますか」
 と私が話しかけると、
「あっちへ行こう」
 と娯楽車輌を指さし、中に入るとウェイターを呼んで酒を用意させた。
「藤本、オレは思うんだけど……」
 それが、夜明けまでの五時間に及ぶ、ジョンウン大将との長い「会談」の始まりだった。

  36~
めぐみさんが王子の教育係という説も
  ところで、王子たちに専属の家庭教師が付いていたと書いたが、誰が教育係なのか、私には最後までわからなかった。北朝鮮という国は、余計なことを詮索すればスパイと疑われて命取りになる。特に金正日ファミリーのことについて細かく質問でもしようものなら、「なぜ、そんなことを知りたがるのか」と不審がられ、後でどのような不利益をこうむるかわからない。ファミリーや側近、お付きの人たちが自分から話してくれたことをもとに推測するしかないのだ。
 日本に戻ってから聞いたことだが、新潟から拉致された横田めぐみさんが金正日ファミリーの家庭教師をしていたのではないか、という説がある。たしかに王子たちは幼いころから漢字を誰かに習っていた。「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」など、日本語の簡単なあいさつも、私と出会う前から知っていた。朝でも夜でも「アンニョン ハシムニカ」ですむ朝鮮語と違って、「日本語のあいさつは三つもあるんだなあ」と、ジョンウン大将が不思議そうに話していたのを覚えている。
 王子たちに外国語を教える係は、それ相応の語学力がなければ務まらないのは言うまでもない。日本語に堪能な教育係、場合によっては日本語を母語にする教育係がいたとしてもおかしくはないのだ。
 さらに印象に残っているのは、ジョンウン大将が七、八歳のころ、誘われて元山招待所内の映画館に入ったときのことだ。一緒にいたお付きの女の子二人に対して、ジョンウン大将

P134~
秘書室員になり、生活が一変
 北朝鮮、そして金正日将軍の、公には決して明らかにされることのない秘密まで私が知るようになったのはなぜか。単に私の作る料理が気に入られただけでは、そうはならない。理由のひとつには、北朝鮮の女性と結婚し、朝鮮労働党員になったことが挙げられるだろう。
 北朝鮮でを妻にめとった私は、将軍から党員になるように勧められ、一九九〇年の元日に党員証をもらい、正式に労働党員となった。と同時に、「朴哲(パク・ッチョル) 」という朝鮮名を与えられた。ちなみに「朴哲」というのはジョンチョル王子がヨーロッパで使っていたのと同じ名前である。
 北朝鮮では労働党員となることが最高の名誉であるだけに、簡単には承認してもらえない。「自分はこれからこんな人間になりたい。だから党員になったら、これこれのことをやります」などと記した申請書を出し、受理される必要があるのだ。私も将軍に言われたので、申請したけれども、最初はダメだった。
 料理人というのは、徒弟制度が残っている職業なので、下の者に教えるときに、怒鳴ったりするのは普通のことだ。しかし、必要があって怒鳴っていたとしても、そうしたことはすべて上に報告される。そして、「藤本は怒りっぽい」といった評価が下され、党員にしてはもらえないのである。でも、私は料理人としての技術を、そうやって怒鳴られ殴られ、身体で覚えてきたのだから、いきなり変えろと言われても難しい。
 そのために、申請は却下され続けたのだが、九〇年の正月、「藤本、来い!」と言われて、将軍のもとへ行くと、これを持って行けと渡されたのが、党員証だった。念願が叶った瞬間だった。そして、主席の名が刻まれた金時計も渡され、まわりにいた人たちはみんな立って拍手をしてくれた。
 ただ、党員になったからといって、生活はそんなには変わらない。変わったのは、党の秘書室員になってからである。
 一九九四年七月二八日、江東(32号)招待所の射撃場で射撃を楽しんだ後、突然将軍が「藤本、これを上げよう」といって渡してくれたのが、秘書室員の証明書だった。
 そこにはこう書かれていた。
「証明書
朝鮮労働党中央委員会
この同志の身分を証明する
朝鮮労働党中央委員会秘書局
1994年7月28日
No 55
パク・チョル
党中央委員会書記室部員」

|

« 格言?「階段の設計が出来たら一人前」 | トップページ | 6億円強奪事件23人目犯人を国際手配 »

08 朝鮮半島に関すること」カテゴリの記事

コメント

藤本さんの話。不思議な事情ですよね。

投稿: 吉沢@外国語 | 2012年11月 4日 (日曜日) 午前 01時43分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 格言?「階段の設計が出来たら一人前」 | トップページ | 6億円強奪事件23人目犯人を国際手配 »