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2012年9月17日 (月曜日)

日本は度々朝鮮から侵略を受けた。

 朝鮮半島は、日本から侵略を度々受けたと主張するが、それは逆だ。
 特に、二度にわたる「元寇」は、高麗王「忠烈王」が、日本侵略をフビライに進言したことは歴史上明白だ。
 今も、日本各地に蒙古来襲のとき広まった、「蒙古(むくり)・高句麗(こくり)の鬼が来る」と恐れたという言い伝えが残っているほどだ。

 ※以下は閉鎖した優良サイト「中世日本紀略」からコピーさせて頂く。
 「元寇と高麗」からのコピー
 

 http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/genko/genko.htm
度々あった海外からの侵略  Mongol2_2
 日本が外国勢から侵略を受けるのは、「元寇」が初めてではない。
 日本側の記録によれば(『太宰管内志(大宰府管内誌)』『類聚三代格』『日本三代実録』『百練抄』『日本紀略』『扶桑略記』等)、それまでたびたび侵略を受け、九州北部はもとより薩摩大隅にまで及んでいたことが記録されている。
 詳細(下の年表参照)
 その大半は、朝鮮半島からのものであった
 数隻の賊船によるものがほとんどであったが、中には、45隻2500人の新羅の者が来襲し、これを捕らえて問いただすと「王の命令を受けて略奪に来た」と述べたことがあった。(『扶桑略記』)
 また、どこの国のものかは定かではないが、最大規模のもので、承徳元年(1097年)、異賊船100隻が松浦・筑前に攻め寄せ、大宰府官兵・九州軍士が賊船を撃破し賊徒数万を海没させた、という記録がある。
 九州大宰府は古代から日本外交の窓口の役割を果たしてきたが、同時にそこは外冦防衛の拠点でもあった。
 その大宰府に蒙古の国書と高麗の副書を携えた高麗の使者が到着したのは、文永五年(1268年)正月であった。元寇は朝鮮半島を経由してきた。
 そもそも元寇は、
 「元史 卷二百八 列傳第九十五 外夷一 日本國」に、
 『元世祖之至元二年,以高麗人趙彝等言日本國可通,擇可奉使者。』
 「1265年、高麗人の趙彜(ちょうい)という者が、元の世祖・フビライに日本国との通交を勧めた」とあることが発端らしい。

 (以下横書きであるが、この書には、特定の文字を普通行よりも一段高く書く、いわゆる台頭書きがあることに留意し、訳文もまたなるべく元の文体に合わせた)
 蒙 古 國 牒 状
 上 天 眷 命
 大 蒙 古 国 皇 帝 奉 書
  日 本 国 王 朕 惟 自 古 小 国 之 君
  境 土 相 接 尚 務 講 信 修 睦 況 我
 祖 宗 受 天 明 命 奄 有 區 夏 遐 方 異
  域 畏 威 懐 徳 者 不 可 悉 数 朕 即
  位 之 初 以 高 麗 无 辜 之 民 久 瘁
  鋒 鏑 即 令 罷 兵 還 其 疆 城 反 其
  旄 倪 高 麗 君 臣 感 戴 来 朝 義 雖
  君 臣 而 歓 若 父 子 計
  王 之 君 臣 亦 巳 知 之 高 麗 朕 之
  東 藩 也 日 本 密 邇 高 麗 開 国 以
  来 亦 時 通 中 国 至 於 朕 躬 而 無
  一 乗 之 使 以 通 和 好 尚 恐
  王 国 知 之 未 審 故 特 遣 使 持 書
  布 告 朕 志 冀 自 今 以 往 通 問 結
  好 以 相 親 睦 且 聖 人 以 四 海 為
  家 不 相 通 好 豈 一 家 之 理 哉 至
  用 兵 夫 孰 所 好
  王 其 図 之 不 宣
    至 元 三 年 八 月   日
(なお同文は「元史卷二百八 列傳第九十五 外夷一 日本國」にもあり、それには「上天眷命」」と「不宣」の文字はない)
 天のいつくしみをうける
 大蒙古国の皇帝が、書を日本国王に奉る。朕が思うのに、昔から小国の君主で国境を接しているものは、音信を交わしあい、仲よくするよう努めている。まして我が祖宗は、天の明命を受けて天下を領有している。
 その威を恐れ、徳を慕ってくる遠い異国のものたちは数えられないほどである。朕が即位した初め、高麗の無辜の民が久しく
 戦争に疲れていたので、兵を引き揚げ、国土を還し
 老人子供を帰らせた。高麗の君臣は感激して来朝した。義は
 君と臣の関係ではあるが、父子のように仲が良い。思うに
 (日本)王の君臣もまたすでにこれを知っているであろう。高麗は朕の
 東の属国である。日本は高麗に近接し、日本の開国以来また時に中国とも交通をしているが、朕が即位してからはまだ一度も使いをもって和交に通じることをしていない。なお恐れるは(日本)王国がこれを知るかはまだ審らかではないことを。故に特に使いを遣わし、書をもって
 朕の志を布告させる。願わくば今よりは問うて好を結び、以って親睦をしたい。且つ、聖人は四海を以って家とする。互いに通好しないことにどうして一家としての理があろうか。
 兵を用いるを、いったい誰が好もうか。
 (日本国)王よ、これを図れ。不宣
    至元三年八月 日

後の高麗王(忠烈王)、日本侵略開始をフビライに進言する
 高麗王元宗の子、 諶(しん、後の忠烈王)がフビライの前に参内し高麗に帰る際に、こう進言した。
 『高麗史 元宗十三年(1272)3月』
 『世子 諶云、「吾父子、相継朝覲、特蒙恩、宥小邦人民、得保。遺瞧 感戴之言不可。既 諶 連年入覲、毎荷皇恩、区々之忠、益切致効。惟彼日本、未蒙聖化。故発詔、使継糴軍容。戦艦兵糧、方在所須。儻以此事委臣、庶幾勉尽心力、小助王師。」』
 「世子 諶は言った。『私ども父子は相次いで天子の前に参内し、ひときわ御恩をこうむり、私どものような小国の人民をなだめていただきまして、国を保つことを得ました。目もくらむばかりで、戴いた事への言葉もありません。
 すでに私は連年して参内しております。
 つねに陛下のご恩を受け、ささやかな忠義をあらわしたいと切に思っているところでございます。思いますに、あの日本は、いまだ陛下の聖なる感化を受けておりません。ゆえに命令を発して我が軍の装備や糧食を整えさせました。今こそ戦艦兵糧を使うべきです。わずかではありますが、臣たる私めにお任せくだされば、つとめて心力を尽くし、帝の軍をいささかでもお助けできますことを切願しております。』と。」

 まことに属国の王子たるにふさわしい殊勝な物言いではなかろうか。
 フビライが目を細めて耳を傾けているさまが目に見えるようである。
 もっとも、既にフビライとしては屯田兵を展開した時点で日本への出兵を決意していたろうと思われるが。
 しかし日本にとっては、卑劣極まる侵略開始の進言である。
 もちろん、大国に翻弄される小国高麗の哀しき「事大主義」ではあるが。
 ちなみに、この時に彼が蒙古式の髪型と服装で帰国した様子が記録されている。即ち、
 「(わが国の人々は)世子の弁髪・胡服を見てみな嘆息し、泣く者あるに至る」と。『高麗史』

壱岐・対馬の無残
 『日蓮註画讃』
 『二島百姓等。男或殺或捕。女集一所。徹手結附船。不被虜者。無一人不害。』
 「壱岐対馬の二島の男は、あるいは殺しあるいは捕らえ、女を一カ所に集め、手をとおして船に結わえ付ける。虜者は一人として害されざるものなし。」
 また、『一谷入道御書 建治元年五月八日』にも
 「百姓等は男をば或は殺し、或は生取りにし、女をば或は取り集めて、手をとおして船に結び付け、或は生取りにす。一人も助かる者なし。」
 日本人を拉致してきたことは、高麗側の記録にも残っている。
 帰還した高麗軍の将軍が、2百人の男女の子供を高麗王とその妻に献上したと。
 『高麗史節要』
 『俘童男女二百人献王及公主。』
 また捕らえた女の手に穴をあけて徹したことの記述であるが、
 『日本書紀天智帝二年紀』に、『百済王豊璋嫌福信有謀叛心。以革穿掌而縛。』
 「百済王豊璋は、鬼室福信に謀反心があるとして、手のひらに穴を穿って革紐をとおして縛った。」
 とある。
 百済の時代にもあった朝鮮半島伝統の風習らしい。
 興味あることに、現代においてもそれがかの国には残っていることが韓国の新聞に報道されている。(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2002/04/24/20020424000001.html
 朝鮮日報2002/4/24付
 それによれば、2002年4月16日に中朝国境付近の中国側で、北朝鮮の保安員(警察)が脱北者100人余りの集団を連行する姿を、あるアメリカ人が目撃したという。
 脱北者たちのほとんどは30~40才代の男性で、20代の女性や年寄りの女性や子供も何人かおり、彼らは、手に針金を突き通され、さらに鼻にリングを刺してそれも針金に通された姿だったと言う。保安員等はトラックの荷台に彼等を乗せ、その時、針金をトラックに結わえ付けていたという。
 まことに、想像するのも寒気がする光景である。
 拉致と残酷行為は、あちらの文化なのであろうか。
 先の『高祖遺文録』は、
 『皆、人の当時の壱岐対馬の様にならせ給わん事思いやり候へば、涙も留まらず。』と結んでいる。
 ところで、元寇による日本侵略を、これは「侵略」と言うべきか「侵攻」と称すべきかというおバカな議論があっているらしい。
 筆者は、侵して略取すれば侵略と思っている。
 まさに壱岐・対馬は思いっきり蹂躙されましたが何か?
 侵略と称すべきか否かなどという議論は、条約上の権利を「侵略」などと言い換える東亜三国にふっかけてもらいたいものだ(笑)

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