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2012年1月 2日 (月曜日)

オウム事件解決の最大功労者は仮谷さん

  オウム事件解決の最大の功労者は、自分を犠牲にしてまで警察に事Kariya件捜査を開始させた目黒公証役場事務長の仮谷清志さん(当時68)だと思う。

  平成23年12月31日深夜オウム真理教特別手配犯の一人、平田信(まこと)容疑者が16年半に及ぶ逃亡生活に終止符を打ち警視庁丸の内警察署に出頭した
  ※最初に警視庁本部に出頭したのにと批判されているが・・・・。

 丸の内警察署員はもとより、警視庁本部やマスコミ関係者も寝耳に水だったことであろう。

  平田信容疑者は、1995年(平成7年)2月28日午後4時半ごろ、目黒公証役場事務長の仮谷清志さん(当時68)を品川区上大崎3丁目4番先路上で拉致し、上九一色村の教団施設に運び拷問を加えたうえ殺害し、遺体を焼却し遺骨を棄てた事件に関係している。

 この事件は、仮谷さんの妹(当時62歳)がオウム信者で教団に多額のお布施をしたのに更に土地や建物を含めた全財産を寄付し出家するように強要されたことを仮谷さんに相談し、脱会を決意して身を隠していたが、これを気に入らないオウムのHirata_2麻原彰晃が諜報省大臣・井上嘉浩中村昇に指示し、平田信、松本剛、林郁夫、林武、中川智正ら8人がワゴン車で仮谷さんを待ち伏せして拉致した。
 そして教団施設で麻酔剤や自白剤を打ち続け、妹の隠れ先を聞き出そうとしたが、仮谷さんは頑として答えず殺害された
 遺体はドラム缶で3日間かけて焼却、焼け残った遺骨は粉々に砕かれ本栖湖に棄てられたという残虐極まりない事件だ。
                                  
 思えば、仮谷さん拉致殺害は、オウム関連事件捜査の突破口になったとも言われていることから、一連のオウム事件解決の最大の功労者でもあると思う。
  当時、うさんくさい宗教団体であることは誰しも思っていたが、「信教の自由」という憲法上の保護規定が何かと邪魔していた。Spot_of_

  事件捜査の突破口は、拉敦に使用したワゴン車のレンタル手続きをした教団信者の松本剛に、オウム入信前の軽微な犯罪歴があったことだったとされる。
 そして、申込書やレンタカー内から松本の指紋と、被害者の指紋や血痕が確認したことから、警視庁がオウム真理教が凶悪事件に関与していると確信した最初の事件となる。平成7年3月22日に警視庁は拉致監禁の容疑で教団本部に強制捜査に入るが、地下鉄サリン事件の二日後だった。
 このようにサリン事件に迅速な対応が出来た陰には、仮谷清志さんの命をかけて妹さんを守ろうとした犠牲がある。
 これが、苅谷さんが拷問に負け妹さんの所在を自白し、オウムに奪還されていたら事件の発覚は遅れに遅れていたことであろう。

 刈谷さんの妹さんは裁判松本被告の面前で証言している
 「兄がなされたように、苦しんで恐怖を与えて死なせたい。ですから、死刑を、というのがいけませんか」
 「松本智津夫(被告)には私は死刑を望みます。もう一つ、私のために殺されてしまった兄の死を無駄にしないで、被害者の方が安心して生活出来るようにオウム真理教、殺人軍団が1日も早くこの世からなくなりますことを心から願っています。」

 この証言に民主党政権は何と答えるのか。
 それから、殺人容疑で特別手配されている、高橋克也(53)と菊地直子(40)の両容疑者の行方もまだ分かっていないが、オウム関係者は死刑引き延ばし作戦などとらず、早々に縛につくことだ。

今は幸せかい?「オウム」の女たち
 http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-54f0.html

"ああ言えば上祐"生出演2/8 「オウムは被害者だ!」上祐怪文書提示
   http://youtu.be/iHygP7ray_A

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