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2011年12月 8日 (木曜日)

12月8日 開戦日の持つ意味

  今日は、1941年(昭和16)年12月8日から丁度70年になる。
 早いものだ。
 終戦8月15日前後には、自虐史観の偏向したテレビや新聞報道が繰り返されるのに、開戦の12月8日には、テレビ、新聞にほとんど目立った反応がない。
 当事者の日本人が、この日を無視するのはなぜだろうか。

 しかしながら、白人優位思想植民地主義に終止符を打つことになったこの開戦日のことを、アジアの人たちは決して忘れていないのだ。
 本当にありがたいことだ。
 下段に日本人が忘れている、或いは語られない、さらに報道されない声を列挙しておく。
 心ある日本人は何かを感じて欲しいものだ
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・タイ国元首相 ククリックド・プラモード氏
 「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」 (十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」)

・インド元大統領 ラグ・クリシュナン氏
 インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。
 それを我々と同じ東洋人である日本が 見事に撃沈もした。
 驚きもしたが、この快挙によって 東洋人でもやれるという気持ちが起きた。
                         (昭和44年「日本経済新聞」)
 
・インドネシア元情報宣伝相 ブン・トモ氏
 我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して、何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。
 それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
 我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北したとき、「これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる」と思っていたが、意外にも早く勝ち取ることができた。

・インド極東国際軍事裁判判事 ラダ・ビノード・パール氏
 要するに彼ら(欧米諸国)は 日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の17年間(昭和3~20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と刻印する事が目的であったに違いない。
 私は1928年から1945年までの17年間の歴史を2年7ヶ月かかって調べた。
 この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。
 それを私は判決文の中に綴った。
 その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」 「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。
 満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、
卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。
 あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。
 あやまられた歴史は書き換えなければならない。
     (昭和27年11月5日、広島高等裁判所での講演)
 
韓国 韓日文化研究所 朴 鉄柱 氏
 大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって 植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦争に敗れて戦争目的を達成した。
 日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、「聖なる戦争」であった。
 二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、 しかし彼らは英霊として 靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。(昭和42年10月)

・イギリス歴史学者 H・G・ウェルズ氏
 この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。

米国ハワイ日本経済事務局長 政治学博士 ジョージ・S・カナヘレ氏
 日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事である。(中略)インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なものであった。
 これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり、復帰してきたオランダ勢力と独立戦争を戦う際の基盤となった。
 日本によって与えられたこのような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。

・ビルマ元首相 バ・モウ氏
 約50年前ビルマは3回にわたる対英戦争の結果 その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。
 愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。
ビルマ人はアジアを結合せしめ アジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。
 ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり(独立宣言より)

・インドネシア共和国元首相 モハマッド・ナチール氏
 大東亜戦争というものは、本来なら私たちインドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だったと思います。もしあの時私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。大東亜戦争はそういう戦いだったんです。

・イギリス 歴史学者 アーノルド・J・トインビー氏
 英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。
 それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。
 なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。
1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵ではないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。(昭和43年3月22日「毎日新聞」)

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