« 民主党は麻原の死刑執行が出来るか? | トップページ | 全面支持、選挙制度見直し »

2011年11月23日 (水曜日)

遊佐町と縁が深い「佐倉順天堂」

 先日、仕事で千葉県佐倉市表町に四泊することになった。
 佐倉市と言えば、読売巨人軍の長嶋茂雄選手というか監督の出身地として有名だが、山形県遊佐町の方々には、佐倉順天堂のことも知って欲しい。

 佐倉順天堂は、順天堂病院の祖、佐藤泰然が開いたところだが山形県遊佐町と関連している。
 佐倉順天堂のことは、以前「順天堂と遊佐町の深い関係」でお知らせしている。
 http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-02f5.html

 総武本線JR佐倉駅前の観光情報センターで、佐倉順天堂記念館までの道順を尋ねると、係員が佐倉市内の案内図を渡してくれた。
 「歩くと長いですよ」と言われたが、2.5キロ程度なら散歩に丁度いい。

 途中に佐倉藩主の堀田正倫(まさとも)邸(旧堀田邸)があったので玄関先で覗いて見た。広々とした庭園が良く手入れしてあった。正倫は堀田正睦(まさよし)の4男にあたる。
 佐倉順天堂記念館は旧堀田邸から5~600メートルの距離にある。

 佐藤泰然の父は山形県遊佐町升川・次郎佐ェ門生まれの佐藤藤佐(とうすけ)。
 佐藤泰然自身は神奈川県川崎市生まれとなる。
 順天堂大学の基礎を作った人物だ。

 佐藤泰然は長崎で西洋医学を学び、江戸に戻り天保9(1838)年、薬研堀の地(中央区東日本橋・薬研堀不動院内)にオランダ医学塾「和田塾」を開設している。
 順天堂は、ここが出発点とされる。
 日本最古の西洋医学塾でもある。
 1843年「和田塾」が、名君と謳われた 佐倉藩主・堀田正睦に招かれ、現在の千葉県佐倉市本町81に移り、医学塾「順天堂」を開設している。
 「順天堂」の「順天」とは”天道にしたがう”の意味。
 記念館内には山形県や遊佐町の文字は全く見あたらないことは残念だった。
 それから、「順仁堂」遊佐病院佐藤国蔵先生も、順天堂二代目佐藤舜海(尚中)のもとで、医学修業書生として学んでいる。

 隣には、佐倉順天堂医院があるが、泰然からみて7代目になると案内人が教えてくれた。
  佐倉市では、平成23年11月26日(土曜日)午後1時00分~午後5時30分、佐倉・城下町400年記念、「第13回 時代まつり 」が行われる。また、佐倉市出身では巨人の長嶋茂雄、作家の吉川英治、マラソンの小出義雄などが有名だ。

 市の案内板には、1
 佐倉順天堂記念館は、昭和50年3月28日千葉県指定史跡旧佐倉順天堂」として指定されている。
 順天堂は、長崎に遊学後江戸に蘭医学塾を開いていた蘭医佐藤泰然が佐倉に移り住み、天保14年(1843)に開いたオランダ医学の塾です。
ここではオランダ医学書を基礎としながら、当時としては最高水準の外科手術を中心とした実践的な医学教育と治療が行われ、その名声により幕末から明治にかけて全国各地から多くの塾生が参集しました。
 泰然の養子佐藤尚中(たかなか)(山口舜海)は、長崎でオランダ軍医ポンペに学んだ後、系統的な医学教育をとり入れ、ここで学んだ塾生の多くが明治医学会において活躍しました。
 明治時代になると佐藤尚中は新政府から大学東校(現東京大学医学部)の最高責任者として招かれた後、御茶ノ水に順天堂医院を開業しました。
 一方、佐倉の順天堂は養子佐藤舜海(岡本道庵)が受け継ぎ、佐倉順天堂として医療活動を続けました。
 現在残っている建物は、安政5年(1858)に建てられたものと、その後拡充された施設の一部です。
 とある。

大きな地図で見る

|

« 民主党は麻原の死刑執行が出来るか? | トップページ | 全面支持、選挙制度見直し »

09 遊佐町の関連情報」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1208592/42938642

この記事へのトラックバック一覧です: 遊佐町と縁が深い「佐倉順天堂」:

« 民主党は麻原の死刑執行が出来るか? | トップページ | 全面支持、選挙制度見直し »