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2011年11月 7日 (月曜日)

石原知事の『黙れ』発言、全面支持

 石原都知事の発言、問題提起には、いつも溜飲を下げる思いだ。
 全て支持するといっていい。
 今回もまた良く言ってくれた。
 これでいい・・・・
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 受け入れ反対には「『黙れ』って言えばいい」
      石原都知事のがれき問題発言に賛否両論
                   
               J-CASTニュース 11月5日 18時32分配信
 東日本大震災で発生した岩手県のがれき受け入れ始めた東京都に対し、都民らから反発の声が出ていることについて、石原慎太郎都知事が「『黙れ』って言えばいい」と発言し、ネットで賛否両論出ている。
 2011年11月3日、都は岩手県のがれき約30トンを受け入れ、処理を始めた。
 東北以外の自治体が震災がれきを受け入れるのは全国初だという。

■「みんな自分のことしか考えない」
 一方で、報道によると受け入れを表明した9月末から11月4日までに都に3000件以上の意見が都民らから寄せられ、そのうち9割が反対や苦情だったという。
 石原都知事は4日の定例会見でこうした状況に触れ、「力があるところが手伝わなかったら仕様がない。みんな自分のことしか考えない。日本人がダメになった証拠の一つ」と、発言。いつもの石原節を炸裂させ、さらに、
  「何も放射能ガンガン出ているものを持ってくる訳じゃないんだから。測ってなんでもないから持ってくる。東京だってバカじゃありません。『黙れ』って言えばいいんだ」
と言った。 

■「余裕のあるところが協力しないでどうする」
 過激な発言で何かと話題になる石原都知事だが、今回もツイッターや2ちゃんねるに大量の書き込みが寄せられた。
  「これは日本全体の問題。都知事のリーダーシップに拍手を送りたい」
  「そのとおり!問題ないとわかってるのに、余裕のあるところが協力しないでどうする」
  「基本的に石原さんは嫌いですが、これには感動しました」
と支持するものがある一方で、「偉そうに、『黙れ!』なんて、何様のつもりなの?税金を払っている人たちを、見下してるの?」「非常時に黙れとか、都民がおとなしいから…」と非難するものも多い。賛否両論といった感じだ。
 また、「問題は、石原のようなナショナリスティックで、独善的な政治家以外の人々が、何故リーダーシップを発揮できないのか、にある」という趣旨のものや、「実際に応対する職員は知事が黙れと言ったから、黙れとは言えない」と都職員に同情するものも出ていた。
 都は今後、2012年3月末までに岩手県のがれき1万1000トンを受け入れる方針。

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日本よ石原慎太郎 
             無限の宇宙の中で    
2011.11.7 03:26

 先日あるテレビ番組で、新しいプラネタリュウムで映写するための、既存のものを凌ぐ、鮮明ではるかに数多くの星を写すためにチリーの標高五千五百メートルのチャナントール高原に、日本も出資して作られつつあるアルマ天文台に出かけていったカメラマンの報告を見た。
 かの地は世界で一番雨の少ない、それ故湿度の低い空気が澄みきって世界で最も鮮明な星空が見られる地点だそうな。
 そこで徹夜で地球を巡る星たちを観測撮影した彼の述懐の言葉が、なぜか鮮烈に私の胸に響いた。
 標高からいっても極寒の地だろうが、その大地に仰向けに寝て空を仰ぐと空一杯に無数の星たちがびっしりと、手を伸ばせば届くように見える。天の川も、そこで発生しこれから星として生まれようとしているガスの帯までが鮮明に見える。
 そしてそこまでの距離は何万光年、いや手で触れそうに見える星屑までが何億何十億光年という隔たりなのだ。
 「こうしていると僕は空を仰ぐなどというよりも、この地球という星にへばりついて、じかに宇宙に接しているという気分です」
 彼はいっていたが、その実感は彼が届けてくれた映像からも如実に感じられた。
 私も今まで世界のあちこちを訪ねることが出来たが、この年齢となり自分の人生に残されているものについて考え感じるようになると、どこよりもチリーのあの高地にいって宇宙そのものに接してみたいとしきりに思う。
 人はよく何々の哲学などというが、「哲学」そのものは存在と時間について考える学問のことだ。西洋哲学の始祖の一人アリストテレスは、「ここに在るこのペンが、何でこんな形をしているのかなどということではなしに、このペンがここに在るということそのものが不思議なのだ」といっているが、その実感を恐らくチリーのあの高地で眺める星空は伝えてくれるに違いない。
 年齢を重ね自分の死についての実感といおうか、予感をようやく信じられるようになると、誰しも自らの人生に重ねて「存在」と「時間」の幻妖な不思議について感じられるようにはなる。それは人生かけてようやく獲得出来た成熟というものかも知れないが、しかしそれでにわかに何がどうなるものでもありはしない。
 私はかつて人生で迷って立ち往生しかけた時、知己だった松原哲明師の寺ににわかにいって座禅を組んだことがあるが、その後、
 「あんたは見掛けは立派に見えるが、こうして座っているのを後ろから見ると、しょぼいねえ。座禅なんか急に組んだって効きやしませんよ。それより好きな海にでも行っといでよ」
               ◇
 いわれて翻然とし仕事を放り出し仲間と数日航海に出て少し救われたことがあるが、この所の心身不調で松原さんにまた頼んで座禅でも組もうかと電話したら、私より若い彼は昨年急死していた。これもまたいろいろな意味でショックだった。ということで、実は私がプロデュースして世に出た哲明さんの父君の名僧泰道さんの名著「般若心経入門」を読み直して見たが、全然悟れない。
 全宇宙の存在に比べれば人間個々の存在なんぞ無に等しい、というのは理としては分かるが、実感にはいたらない。その実感がないと悟りにも解脱にも通じない。折節に読んでいる法華経には、他の宗教には例がなく、お釈迦様は「存在」と「時間」そのものについて、現代数学の「群論」のような絶妙な例えを引いて説いている。
 存在と時間の無限性前にしてたじろぐ人間たちのためにこそ輪廻転生が説かれたのだと思う。
 松原師の般若心経の解説にも、人間の存在のはかなさを覚るという否定の向こうにこそそのはかなさを超克する、さらなる否定が在って人間はそれでようやく救済され真の安定が得られるのだとある。故にもその実感を体得するために私としては是非ともチリーのあの高地にいって地球に張り付きながら宇宙とじかに接したいものなのだが。
 そして思ったが、もし全人類があの高地に出向いて、群論的にいえば「無限の無限」たる宇宙にじかに向かい合えたら、我々の存在の貴重な背景である、このちっぽけな地球を救うために妥当な抑制を自らに強いることも出来るに違いない。
 あのチリーの高地からの宇宙の映像を見て私は改めて昔聞いた、ブラックホールの発見者ホーキングの講演の中で彼がいった言葉を思い出す。
 「地球なみの文明を持った惑星は宇宙全体に二、三百万あるだろう。しかしそうした星はその文明なるもののために循環が狂い極めて不安定となり、宇宙時間でいえばほとんど一瞬に、地球時間でいえばせいぜい百年ほどで滅びてしまう」と。
 温暖化のもたらす豪雨を含めたこのところの地球全体の気象異変をどう捉えるかを、私たちはあのチリーの高地で仰ぐ宇宙の、せめて映像に依ってでも覚らなくてはなるまいが。
 人間は必ず死ぬ。その人間がまたこの地球を自らの手で殺そうとしているのだが。

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