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2011年10月29日 (土曜日)

常陸宮邸近くの「常磐松の碑」

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 先日の10月19日、元赤坂の明治記念館で、世界文化賞(総裁・常陸宮殿下)式典が、常陸宮、同妃両殿下をお迎えし、小澤征爾さんらに授賞式典が行われたことがニュースに流10456れた。今上陛下の弟・常陸宮殿下のお元気な姿を久々にテレビで拝見した機会でもあった。

 さて、常陸宮邸は渋谷区東4丁目の國學院大學の直ぐ近くで、職場からも、ほど近く邸宅前をときおり歩く機会がある。
 今回、ご紹介したいことは、常陸宮邸に近接した渋谷区東4-4-9にある「常磐松の碑」のこと。
 大正10年頃まで皇室の御料乳牛場に、常磐松と呼ばれた樹齢約400年の松があったそうだが、残念なことに太平洋戦争の空襲で焼失している。P47_4
 この松は京の都で一番の美人といわれ、源義朝の側室で牛若丸の母である常磐御前が植えたと伝えられる。そして、「常磐松の碑」は江戸時代には島津藩の下屋敷だったことから、島津藩士が建てたものだそうだ。
 この島津藩下屋敷は、篤姫が江戸幕府13代・徳川家定将軍に嫁ぐときに住んでいた場所でも知られる。
  「常磐御前(今若丸、乙若丸、牛若丸の母)」が植えたとされる理由は、近くには渋谷一族の渋谷城城主・渋谷金王丸が源義朝と頼朝の二代に仕えていたことからの縁らしい。
 埼玉県飯能市の天覧山に「見返り坂」があるが、これは鎌倉を逃れた義経一行を追った常磐御前が「景色の良さから振り返り、振り返り登った」ことから付いたそうだ。
 下段の地図辺りも渋谷城の城郭であり、「常磐御前」が訪れたことがあってもなんらおかしくない。「史学、日本文学の國學院」と言われる國學院大学はいい場所に建てたものだ。
 何事も、始まりがあれば終わりも必ずある。
 歴史の移ろいを深く感じる土地でもある。
 

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