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2011年5月 4日 (水曜日)

江戸の名残を探す

 週に一度は、都内を廻るよう自分に義務づけている。
 廻るコースに同一性はなく、実にバリエーションに富んでいることが嬉しい。
 正に仕事と趣味を兼ねた贅沢な時間でもある。
  
 先日は、浅草橋~神田~紀尾井町~青山の四カ所に行く必要があった。Kanda
 10数キロあり、普通なら電車やバス、地下鉄を乗り継ぐのが普通のコースだが、全て歩くことにした。
 神田では、鎌倉橋、神田橋、御宿稲荷などに足を止める。

 鎌倉橋辺りは、昨年、NHKで放送された「まっつぐ鎌倉河岸捕物控~ 」の鎌倉河岸があった場所でもある。
http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-0199.html
 今では、江戸の名残を見つけることは難しい。
http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-9591.html
 それから、「神田橋」の皇居側には、「庄内藩酒井左衛門尉(さえもんのじょう)」の上屋敷があった場所だ。左衛門尉(さえもんのじょう)とは、日本の律令制下の官職の一つ。
 平家追討では「源義経」が左衛門尉に任ぜられている。
 「庄内藩」は、神田橋の護りを担当していた。
 神田橋は、江戸城にかかる橋の中でも最も重要に橋だった。

 幕末、庄内藩は幕府から江戸市中警備を命じられ、「新徴組」を預かることになる。
 「新徴組」の屯所は、JR飯田橋駅から徒歩数分、飯田橋1-9辺りにあった。
 「新徴組」は、清河八郎が作った浪士組が元になった組織で、主に江戸市中の警戒、海防警備に従事する。
 このほかに「新整組」と名乗った組織もあり、江戸市中取締りにあたり、戊辰戦争では「新整隊」と改称して官軍と戦った。
 つまり、新撰組新徴組、新整組は兄弟組織のようなものだ。
Photo
  東京では警察官を「おまわりさん」と親しみを込めて呼ぶが、その語源は「新徴組」にあった。
 「新徴組」を江戸庶民はこう歌った。

 ♪酒井左衛門様お国はどこよ
  出羽の庄内鶴ヶ岡
  酒井なければお江戸は立たぬ
  御回りさんには泣く子も黙る
 
 それにしても、内濠川の上の高速道路は景観を大きく損ねている。
 1963年、東京オリンピックの前に首都高速道路が建設され、それ以降、せっかくの江戸の景観が台無しとなってしまった
 当時は、戦後の経済復興だけが目的で何も考えず進めたのであろう。
 今となっては、どうしようもない。
 石原都知事が嘆くのもわかる。

  

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