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2011年4月25日 (月曜日)

大震災で殉じた多くの警察官

 4月24日(日)現在、2011年3月11日(金)の大震災で殉職した警察官23名行方不明中の警察官は7名だと伝えられた。
 殉職警察官は岩手8人宮城11人福島3人東北管区警察局1人の計23人。
 ほとんどが、住民避難誘導中に津波に巻き込まれた殉職だという。


 3月11日(金)14時46分、大地震から津波を予測した警察官は、直ちに、国民の生命を守るために、自らの危険を顧みずに海岸沿いの住民に避難を呼びかけるために、パトカーやバイク、或いは自転車や徒歩で、警察署から、或いは交番、駐在所から一早く飛び出したことであろう。

 そして、「津波が来ます。高台に逃げて下さい。」などと、パトカーのマイクで、或いは大声を出し続けて、住民の避難誘導や救助活動に当られたことだろう。
 本当は、自分も高台に逃げたい心境を抑えながらだ。
 国民の中には、警察官なら当然の行為だという人が多いだろうが、この当然の任務を果たさない公務員、国会議員、企業・団体職員の輩が多過ぎる。

 この警察官達の勇気ある行動と尊い犠牲で、どれだけ多くの一般市民が助かったことであろうか。
 今となっては、彼らの命懸けの活躍を検証する資料や証言は殆どない。
 岩沼市の鈴木和美さん(26)のような証言は貴重で数少ない。
 まずは、殉職された警察官の方々に心からご冥福を申し上げたい。
 Photo_2

追加記事・・・・2011年5月17日 東日本大震災で住民の避難誘導に向かい、津波に巻き込まれた岩手県警大船渡署矢作駐在所の中津常幸巡査部長(50)の死亡を確認したと発表した。警察官の殉職は24人目で、依然6人の安否が不明となっている。
  警察庁は19日、東日本大震災で殉職した警察官が、より多くの補償金を受け取れるための規則改正を決めた。従来の規則では、国からの支給額は最高2520万円だったが、規則の改正で上限が3000万円まで引き上げられる。

■岩手県で初めて「全国優秀交番」に選ばれた大船渡署の高田幹部交番も20110413k0000e040078000p_size5津波に呑み込まれた。定年退職で交番を離れる4日前だった所長の高橋俊一警視(60)ら警察官4人が殉職した。「ここからが俺の本当の仕事だ」。地震発生直後の3月11日午後3時過ぎ、交番前で状況をみていた高橋所長は、そう言って建物に戻った。生き残った部下の橋本大輔巡査(21)が見た最後の姿だった。
 そして遺体は約1カ月後、陸前高田市の沖合で見つかった。
 
■福島第1原発の半径10キロ圏内を捜索中の県警機動隊員が15日午前、同県浪江町請戸の水田で、福島県警双葉署地域交通課の古張文夫巡査部長(53)の遺体を発見した。
■住民の避難誘導に向かい、津波に巻き込まれた福島県警双葉署地域交通課の増子洋一警部補(41)の死亡を確認したと発表した。殉職は23人目で、依然7人が安否不明となっている。
■仙台市若林区荒浜の交差点で、避難誘導中に殉職した仙台南署の交番に勤務する渡辺武彦巡査部長(58)=2階級特進=の指示で津波から逃れた岩沼市の鈴木和美さん(26)が5日、取材に応じ、「渡辺さんがいたから今の私がいる」などと涙ながらに語った。鈴木さんは海岸沿いを車で走行中に被災。警棒を振り回しながら声を張り上げていた渡辺警部に「内陸へ行け!」と言われたという。
 県警のホームページで殉職を知った鈴木さんは
  「助けていただいた命。悔いのないよう生きていきたい」と声を震わせた。
■宮城県警南三陸署の根子裕誌巡査部長(34)の死亡を確認したと発表した。警察官の殉職は17人目で、13人が依然行方不明。根子裕誌巡査部長は地震発生直後、情報収集のため南三陸町の役場に向かい、津波に巻き込まれたとみられる。
■パトカーで同僚と住民の避難誘導に向かった後、連絡が取れなくなっていた宮城県警河北署交通課の青木謙治巡査長(31)の遺体を同県石巻市内で発見したと発表した。
■死亡が確認されたのは、ともに宮城県警岩沼署の生活安全課、荒貴行巡査長(36)と増田交番、八島裕樹巡査(24)。
■岩手県警大船渡署高田幹部交番、小林新警部補(38)はパトカーに乗車中、地震に遭遇。12日に陸前高田市内の道路の脇にパトカーごと転落しているのが見つかった。
■災害情報を収集中に津波にのまれ、行方が分からなくなっていた宮城県警南三陸署警備課の根子裕誌巡査部長(34)の死亡を確認したと発表した。
■東北管区警察学校指導部長、平泉紀彦警視正(58)は宮城県警から出向中で、地震当日は公用車で出張中、宮城県多賀城市内で津波に巻き込まれ、14日に発見された。公用車を運転していた職員は自衛隊に救出されたという。
■岩手県警釜石署刑事1課、山内拓也警部補(38)は地震発生後、同僚と捜査車両に乗って住民の避難誘導に出動。
 その後、津波に巻き込まれ、12日に岩手県大槌町内の病院の駐車場で転覆した車内で発見された。同僚は車から脱出し無事だった。津波に飲み込まれる直前、この車両の無線から「津波が来ている」と交信があり、途絶えたという。
■岩手県警大船渡署地域課、佐々木淳史巡査(23)は地震当日は非番だったが、近くの高田幹部交番に自主参集し、避難誘導にあたっていたが、その後連絡が取れなくなり、14日、陸前高田市役所近くで発見された。
■宮城県気仙沼署管内の駐在所に勤務していた千田浩二巡査部長(30)が津波にのみ込まれ、駐在所近くで死亡しているのが確認された。
 岩手県大船渡署管内でも交番勤務の警察官がパトカーごと道路の外へ押し流され、転落した車内で亡くなっているのが見つかった。地震発生直後、海岸近くに人がいるのを千田さんが発見。ためらうことなくパトカーを走らせた。「海岸へ行く」。窓越しに同僚にジェスチャーで伝えたのが最後の姿になった。
■死亡が確認されたのは、岩手県警釜石署生活安全課の村山元宏警部(37)。村山警部は岩手県大槌町の役場付近で住民の避難誘導中に津波に巻き込まれた。
■東日本大震災で、住民の避難誘導に向かい、津波にのまれた福島県警双葉署地域交通課の古張文夫巡査部長(53)の死亡を確認したと発表した。
■住民を避難誘導するため、同僚とパトカーで出動後、行方が分からなくなっていた岩手県警大船渡署高田幹部交番の百鳥憂樹巡査(21)の死亡を確認したと発表した。
■東日本大震災で、住民の避難誘導に向かったまま連絡が取れなくなっていた宮城県警岩沼署生活安全課の瀬谷志津江警部補(37)の死亡を確認したと発表した。
■福島県警南相馬署小高駐在所の佐藤政美巡査部長(57)と、宮城県警岩沼署交通課の菅野英徳巡査部長(52)。2人とも地震後、住民の避難誘導に向かい、連絡が取れなくなった。
■宮城県警 岩沼署増田交番の佐藤宗晴巡査(32)と八島裕樹巡査(24)は11日、当直明けで事務の引き継ぎ中に地震に見舞われ、同署交通課の菅野英徳巡査部長(52)と1台のパトカーに乗り込んだ。海岸線を目指したが、午後3時半ごろ、音信が途絶えた。
 八島巡査は15日、菅野巡査部長は18日、佐藤巡査は19日、海岸から約1キロ離れた同じ資材会社の敷地で見つかった。
 それぞれ土砂やがれきに埋もれたり、がれきや鉄骨に挟まれたりした状態で力尽きていた。佐藤巡査はヘルメットを着用し、制服の胸ポケットからは警笛が出ていたことから、パトカーを降りて、警笛を鳴らしながら住民の避難誘導をしていて津波に襲われたとみられる。
■宮城県警岩沼署生活安全課の早坂秀文警部補(55)、瀬谷志津江警部補(37)、荒貴行巡査長(36)の3人は地震直後、捜査車両で海岸線に向かったまま連絡が取れなくなった。
 早坂警部補は14日に仙台空港近くで、荒巡査長は15日に佐藤巡査らと同じ資材会社で、瀬谷警部補も21日に遺体で見つかった。

 ※未だ、生死が判明しない方々の名前はいずれ公表されるであろう。

■「警神」たちへ 無残な交番に感謝の合掌
                                                    2011.9.29 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110929/dst11092915480019-n1.htm
 「大きな津波が来ます。高台に避難してください」「津波が来ます。急いで避難してください」震災発生直後のようすをとらえた映像で、轟音や悲鳴に混じって途切れ途切れに聞こえる拡声器の警察官の声が耳に残る。最後の最後まで住民に避難を呼びかけていた、あの警察官は無事でいるのだろうか。
 映像には、車のない港の堤防沿いの道を走るパトカーもあった。アナウンスしながら逃げ遅れた者がいないか確認しているようだった。あのパトカーは津波から逃げ延びたのだろうか。岩手県宮古市鍬ケ崎(くわがさき)の宮古漁港は損壊した跡は残るものの、魚の積み込み作業が行われ、活気が戻っていた。その傍らにある宮古署港町交番は今も無残な姿をさらしている。勤務していた2人の警察官は津波にのみ込まれ、殉職した。
 交番には花束が手向けられ、国旗が掲げられている。誰が津波で汚れた国旗を洗ったのだろう。
 「お勤め、お疲れさまです。安らかにお眠りください」。折り鶴とともに高校生のメッセージ。「鍬ケ崎のためにありがとうございました」という書き置き。一つ一つ読んでいると、がれきの向こうから路線バスがゆっくりと走ってきた。前から2列目に座る老女が窓越しに交番に向かって、静かに手を合わせるのが見えた。
5人体制の港町交番で、中村邦雄さん(54)と村上洋巳さん(43)は、その日非番だった。地震発生で2人は官舎から自主参集で署に上がった。制服に着替えた中村さんは家族に「じゃあ、行ってくる」と軽く声をかけた。
 2人は津波警報でごった返す署からパトカーで漁港周辺に向かった。小野寺勝善副署長は「自らの判断で持ち場の住民誘導を行っていたのでしょう」。
 中村さんと村上さんが激しい口調で高台への避難を呼びかける姿が多くの人に目撃されている。港に防潮堤はなく、第1波で周辺が浸水した。
 立ち往生した救急車から搬送中の病人を救助しているところを第2波が襲った-。
 3月14日パトカー発見、4月4日に村上さんの遺体が発見された。中村さんの遺体はいまだに見つかっていない。
 2年前の夏、佐賀県唐津市肥前町高串の増田神社を訪ねた。JR唐津駅からレンタカーで山道を抜けると、目の前は海を挟んで長崎県だ。山にへばりついたような高串は小さな漁港と温泉以外、何もないように思えた。中学生だろうか、釣り竿(ざお)を持つ男の子に増田神社の場所を聞くと、「『増田さま』は先の二股を右です」と教えてくれた。
明治28(1895)年、新米の増田敬太郎巡査はコレラが流行していた高串に赴任する。当時は防疫も警察の任務だ。現場を一目見た増田巡査は感染拡大の原因は隔離の不徹底と判断した。すぐさま感染者を隔離し、交通を遮断、誰も手を出そうとしない遺体を背負い、埋葬した。そして、赴任3日目に発病する。
 「村人の世話をするために来た私がかえってお世話になるようになり、申し訳ありません。高串のコレラは私が背負っていきますからご安心ください」。その翌日、増田巡査はこう言い残して死亡、25歳だった。
 遺言通りコレラは収束、以来、高串で伝染病の流行はなく、地元の人々は感謝の思いで巡査を神様とあがめるようになった。巡査を火葬した小松島は神聖な島とされ、漁師は島に一礼してから沖合に向かう。
 毎年7月の夏祭りでは、白馬にまたがる巡査の山車が繰り出される。最期まで住民の命を守る使命を全うした巡査は「警神」と呼ばれている。
 今回の震災で多くの警察官が警神となった。死亡・行方不明は宮城県警14人、岩手県警11人、福島県警5人。女性警察官もいる。多くは避難する住民の最後尾で任務を全うした。
 私たちは、父を失った子に、夫を失った妻に、子を失った父母に何ができるだろうか。神社とは言わないが、最後の任務をできる限り詳細に記録し、遺族に残しておきたい。
 「みんなを助けようとして最期まで『みんな逃げて』と叫んでいたんだよ。最期まで警察官だったんだよ」。遺(のこ)された幼い子にそう言い聞かせることができるように。警察官だった父を、夫を、子を自慢できるように。いつまでも遺族や住民の胸に残る警神であってほしい。いくら感謝しても足りない一国民の願いである。(将口泰浩)

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