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2011年1月 9日 (日曜日)

都心を歩く(六本木通り)

 7日(金)、今年初めて仕事で電車や地下鉄を使った外廻りをする機会があった。
 元浅草、築地、永田町、アメリカ大使館付近の四カ所を一日がかりで廻ることにした。
 当然のことだか、出発前に訪問先の地図等を綿密に検討し廻るコースを決める。
 各地点で滞在は概ね30分、移動時間は何分、そして築地市場で昼食時間に重なるように計算してコースを選定する。

 順調に廻り、ランチタイムでは築地自慢の握り寿司を食する。
 そして、地下鉄で霞が関に移動し永田町、アメリカ大使館近くへと訪問すると午後3時近くだった。このまま帰社すると時間が余り過ぎるので、溜池から渋谷まで「六本木通り」を歩いてみたくなった。
 「六本木通り」は職場近くに伸びているが、今ひとつ距離感を掴んでいないので、この機会に自分の足で実踏することにした。Photo
 距離は5~6キロあるのだろうか。
 
 この通りは比較的幅広く確保されているが交通量も多い。ただ頭上には首都高速3号線が走り都心独特の殺伐とした印象が強い。
 この「六本木通り」が渋谷駅近くまでつながったのは、昭和45・6年の首都高速3号線の開通と同時期であった記憶している。
 まず昭和38年当時の古い地図をご覧になると理解できる。
 この当時は渋谷区渋谷界隈の道路予定地は住宅街だったことが分かる。 

 溜池から渋谷までは、車では何度も通行していても、歩いたのは今回初めてだ。
 通り沿いには六本木交差点、六本木ヒルズタワー 、麻布警察署、西麻布交差点、青山学院などが目に止まったが、神社仏閣などの旧跡は見つけることが出来なかった。
 新しい通りである証拠でもある。
 味もそっけもない道路だと感じた。
 下段は昭和26年当時の古い地図だが、渋谷区渋谷界隈は金王町とある。
 通称「渋谷神社」、金王八幡宮からの地名であろう。
 仕事中にタウンウォッチングすることは楽しみなことでもある。

金王(こんのう)八幡神社のこと
 http://www.geocities.jp/ynycr674/index.html

 金王八幡神社が鎮座する東京都の渋谷は、土佐坊昌俊の祖父、桓武天皇の孫高望王の子孫と名乗る秩父党の河崎冠者基家が、1051年(永承6年)に、前九年の役での武功により与えられた武蔵国豊島郡谷盛庄にあたる。また同八幡神社は渋谷氏歴代の居城渋谷城址の一部で、1092年に河崎基家が城内の一角に創建したと伝えられる。今も金王八幡神社の一隅には、土佐坊昌俊こと渋谷金王丸を祀る金王丸影堂があり、傍らに「渋谷城・砦の石」と伝わる石塊が残る。
 金王丸は越後の新発田に落ち延びたと言われ、新発田市下石川の共同墓地に「鬼の墓」と呼ばれている石碑があるという。
新発田市の渋谷姓と東京の渋谷について考える
http://www.inet-shibata.or.jp/~iide/jikosyoukai/shibuya/tokyoushibuya.html

Photo_3

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