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2010年11月 4日 (木曜日)

平成20年度アパ論文優秀賞

 一昨年のことだが、なかなかいい論文を見つけた。
 平成20年度のアパ論文社会人優秀賞、東京近代史研究所長・落合道夫氏の論文を紹介したい。この論文は、田母神空将につぐ優秀賞を受賞した論文だった。

 【真の近現代史観】 平成20年度アパ論文社会人優秀賞
                          東京近代史研究所長 落合道夫
序言
 最近戦前のソ連の宣伝本「カニ工船」が売れているという。
 ソ連の崩壊で共産主義運動の犯罪性が世界的に証明されたというのに大変な時代錯誤である。
 映画「最後の早慶戦」では最後の「海行かば」の大合唱の史実が隠蔽されているという。
これはどういうことなのだろうか。今日本は内憂外患こもごも来るという難局に差し掛かっているが、これらの原因の多くは今も続いている占領憲法以下占領政策にある。
しかし国民には戦後史の真実が隠されているように思う。そこで国民は日本の難局を解決するために、真の近現代史を学びなおす必要がある。ただし歴史を学ぶというのは従来のような反日イデオロギーで歴史を決め付けるのではない。
 歴史事件を具体的な因果関係でつなぐことである。
 歴史の連鎖では結果が新しい原因となる。
 そこで今後の日本の真の独立国家としての進路を考えるには、まず大東亜戦争を正しく理解しておくことが必要である。

1.戦前の歴史
 戦争は突発することはない。そこには大きな時代の流れと指導者の決断がある。
 そこで大東亜戦争を巡る極東の近代史を四大要因から考えてみたい。
 第一は白人の植民地主義である
 現代の日本人には理解がし難いが、戦前の世界は白人が支配していた。インドネシアなどは三百年にわたり殖民地にされオランダの圧制の下で収奪されていた。このため二十世紀に入ると支配者の白人と民族独立を望む現地人との対立が尖鋭化していた。この中にあって日本は最後に残された有色人種の独立国として国際社会で健闘していたので、白人からは邪魔者として憎まれ、有色人種からは希望の星として頼りにされ尊敬されていたのである。
 第二は米国の西進植民地主義である。
 米国は西部開拓が終ると太平洋に向かって勢力を伸張しハワイ王国を滅ぼし、米西戦争で独立したフィリピンを武力占領して植民地化し、さらに支那満洲への進出を企図していた。
このため大陸に先行する日本は邪魔であり、日本が満州国を建国すると「満洲国不承認」宣言を発表して日本への敵意を明かにしたのである。

 第三は支那の混乱である
 大正元(1912)年外来の満洲人の清王朝が衰退すると、支那は複数の軍閥が抗争する戦国時代に入った。これは蒋介石ら国民党軍閥にとっては支那民族の復権と国家統一の機会となったが、同時に統一権力の不在は諸外国の国際工作の場となった。
日本も日清、日露戦争以来支那には権益を持っていたので、特にソ連の極東工作に巻き込まれることとなった。
第四は大東亜戦争の真の原因である独ソ戦の影響である。
 即ちソ連のスターリンはヒトラーの著作「我が闘争」からソ連攻撃の近いことを予想していたので、東西挟撃を避けるために、東部国境の反共勢力である蒋介石軍閥と日本を無力化することを謀った。それが反共勢力同士の戦争であり、昭和11(1936)年の西安事件を始まりとする支那事変である。本来、蒋介石も日本も戦争を望んでいたわけではなかった。
 蒋介石は国共内戦勝利で支那統一の五分前といわれた有利な状況におり、日本もソ連を警戒していたので大陸の戦争をする意志はなかったのである。それなのに蒋介石は西安事件で逮捕され脅迫に屈してソ連の傀儡となると、通州日本人大虐殺事件など執拗な対日挑発を起こした。
 これに対して日本は上海事変の反撃から大陸の全面戦争に引きずり込まれ、スターリンの狙い通りの展開となった。ソ連は蒋介石側に、三億ドルという天文学的な軍事援助を与え、四千名にのぼる赤軍軍事顧問団を多数の軍用機、武器弾薬とともに送っている。
この戦争にかねてから日本の弱体化を狙っていたルーズベルトが便乗して、日本の講和仲介要請を断ると、蒋介石に大々的な軍事援助を与えるのである。
そして三年後さらに経済封鎖して日本の反撃を挑発したのが太平洋戦争である。
ソ連は日本軍をさらに南下させるために米国の支那満洲への野望を利用しハルノート原案を提供するなど日米の戦争を画策した。
日本軍は少数であったが精鋭であり、独立を望む現地人の援助を受けて圧倒的に優勢な白人植民地軍を撃破した。
そして解放したアジア諸民族にそれまで宗主国が禁じてきた民族主義による独立準備教育を行った。日本軍は勇戦したが原爆まで投下されて降伏した。しかし日本人は敗北したが大東亜戦争は正しい自衛戦争であったことを知っておくべきである。

2.戦後史(ソ連崩壊前)
 日本の勢力が失われた極東はどうなったのだろうか。
 一言で言って米国の思惑通りにはならなかった。
 それどころか米国の油断によりソ連が強大化したため、米ソの対立が始まり冷戦が長く続くことになる。
 ソ連は戦争中、米国のルーズベルトの容共主義を利用して115億ドルに上る莫大な軍事借款を取り付け、独ソ戦に勝利したが、その間に米国の高度な軍事技術や原爆製造技術まで窃取し、欧亜に版図を大々的に拡大することに成功した。
このため戦前とは比べ物にならない危険な大国となった。
米国のウェデマイヤー将軍は「第二次大戦の唯一の勝利者はルーズベルトやチャーチルではなくスターリンであった」と述べている。(引用抜粋:同将軍著「第二次大戦に勝者なし」)
 ソ連は戦争が終わると戦時中の親米方針を一変させ天文学的な軍事借款を踏み倒し世界各地で米国に厳しく対立した。
 昭和21(1946)年、英国のチャーチルは「鉄のカーテン」演説でこのような戦後世界を作るために戦争をしたのではないと嘆いたが後の祀りであった。
 米国の西進支那満洲進出戦略については、ルーズベルトはヤルタ会議でスターリンに、米国の腹の傷まない日本の領土や帝政ロシアの支那利権、90万トンに上る膨大な武器を代償に、満洲の代理占領と戦後の蒋介石支持を取り付けていた。
米国はその後蒋介石を傀儡に支那満洲を支配するつもりだったのである。
 しかしスターリンは米国のハラを見抜くと何度も蒋介石支持を確約した上で代償を先取りし、満洲を占領すると、一転違約して満洲を毛沢東に渡してしまった。
 米国の原爆投下の威嚇も、ソ連に地上戦を恐れる本音を見抜かれていたので効果はなかった。そしてソ連に支援された毛沢東は、内戦で米国が支援する国民党蒋介石軍を撃破してしまった。
 この結果、昭和29(1949)年、米国は支那の全拠点から追い出され、長年の支那満洲を狙う西進アジア政策は失敗に終わった。そこでマッカーサーは、「支那の共産化と喪失は米国太平洋政策百年の最大の誤りであった」と総括した。
 太平洋戦争の米国の真の目的が、日本の占領ではなかったことは重要である。
 また支那は37年ぶりに統一され、戦前のような列強の工作の場ではなくなった。
 白人の植民地主義については、日本が降伏すると、宗主国は殖民地の再建をはかり旧植民地に来襲した。
 米英は大西洋憲章で殖民地の独立を約束したが嘘だった。
 白人はアジアの殖民地を失うと欧州の一小国に成り下がるので、強引に植民地を再建しようとした。しかしこの時代錯誤の再植民地化に対して現地側は、日本軍の教育を受けた青年たちが日本軍の残した武器を持って立ち上がり、自ら独立戦争を開始したのである。
戦況は多くの近代兵器を装備する白人宗主国側に有利となったが、ソ連が民族独立運動に介入し、武器を送り、反米闘争に利用し始めたので、米国はむしろ民族主義政権による独立を望むようになり、白人諸国に圧力をかけた。
 このためオランダはしぶしぶインドネシアの独立を認めたのである。
ベトナムでは既にソ連が糸を引くベトナム共産党が殖民地独立運動を指導していたので仏の再植民地化は失敗し撤退した。
 印度をはじめとする広大な英国のアジアの殖民地も独立した。
 米領フィリピンも独立した。
 結局米国は日本を追い詰めたために反撃され、その影響でアジアは独立し、欧米の植民地体制全体が崩壊したのである。
 このためあるアジア在住の仏人は、「日本は一般的には第二次大戦で敗北したとされるが、アジアのこの一角では勝利した。戦後この地域は一変した」と述べている(C・ソーン著「太平洋戦争とは何だったか」)。
 このアジア諸民族の独立運動がアフリカや南米の植民地独立に伝播し、さらに米国の黒人の公民権回復運動を支援し、今日の多数の独立国からなる世界を作ったのである。

3.日本近代史
 こうした戦後世界の変化に対して敗戦した日本はどのように対応してきたのだろうか。
日本は降伏するとまず占領軍の厳しい軍事独裁下におかれ世界から遮断され徹底的な破壊を受けた。ここで重要なのは、総司令部の中にスターリンの指示を受ける多数のソ連人、ソ連関係者、米国共産主義者が入り込んでいたことである。
 しかし当時の米国は戦争中の親ソ政策の延長で、ソ連に無警戒であった。
 占領行政というと占領軍が破壊された日本を再建したように思う人がいるが、米国のその後の対日政策の転換後の記憶が上塗りされたための勘違いである。
 彼らの日本占領の目的は、あくまでも彼らの戦争目的の完遂であった。
 米国の太平洋戦争の目的は、支那満洲支配のために邪魔な日本を二度と立ち上がらせないことであった。他方ソ連の目的は、将来の米国撤退後における日本の共産化であった。
 両者は同床異夢であったが、当面の日本破壊では一致していた。
かれらの占領政策の核心は、日本民族の共同体の破壊であり、日本人の生存、生活、再生における伝統と連帯の断絶であった。
そして重要なのはこれらの破壊政策を日本人に後から戻されないように相続制度を変更したことである。仏人のトクビルが指摘しているように、人間の社会構造の基礎は相続制度にある。
 古来日本人は戦争や飢饉などの生存の危機に対応して子孫が生き延び復活できるシステムを作ってきた。それが家制度である。
 だから相続は平等ではないし平等であってはならないのである。
 なぜなら平等にすると全滅するからである。
 これは救命ボートの定員問題に似ている。全員がボートに乗れば全滅する。
 しかし半数だけでも助かればその後子孫が増えて血族として復活する可能性が出てくる。
 ここには個体の生存よりも血族の継続を重視する人類の究極の知恵が見えるのである。
そこで敵は日本人の相続制度を平等主義に変えて一時的な個人の欲得を利用し、全体の破壊政策を修正させないように仕組んだのである。
これは仏革命やその後の共産革命でも見られた左翼の定番政策であった。
このため日本は今、少子化が止まらず戦前の美しい家族愛が失われ、道徳が乱れて苦しんでいるのである。
4.日本正常化の機会と回避、挫折
 日本が占領軍に破壊されている間に極東情勢は急速に変化した。
このため戦前のアジア政策を引きずる米国の日本占領政策は時代遅れになってきた。
米国では中共の支那統一で大陸から追い出されると「支那が失われた」という悲痛な叫びが国中で上がった。
 これと同時に米国が邪魔だった日本を占領支配する意味は失われ、かえって武装解除した日本の国防代行が大きな負担になってきた。
さらにスターリンが昭和25(1950)年、米国の注意を欧州方面からそらすため朝鮮戦争を起こすと、米国では身勝手にも「アジアはアジア人に守らせろ」の声が上がりだした。
日本を再軍備して米軍の犠牲を減らそうというのである。
 そこでダレス国務長官は昭和25(1950)年来日し、吉田首相に再軍備を許可した。
対日占領政策の基本である日本非武装化方針を百八十度転換したのである。
これとともに東京裁判による日本軍人の処刑はピタリと停止し、二度と再開されることはなかった。
 しかし吉田は占領憲法や経済困窮などを理由に再軍備を拒否した。
 だが吉田の真意は別にあった。すなわち、米国が戦前以上の30万の日本軍の再建を求めるのは、そのうち10万を朝鮮に国連軍名目で派遣するハラと読んだからである。
すなわち米国の極東政策の失敗を日本の青年の血で尻拭いをさせられてはたまらないということである。ただし吉田は独立国家の自衛は当然の権利と考えていたので、後年は核自衛を主張した。
 米国は日本政府の自衛反対を知って困惑し、それまでの占領政策を矢継ぎ早に変更し始めた。まず昭和26(1951)年、占領軍総司令部のマッカーサー将軍を更迭した。
 これは彼の影響力が日本の再軍備に有害と見たのである。
 マッカーサーは早速、米議会で「日本の戦争は自衛のためであった」また「憲法九条は日本人が作ったもの」と証言し、日本政府が再軍備しやすいように誘導した。
 そして昭和27(1952)年には、日本に再軍備させるべくサンフランシスコ講和条約を作り独立させた。
 このため同条約にはベルサイユ条約のような敗戦国の国防制限はない。
 しかし日本政府は用心深く再軍備をせず、警察予備隊を創設しただけであった。
このため米国は止む無く講和と同時に日米安保条約を締結した。
そして昭和28(1953)年10月には国務省のロバートソン次官補が与党幹部の池田勇人を招き、再軍備を要請した。
 これに対して池田は以下の理由を挙げて断った。
 (1) 兵役対象の青年は、米占領軍により何が起ころうと二度と武器を取らないように教育されたから反対する。
 (2) 婦人、特に遺族は大切な人を捧げたのに戦後大迫害をうけたので絶対に反対する。
 (3) それでも軍隊を作ると、米占領軍が共産主義を広めたので、軍隊が共産主義クーデタを起こす可能性がある。(抜粋引用:「吉田茂とその時代」J・ダワー著)
 米国は占領政策を反省するしかなかった。
 日本軍を千人でもよいから残して置けばよかったのである。
 そこで会談直後、米政府はニクソン副大統領を東京に派遣し、日米協会の昼食会で占領憲法の第九条は誤りであったと公式に声明(昭和28年11月15日)を出させた。
朝鮮戦争は昭和28(1953)年スターリンが急死すると休止状態になり、日本軍の出兵の可能性は低くなっていた。
 しかし日本政府は憲法を改正せず、再軍備しようとしなかった。
日本の左翼マスコミはソ連の影響を受けて反政府的であり、占領状態の正常化に反対した。
このため国民は国際情勢の変化を正しく知らされないまま、日本に開放された米国の市場を利用してひたすら経済復興にまい進したのである。
こうして戦後第一の占領体制正常化の機会は失われた。
警察予備隊の後身の自衛隊は、名前から分かるように軍隊ではない。
軍法会議など万国共通の軍隊の基本機能を持っていないからである。
5.ソ連崩壊と日本の正常化
 この後日本は経済発展を続けたが、政治やマスコミ、文化界の価値観は占領時代初期の左翼的な反日のまま固定していた。
そこに世界史的大事件が起きた。
それは平成3(1991)年のソ連の自滅である。
ソ連は人類初の理想主義国家として誕生したが、70年後に崩壊して分かったことは未曾有の大犯罪国家であった。この事実が分かると、それまで日本で支配的であった左翼は勢力を失った。
もともと左翼思想は曖昧な妄想であり、左翼運動は冷酷な現実主義者が妄想的共産主義者を利用して権力を握り私利私欲を満たす詐欺運動であった。
この単純なカラクリは英国のG・オーウェルが「動物農場」で風刺している通りである。ソ連が崩壊すると国際社会では新しい二つの動きが現れた。

一つは国際経済が国境を越えて諸国民の生活に大きな影響を与えるようになったことである。それが文化的社会的な反発を招き、いま大きな問題になっている。
 もう一つは米ソの冷戦で押さえつけられていた各国の民族主義が盛んになったことである。この結果世界は核兵器の拡散とあわせて米国一国では管理が難しい状況になりつつある。そして米国はすでにアジアには地理的利権がなくイデオロギー的な対立も消えたので、日本の価値もなくなりアジアから防衛線を下げる動きが出ている。
 占領体制を墨守してきた日本にとって、大変危険な状況になっている。

6.日本の課題
 そこで日本の政治を見ると国際社会の激しい変化に正しく対応してきたのだろうか。
 日本の与野党やマスコミの行動は、ともに日本の独立や建国を祝わない、共同体の犠牲者である靖国神社の英霊に感謝しないという点で共通である。
これは半世紀以上も前の反日占領体制を占領軍に代わって続けているのと同じである。
だとすると彼らは占領体制を変えたくないのではないか。
そのためマスコミは、戦後世界の変化と冷厳な現実を国民の目から覆い隠してきたのではないか。
 しかし、外国による横田めぐみさんらの国民拉致、竹島領土侵犯事件などの被害が明らかになり、もはや隠しおおすことはできない。
 このため国民の間には占領体制をいつまでも続けようとする与野党に見切りをつけ、新しい政治勢力に日本再生を期待する声が上がっている。
 その場合核となる政策は、占領軍に奪われた国民国防制度と家制度の回復であろう。
 その正常化が他の分野も芋蔓式に正常化してゆく。
 昭和28(1953)年、日米会談で池田勇人はロバートソン国務省次官補に「日本人が自分を守るのは自分しかないことに気づくには相当の時間がかかるだろう」と述べた。
                        (抜粋引用「吉田茂とその時代」)
 またある米国GHQ要員は離日時に日本は長い歴史のある国だから、独立を回復すれば占領軍に破壊されたものを復旧させてゆくだろうと述べたという。
 今その時が来ているのである。

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