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2010年10月21日 (木曜日)

森鴎外ら著名人と遊佐町の関連

 題名を「森鴎外と山形県遊佐町の関連」としたが、ここに名前を出した方々はTosiko皆さん山形県に縁があるということになる。
 「それは縁遠いだろう」と言う方もいそうだが間違いなく関連しているので、歴史や伝記ものを読む際の参考にして欲しいと思う。
 結論から記載する。
 森鴎外(林太郎1862~1922))の最初の奥さんは、順天堂大学の祖「佐藤泰然」の曽孫に当たる「赤松登志子」だ。登志子は海軍中将男爵「赤松則良」の長女で、「佐藤泰然」は、山形県遊佐郷・升川出身の佐藤藤佐(とうすけ)の長男ということは既に紹介した。
 佐藤藤佐は、藤沢周平の「義民が駆ける」に登場する主要人物の一人だ。
 途中の関連が抜けたが、佐藤泰然の長女・つるは幕府御典医・林洞海の妻となる。
 そして、林つるの長女・多津は榎本武揚に嫁ぎ、次女の貞は日本造船の父・赤松則良に嫁いで、その長女・赤松登志子が鴎外の妻となった。鴎外の間に一子を儲けた長男「森於菟(おと)」は、東邦大学医学部教授や部長を勤め昭和42年に亡くなった。享年77歳。
 
 森鷗外と言えば小説家として有名だが、評論家、翻訳家、劇作家、陸軍軍医(軍医総監)と多才だ。そして、初代の軍医総監・松本良順は佐藤藤佐の孫に当たる。
 随所でシッカリと関連している。
 外務大臣・林薫は泰然の五男で、後に幕府御典医林洞海の養子となる。
 遊佐町・升川出身の佐藤藤佐の家系はすごいの一言。華麗なる著名人の家系だ。 Komagomeakamatsuhaka

 紹介ついでに、赤松則良の墓も林洞海の墓も、榎本武揚の墓も駒込吉祥寺にある。皆さん、この近くに居を構えていたのだろう。
  http://www13.plala.or.jp/shisekihoumon/komagome.htm
 また、森鴎外(林太郎1862~1922)は、通称「猫の家」(文京区向丘2-20-7)に住んでいたが、後には夏目漱石も同じ家に住み、ここで「我が輩は猫である」を執筆した。同書には、千駄木や団子坂、根津権現など、周辺の地名がふんだんに出てくる。Meiji42

 小生がこの近くに住み始めた昭和44年春には、この家は愛知県犬山市の明治村に移設したばかりで空き地になっていた。 
 なお、数百メートルのところには、森鴎外の終の棲家・観潮楼や高村光太郎の家もあった。現在、観潮楼の跡は「森鴎外記念本郷図書館」になっている。
 今度、ゆっくり散策に出掛けようと思う

森鴎外記念室は、東京都文京区千駄木1-23-4 電話:03-5803-1849 (平日のみ)
■博物館「明治村」は、愛知県犬山市内山1番地 TEL:0568-67-0314 
■通称「猫の家」は、文京区向丘2-20-7
高村光太郎旧居跡は、文京区千駄木5-20-6

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